知らず知らずのうちに自分を追いつめているサレ妻さんのなんと多いことか。


以前にも書いたように、ラリることも夫を責めることも、結果的に自分を追いつめることになってしまうわけですよ。

ほんでもって、解決を急ぐばかりに「こうでなきゃいけない」「こうあるべき」「こうするべき」っていう思考のオンパレード。



ダメだってばよ。


この思考だって結局自分を追いつめることになるんですよ。

ラリッて、すがって、責めて、という典型的なサレラリ状態だけではなくて、「すぐに、今すぐにでも解決したい!」という思い。
そのためには「これをすべき」とか、「私にはこの道しかないんです」、とか。
これもサレラリ同様、自分を追いつめるだけですからね?

一本芯が通ったように見えるその状態も、本当はとっても危険な状態なんですよ。
「こうすべき」「こうしなきゃいけない」という状態。
「そのためには私がやらなきゃいけないんです」、という流れ。

これを、うっかり「強い人」「素晴らしい」「ブレない」と称賛しそうになっちゃってやいませんか?
そして賞賛されたら、そうやって勘違いしちゃったりしてませんか?
こんなことを書くと反論が飛んでくるかもしれませんが、こういう人は強くなんてないんです。
めちゃくちゃ弱いんです。


中には、確かにいると思いますよ、強い人。
速攻で慰謝料請求したり相手の女に会ってケリをつけたり。
でもこういう人は、「こうすべき」とか「こうあるべき」とかいちいち口にしないし書いたりしない。
その行動がもし裏目に出たり失敗に終わったりしても、そこでがっく~んと落ち込むことがない(たぶん)。

これが、本当の強さだと思うんです。
そして、きっちりと次の手を考えますから。



「こうすべき」「こうしなきゃいけない」という思考の一番の落とし穴は、

『そこに答えがひとつしかないという状況を自分で作ってしまっていること』

なんです。

白か黒か、っていう状態。
相手の女と別れるか自分と離婚するか。
相手の女と私とどっちか選べ。


特に発覚してすぐ、まだまだお花畑の只中にいる夫くんたちに白黒迫ってどうするんだと。

確かに、「女と別れるべき」「離婚しちゃいけない」というのはある意味正しいと思います。
でもその結果を手に入れるために動く時機が「今」なのかどうか。
逆に「今」何かするなら、他にも取れる行動がまだあるんじゃないか?
そこで「こうしなきゃ」が発動したときに、他の行動・方法が全く想像できていない。
他にもいっぱい方法はあるかもしれない。
でも最初から、ひとつの方法を除いて他の全てを拒否してしまっている。

柔軟じゃないんです。
その場に応じた適切な判断ができていないんです。
だから、「こうすべき」「こうあるべき」という目標に辿り着けなかったら茫然自失。
「もう無理……」と、ズズンと落ち込んでしまうわけです。



この思考の何がいけないのか。

誰のためにもならないということ。

白黒つけようと思ってとった行動の結果、うまく行かなかったら?

落ち込んで「私なんてもう捨てられるだけの人間なんだ」ってなる。

病気になりますからね?それ。

もし上手くいって夫と相手の女を別れさせることができたとしても。

「もしかしたら水面下かもしれない…」
「仕事に行くと言って出ていったけどもしかしたら…」
「本当は渋々戻ってきただけで、私なんてもう必要とされてないのかも…」


なぜこういう思考になるのか。

それは、「べき」の裏にある感情が鍵なんですよ。

「べき」の裏にある感情。

「焦りや不安」なんです。

これが「~すべき」と言ったりやったりする人を動かしている原動力なんだと思うのです。





焦りや不安を原動力にした行動ってどう思いますか?

自分の行動を支えているものが「焦りや不安」だと知ったらどうしますか?





自分の行動の基礎となるものが『自信』になるまで、少し休息してみませんか?