その101
現に、わたしの体は汗でびっしょりだった。
8月の熱い日差しを身体いっぱいに受けて歩いてきたんだもの。
まあ、雑木林の中だけは、多少涼しかったけれど…。
そのときのわたしには、プールから響いてくる
パシャパシャと跳ね上がる水音が、ひどく魅力的に聴こえた。
(やっぱり、早く水につかりたい)
「ね、更衣室どこだかわかる?うん、着替えるところ」
「こうい、しつ…?きがえるところ?そんなのあったっけ?」
(まさか、ないとか><?
いや…いくらなんでもそれはありえないような…)
「正男くんが、水着に着替える場所のことよ。」
「よくわからないや。」
(わかんないって…いったい何なのよ!)
「先生に聞いてみる。」
ふと疑問が浮かんだ。
正男は、いつもどうやって着替えているのだろうか?
(ううん、たぶん…)
人目も気にせず、プールサイドとかで着替えているのかも…
そんな想像がついたので、それ以上聞くのをやめて、
正男についてプールに向かった。
それにしても会って間もないというのに
行動パターンまで予想できちゃうなんて、やっぱ、正男って単純すぎるよね…。
それでもって…わたしは、そんな正男に…
(いやん、そんなのありえない!)
正男はプールの入り口に立っていた若い男の先生と何か話している。
その間に、わたしは背伸びをしてプールをのぞいてみた。
(あ、子ども用の浅いプールがある!)
わたしの小学校にもあった。
1年生や2年生が入る、ひざくらいまでの深さのプール。
長方形ではなく、だ円形なのも同じだった。
(うん?あのこ…幼稚園児?)
その102
その浅いプールには、1年生くらいの男の子と女の子。
そして、あきらかに幼稚園児としか思えない女の子。
3人が、はしゃぎながら水をかけあっている。
(なつかしいなあ。
でもさすがにこっちには入らないよね、もう6年生なんだから)
そう思いながら、ちらっと正男を見る。
まだ、先生と話をしている。
子ども用の浅いプールとは別に、きちんとした25メートルのプールもある。
コース2つ分は区切ってあるが、残り4コース分は区切られていない。
その広いスペースを、何か話しながら、
並んで歩いていく女性3人の後ろ姿が見えた。
少し離れているのでよく見えないが、大人の、それも年配の人のようだ。
(水中ウオーキング?
足に負担がなくて、ダイエットにいいって聞いたことがあるような…)
コースの方は、誰も泳いでいないようだ。
もっとよく見ようとしたとき、正男が戻ってきた。
「校舎の中の教室を更衣室代わりに使ってくださいって。」
「教室を?」
「うん、1年1組が近いからいいでしょうだって!」
「そっか、教室で着替えるのね。」
わたしの学校でも体育で体操着に着替えるときは各教室を使う。
1組で女子が着替え2組では男子が着替える…というように。
そうできるように、体育の授業は、2クラス合同で行われている。
でも、水着姿で廊下を歩くわけにはいかないので
水着に着替えるときだけは、プールのすぐ近くにある更衣室を使う。
「そういえば、正男くんは去年はどこで着替えてたの?」
「去年は、夏休みのプール来なかったもん。」
「だったね…おととしは?」
「教室にいくのも面倒だし、その辺で適当に!!」
その103
正男がわたしの手をひっぱった。
「1階だって。行こう」
外から見ていて、わかっていたのだが、校舎は木造2階建てだった。
木造の学校など見たことがなかったので、実は気になっていた。
プールに来ただけだし、中に入れるなんて思いもしなかったから!
入れるんだ。そう思うと、なんかうれしかった。
玄関を入ると昇降口である。急に薄暗くひんやりと感じる。
校内は人声も聞こえず、静かだった。
わたしの中学は、休みでも誰かが部活をやっている。
だから、こんなに静かではない。
生徒たちの上履きが並んでいる。それを、横目でみながら考える。
(ここで履き替えるのね)
くつを脱いでスリッパを取り出そうとしたが、ふと思って正男に聞いた。
「ねえ、来客用って、わたしなんかが使っていいのかなあ?」
さっさとスニーカーを脱いで、
何もはかずに、はだしでぺたぺたと歩きはじめていた正男は
「うん?」と言ってこちらを振りむいた。
「なにを使うの? なんでも平気だから、気にしないで使って!」
(正男に訊いても、無駄だった><)
「こっちこっち。1年1組だって。」
近寄ってきた正男が、またわたしの手を引っぱった。
歩くたびに廊下の床が、きしんで音を立てる。
(さすが、木造だ!)でも、決していやな音じゃない。
「ねえ?この校舎って何年位前に造られたの?」
「このまえ、築70年のお祝いあったから…それくらい前かなあ。」
「な…ななじゅうねん?」
窓はサッシに替えられているが
それ以外は、すべて当時のままなのだろう。
初めてきたというのに、なぜか、ひどく懐かしい気がする。
その104
木のもつ独特の香りとでもいえばいい?
まるで時間を越えて、過去に戻ったような錯覚を覚えたの。
-----がらりと、音を立てて引き戸を引いた。
「あ…」
わたしは思わず声を上げた。
日頃は、使われていない部屋だと思っていたからだ。
でも、そうではなかった。
教室の後ろと、廊下に面した掲示板には、
子供たちの絵や、習字が一面に張られている。
(わあ、かわいい…なつかしいなあ、
小学校って、こんなふうだったっけ)
着替えも忘れ、つい一枚一枚に見入ってしまう。
後方に張られた一枚の名前に、わたしは気づいた。
(あれ…『二年 渡辺正男』って…これって、正男が描いた絵?)
それは、男の子が、アミを持って
チョウやトンボを追いかけている絵だった。
一面緑色なのは、たぶん草むらのつもりだろう。
よくみると…。
チョウやトンボだけではない。
セミやカブトムシ…なんとクワガタムシまで飛んでいる。
手には大きな虫かごを持っている。
虫かごの中にも、たくさんの虫が入っている?
このTシャツと短パン姿の男の子らしいのが正男だと思うのだが…。
「らしい」と言うのも、あまりに下手な絵なのだ。
わたしは、正男を知っているから判断がつくけれど
知らない人が見たら、何の絵なのかわからないかも知れない。
今は小6なのだから
この小2以降も絵を描いてるはずなんだけど、なんで、それがないんだろう…。
「あ、おねえちゃん、なに見てるの?見なくていいよ、恥ずかしいから」
正男が走りよってきた。
「ねえ、この絵、正男くんが描いたの?」
「そうだけど…2年生の時の絵だし、そんなに見なくていいよ」
その105
(下手すぎる…とはさすがに言えない。
でも上手ねと言うには、さすがに、わたしの良心が…)
「かわいい絵だね。2年生のころから、虫、好きだったの?」
「うん。大好き!」
「あれ、もう着替えたの?」
見ると、正男はすでに海水パンツ姿になっている。
「おねえちゃんも、早くきがえようよ!」
「そんなこと言ったって…」
正男が見ている前で着替えるのは恥ずかしい。
先に行っててよ、と言いかけて聞きたくなったことを聞いてみる。
「ねえ、この教室って、今は使われていないんだよね?」
「うん。絵とか習字とかはったりしてあるだけ。
あ、あとかいこも飼ってるよ。ほら、その水そう…」
正男が後ろの、生徒用のロッカーの上の水槽を指さした。
(か、かいこ?蚕…まさか…)
寒気がぞぞっと背中を走る。
わたしは虫の中でも、いもむしは大の苦手である。
その水槽が目に入らないように、掲示板を見ていた目を前の黒板に向けた。
わたしの様子には、まったく気付かず正男が話し始めた。
「あのね…かいこって、さなぎになる時期は
静かなところの方がいいんだよ。」
「…」
わたしは返事をしない。
そんなもの見たくもないし、
さわったりなんかしたら、きっと死んでしまう(><)
返事をしないわたしを、熱心に聴いていると勘違いした正男は話し続ける。
「でね…いまがさなぎになる時期なんだ。」
「…」
聴きたくなくても自然に耳に入ってくる。
「だから、この使ってない教室に移したんだ。
夏休みになる前の日に、ぼくがここに持ってきたんだよ」
「そ、そうなの?…すごいわね…」
その106
わたしは黒板から目を離さないままで返事をした。
きっと、まだわたしの様子に気づいていないのだろう。
次に聞いた、自慢げな正男の言葉に私は目を丸くした。
「だって、ぼく、かいこの世話係なんだもん!」
(と、とんでもない係だ!!
…わたしだったら絶対泣く…)
「そう言えばもうさなぎになったかも…ねえねえ、みてみて」
さなぎって、カイコのまゆ?のことかなあ。
それだったら見ても大丈夫な気はするけど…。
でも、そんなこと言ったって、まださなぎになってなかったら?
写真でみた、5齢というのだろうか、
大きな白い幼虫を思い出して、わたしは鳥肌が立った。
だけど、勇気を出して振り返る。
正男は、すでに水槽に近寄っている。
わたしも近づこうと思うのだが
足のほうが、勝手に一歩二歩と後ずさりしていく。
「わあ!やっぱりもう、さなぎになってるよ!ほら!」
「全部さなぎになってるの? 幼虫は、もう、一匹もいないんでしょうね…?」
「うん、全部、さなぎになってる!」
(よかった…)
安心して水槽に近づこうとしたときに、正男が叫んだ。
「あっ!!一匹だけ…」
(ええっ!?い、いやっ!!)
わたしは我慢できずに、教室を飛び出した。
「あ、おねえちゃん!どこ行くの?待ってよ!
…せっかく一匹、羽化しかかってるのに…」
(羽化?)
わたしの足が止まった。
(羽化って幼虫じゃなくて成虫になるってこと?)
とんぼやせみが成虫になる瞬間は
テレビの映像とかでみたことあるけれど、さすがにカイコの羽化はみたことがない。
(ちょっとのぞいてみようかな…)
その107
わたしは教室に戻り、正男の後ろに回りこんだ。
「ねっ! みてみて!!」
真っ白なまゆがたくさんならんでいる。
その中の一個のまゆに穴が開き、そこから何かが出てこようとしていた。
「正男くんは、カイコ係なんでしょ?」
「うん!」
「だったら、カイコのことも詳しいの?
「もちろんだよ。せっかくだし説明してあげるね」
「う…うん」
「生まれたての幼虫を1齢って言うんだよ。」
「それは習ったことがある。一回脱皮を行うと2齢だったっけ?」
「うん、そうだよ。カイコの場合は4回脱皮を繰り返すんだ。」
「ということは、5齢になるってことね?」
「うん、そして、5齢になるとまゆをつくる。」
「何日くらいで?」
「卵のときから数えるとだいたい25日くらいかな。」
「1ヶ月近くかかるのね…」
(一ヶ月も、幼虫観察しろなんて課題でたら絶対やだ><)
「二日くらいで、まゆをつくり
まゆの中で幼虫はさなぎになるんだ。
さなぎの期間は、ほぼ10日くらいかなあ。」
「あっ!思い出した。
さなぎの時期がある昆虫は完全変態
さなぎの時期がなく、幼虫から直接成虫になるものを不完全変態というんだよね。」
「すごい、お姉ちゃん、よく知ってるね。そのとおりだよ!!」
褒められるとなんだか嬉しい。
褒めてくれる相手が正男だというのが
ちょっとだけ、問題あるような気がするけど…まあ、いっか!
正男は話し続ける。
「このまゆが絹糸になるのは知ってるしょ?」
「もちろん、それくらいは知ってる!」
「成虫になると、まゆから出てくるんだけど
出てくるときに、まゆに傷がついちゃうと絹糸が取れないんだ。」
その108
「そうなの?」
「うん、出てくるときに、まゆがぼろぼろになるんだよ。」
「じゃあ、どうするの?」
「まゆの中にさなぎがいる状態のままで
熱湯にいれて、さなぎを殺しちゃうんだよ。」
「かわいそう…」
わたしも学校の理科の授業で
カイコの勉強をしてはいたが正男の知識は遥かにすごかった。
やはり、将来の虫博士だ。ということは…わたしは虫博士夫人になるわけ?
(ううっ…ありえない、絶対そんなことありえない)
正男が水槽のふたをあけて
中から、まゆをひとつだけ取り出した。そして、それを、わたしに手渡す。
「これがまゆだよ。さわったことある?」
「ううん…直接みるのも、さわるのもはじめて…」
楕円形をしていて、本当に真っ白い。
大きさは、長いほうが3~4センチ、短いほうが2センチ弱くらいだ。
「まゆって意外に固いのね…。
こんなに固いのに、どうやって出てくるのかしら。」
まゆを手に持ちながら
羽化しかかっている蚕の方に目をむけた。
白いはずのまゆが透明に透けてきていて、そこから、かいこ蛾が顔を出し始めている。
「口から粘液みたいなものを出すんだよ。」
「そうなの?」
「うん、まゆをくい破るんじゃなくて、その粘液でマユを柔らかくするんだ。」
「知らなかった…」
「親になると、何も食べないんだ。桑の葉を食べるのは幼虫のときだけ。」
「何も食べないで生きられるの?」
「ううん、すぐ死んじゃう。5日くらいしか生きられない。」
「その間に、交尾して卵を生むのね…」
「うん!」
まゆからカイコ蛾の頭が完全に出てきた。
黒く光る大きな目が、すごく気持ち悪い…。
その109
「耳もあるのね、この耳も黒い…」
「それは耳じゃないよ。触覚だよ」
「触覚…???」
触覚と言われるまでは耳としか思えない。
だって異様に大きく耳にしか見えないんだもん。
頭が出終わるまでは10分ほどかかったのに、そこから先は早かった。
見る見る間に、からだが出てくるのだ。
羽はしわしわで、からだの3分の1もない。
最後は、ころんという感じで体全体が出てきた。
腹部がひどく大きくてグロテスク。見ているだけで気分が悪くなってくる。
羽化したばかりのカイコ蛾は、からだをぶるっと震わせた。
と同時に、お尻からオレンジ色の液体が大量に出てきた。
「なに、これ…気持ち悪い。」
「蛾のおしっこだよ! 羽化すると、必ずするんだ。
たぶん、まゆの中で我慢してたんだよ。」
こともなげに、正男が答える。
羽がだんだんのびてくる。
うす茶色の色が、だんだん濃くなってくる。
それにしても、あまりに太い腹部…。
黒い不気味な目と触覚。
腹部は、まじでやばい。幼虫時代より太いはず…。
この体型は、とても凝視できない。
わたしは、吐きそうな気分になってきた。これ以上みてたら、絶対に吐いちゃう…。
「ごめん、もうみてられない。
別の教室で休んでくるから、ちょっと待ってて。」
正男は、不思議そうにわたしを見ている。
「こういうの…ほんとに苦手なの」
それだけ言い残し、わたしは部屋を出た。
正男が何か言おうとしているみたいだったが
わたしは、もう1秒も、この部屋の中にいたくなかった。
となりのとなり…2年1組に入って、わたしは息をついた。
まだ吐き気がする……が、一歩入ったところで、足が止まった。
その110
(まさか、この教室にも蚕がいるとか…?)
つい、後ろのロッカーの上を確認してしまう。
水槽は置いてなかった。
安心してドアを閉めて、まわりを見回す。
ここも使われていない教室みたいだ。
さっき、カイコ蛾を見たおかげで、まだ気持ちが悪い。
立ってられなくなって、わたしは、いすに腰をおろした。
(あんなものを教室で飼ってるなんて
ほかの子たちは、嫌にならないのかしら…)
しばらく休んでいるうちに、やっと吐き気も収まってきた。
バッグは手に持ったまま出てきた。
そういえば、正男は、どうしたんだろう。
まだ、さっきのカイコ蛾に夢中になっていそうな気が…。
それって、もしかして、わたしのことは無視?
(まったく…気にならないわけ?)
吐き気は収まったが、今度は、だんだん、腹がたってくる。
『わたし、ほっとかないでよっ!』
と、文句を言いにいこうかと思ったが、あの教室に戻る気にはなれそうになかった。
(せっかく落ち着いたのに、また気持ち悪くなったらいやだもん)
そうだ!
正男が来ないうちに、ここで着替えてしまおう。
でも家の中じゃないし、もしもってこともある。
いきなりはだかになるわけにはいかない。
学校の更衣室で着替えているのと同じ手順で…。
だけど、今日は制服のスカートではない。
Gパンなので、ジャージから着替えるときのやりかた。
まずバスタオルと水着を取り出す。
水着はお気に入りの空色のワンピース。
去年の夏、わたしの誕生日に買ってもらった。
学校のプールに入ることになるとは思ってなかったから、
授業で使ってる水着ではなく、遊びにいくとき用の水着なのだ。
その111
スクール水着とちがい、ちょっとだけ派手なのだが
でも、プールのあの様子なら大丈夫そう。
Gパンの前のチャックを下ろし、バスタオルを腰に巻いた。
バスタオルの下に手を入れて、Gパンを引っ張って下ろす。
すぐに下着…パンツを引っ張り、
すばやく足から抜き、Gパンといっしょに丸めてバッグに押し込んだ。
(あ、そうか。だれもいないんだから、あせることないよね)
つい、クラスの女子みんなで着替えてる時のくせが…。
クラスの中にはふざけて、脱いでおいてあるジャージやパンツを取ったり、
友だちのバスタオルを下ろそうとする子がいるのだ。
女の子どうしでも、下半身だけのはだかを、みんなに見られるのは恥ずかしい。
(ちゃんとたたんでおこうっと。)
Gパンと下着をもう一度取り出し、きちんとたたんだ。
でも下着を脱いだままでは、すうすうして頼りないし、いつ正男がくるかわからない。
(早く水着を着なくっちゃ)
バスタオルを巻いたまま、水着に足を入れる。
ところが、ふとももから上にスムーズに上がらない。
(あれ…去年よりきつくなってる?やだ、太ったのかなあ)
たしかに春の身体測定で、
身長も体重も、1年のときより増えてたけど。
やばい…ほんとにピチピチになってる。
去年はぴったりだったのに…。せ、せいちょうきだもんね(汗)
とにかく腰まで引っぱりあげる。
(次は上…)
腰に巻いたバスタオルを解いた。それを肩にかけようとしたそのとき
――がらりとドアが引かれた。
(!!)
どきりとして、わたしはタオルを床に落としてしまった。
見知らぬ若い男の人が入り口からのぞきこんでいる。
その112
「きゃっ!!」
わたしはあわてて両手で胸を抱え、その人に背を向けてしゃがみこんだ。
「あ、これは失礼!」
その人は顔をひっこめると、ドアをすぐに閉じた。
はだかを見られたわけじゃないけど、
下半身だけ水着で上はまだシャツのままなんて、よけいに恥ずかしい。
(びっくりした。
だれだろう…どっかで見たような気がするけど)
気を取り直してバスタオルを拾い、
肩にかけてシャツのボタンを外し、するりと袖を抜く。
そしてブラを外して、机の上に置いたそのとき…
がらっ!!
勢いよく戸が引かれた。
「おねえちゃん、見っけ!!」
「きゃあっ!着替え中なんだから、あっち行ってて!!」
正男はまったく気にせずに近寄ってくる。
「でも、もうきがえちゃったみたいだけど?」
「まだなの!!もうっ、来ないでよっ!」
今から胸まで水着を上げて腕を通さなくてはいけないのに
正男に見られていては、やりづらい。
「だって、バスタオルでぜんぜん見えないよ?」
「見えなくっていいの!…こっち来ないで、そこにいてよ!」
わたしは正男を追い出すのをあきらめ背中を向けた。
バスタオルを肩から落とさないように気をつけながら、
水着のストラップに腕を通し胸を整える。
(ふう…終わり)
その瞬間、ばさっと後ろからバスタオルを取られた。
「わっ!!」
「きゃっ!!」
首に飛びつかれて、わたしは床にしりもちをついてしまった。
「これ…かわいいね。みずぎ…」
後ろから腕を回しながら、正男が言う。
「もう…びっくりさせないでよ」
その113
二人して床にぺたんとなった状態で
しかも正男は、わたしの真後ろにいる。
回された手が、ゆっくりと動いているのだ。
わたしの胸に伸びて、水着の上から触ろうとしている。
もちろん、すぐに気づいた。
(もう…やんちゃなんだから!)
実はわたしは、水着のときは積極的なのだ。
水着のときの方が強気になれる!
…お風呂で裸のときは恥ずかしいばかりだったけれど…。
海に泳ぎにいくときだって
水着を恥ずかしいと思ったことはないし
幼いころなんて、お姉さんのビキニ姿を見ながら
(かっこいい…あんなのをいつかは着たい)
と、思っていたくらいなんだもん。
そうじゃなければ、小さいころに見た、
女の子が主人公のヒロインアニメの影響なのかも。
――あっ!
正男の手が水着の中に入り込んでくる!
わたしは、その手を上から押さえた。
「だめでしょ…いたずらしちゃ!」
「もう少しだけ」
そういいつつ、指を深く潜らせようとする正男。
(やばい、このままじゃ指が…触れちゃう)
わたしは正男の手を、上からしっかりと押さえた。
指が動かせなくなり不満そうな正男。
(ほんとに、このこったら…)
わたしのこと彼女だと勝手に思い込んでるんじゃ?
昨日はお風呂で恥ずかしかったが、ここは、お風呂じゃない。
恥ずかしがってばかりはいられない。
(よし、ここは一発がつんと!!)
正男はわたしのうしろにいる。
わたしからは、直接、顔は見えない。
もちろん正男も、わたしの顔を見ることはできない。
わたしは、体をひねった。
正男の手が胸から離れ宙に浮かぶ形になった。
(逃がさないから!)
その114
浮かんだ正男の手首を、ぱっとわたしはつかんだ。
そしてかるくひねってみた。
「あ!いたいよ、おねえちゃん」
「まさおくん、調子に乗りすぎ!!」
わたしは、ひねりに力を加えた。
「あ、いた…た…ほんとにいたい><」
「もう、いたずらしない?」
力を緩めずにわたしは、正男の顔をのぞきこんだ。
「…」
正男は泣きそうな顔なのに「うん」とは言わない。
「返事がないわよ!」
わたしは、また少し、力を加える。
「ああっ…い、いたい…」
「もうしないって言いなさい!」
「……」
なんて子なんだろう。
その場だけでも「もうしない」って言えばいいのに…。
(そんなにまで、さわりたいわけ?)
少しだけ可哀想な気持ちになってきた。
でも、ここで甘やかすわけにもいかない。
「あのね!
女の子のからだは、かんたんにさわっちゃだめなの。」
「…」
「きらわれちゃうよ?それでもいいの?」
正男が、激しく首をふった。
「ううん、そんなのいやだ!!」
「だったら、もうしないで!わかった?」
「う、うん、わかった」
正男の声が、なんだかしおらしく感じる。
「…もう、ほんとにしょうがないんだから!」
わたしは、つかんだ正男の手をはなした。
正男が、わたしを見つめながら言う。
「…きらいに、なっちゃった…の?」
「……」
わたしはわざと返事をしない。
その115
「…お、おねえちゃん?」
「……」
わたしは、正男から目をそらし後ろを向いた。
「ぼく、気づかなかったんだ。
おねえちゃんが…そんなにいやがってたって…」
わたしは、まだ返事をしない。
というより…なんと返事をすればいいかがわからなかった。
「ごめんなさい…ほんとに…ごめんなさい」
正男のあやまる声が後ろから聴こえてくる。
「もうしない…もうしないから…」
消え入りそうな声にわたしは正男を振り返る。
正男はうつむいていた。
急にさわられてびっくりはした。
だけど、すごく嫌だったというわけではない。
それって…相手が正男だからだってわかってる。
でもいくらなんでも早すぎるよね。
わたしも正男もまだ大人になってはいない。
自分の行動に責任が持てる年にはなってはいない。
そんなことを考えながら
じっとうつむいたままの正男をみていた。
――ポタッ
床に小さな水がこぼれた。
「お願い、きらいにならないで…」
なんと、正男は泣いていたのだ。
わたしもひどく切ない気持ちになった。
「ばかね…嫌いになんてならないから!」
そう言いながら思わず、正男の手を握り締めてるわたし。
「ほんとに…」
「うん、ほんとによ。」
これって…甘やかしすぎ?!
一瞬だけ、そう思ったが
わたしも正男を好きなんだからしょうがない。
まあ、わたしの方がお姉さんなんだし
ちゃんとリードしてあげなきゃって、そのときは思った。
正男もおそるおそる手を握り返してくる。
わたしは、その手を強く握り返す。
「おとこの子でしょ。
かんたんに、泣いちゃだめ!」
その116
わたしの言葉に、正男は、ますます泣き出した。
(なんでなの…もう泣く必要ないじゃない)
「泣いてちゃ、プールいけないでしょ。」
「…ぼくのこと…きらいになってない?」
「なってないって言ってるでしょうに!!」
正男は、ぜんぜん泣き止まない。
(うっ、これって男女逆転?)
どうにか泣き止んでもらわなくては…。
「正男くん?」
「…うん?」
正男が不安そうに返事をする。
「大好きだから。
ずっと、ずっと大好きだから…」
「…」
「だから、何にも心配しなくて…いいからね。」
わたしは、にっこり笑いかけた。
ようやく、正男の顔にも笑みがもどった。
(なんて世話が焼けるんだろう)
「おねえちゃんって…」
そのあとの言葉に、わたしは吹き出した。
「…つよいんだね!!」
うっ、それって褒め言葉とは思えないんだけど!
「じゃあ、プール行こうね。
遅くなっちゃう。もう10時過ぎてるよ?」
「平気だよ、少しくらい。
これに、はんこを押してもらえればいいだけだし!」
そう言うと、正男は首にかけたカードを持ち上げて見せた。
20マスほどの枠線が引かれているが、
もちろんはんこは一つも押されていない。
夏休みのプールに一度も行かない…。
わたしの中学だったら、確実に2学期の体育の成績に響く。
まだ小学校だし、成績なんて正男が気にするとも思えない。
とはいっても、1回も行かなくていいのだろうか?
気になって、聞いてみた。
「ねえ、はんこが1個もないけど、いいの?
もう、夏休み、半月もないよ?」
「うん。たぶんだいじょうぶだよ」
その117
(だいじょうぶなはずがない!)
「あと何回くらい、プールあるの?
あんまり行かないのって、だめなんじゃない?」
「プールは毎日やってるんから、だいじょうぶ。
う~ん、でもこのマス全部は無理かもしれない…」
半月しかないのに、20マスは無理にきまってる。
このこ…やっぱり算数ダメみたい(><)
それにしても、本当に毎日、やってるのだろうか?
きてくださる先生だって大変だろうに…。
わたしの中学校ではプールの開放日は決まっている。
「ほんとに、毎日泳げるの?」
「うん。」
「それってすごいことだよ」
「ええとね…ぼくたちの小学校のプールなんだけど
…ええと…なんだっけ…なんとか『ていけい』?
ちがった『いたく』だっけ?
町やくばといっしょに、『けいえい』してるって、きいたよ」
よくわからなかったが、
このプールは半分、公共施設になっているようだ。
道理で、一般の人がいるわけだ。
だったら、遠慮しなくてもいいのかなあ。
「ねえ、とにかく行こうよ?
水に入りたいの」
「う、うん…」
正男は気の進まない様子で、うなずき、
わたしは、うきうきした気分で校舎をあとにした。
―――
プールのにおい…カルキの、あの匂いが鼻をつく。
バッシャ…っていう水の音が聞こえる。
小さい子どもの歓声が、楽しげに聴こえてくる。
ほかの場所では、うるさいって思うことがあるのに、
プールだと、ただひたすら楽しく聴こえてくるから不思議だ。
音や声って、夏の空気に合ってるのかもね!
とにかく、わたしは、この雰囲気が大好き。
早くその中に入りたいって思ってしまう。
その118
でも、入る前の準備体操と、消毒槽は、ちょっときらい。
だって…プールサイドで、
水着で屈伸運動するのって、なんだか照れくさいんだもん。
グラウンドや体育館で、体操着でするのは何とも思わないのになあ。
水に入る前に筋肉をよくほぐしておかないと、つったりする。
それはわかっているけれど、
早くプールに入りたいな、って思ってしまう。
それと消毒槽に胸までつかるのってみんなもいやでしょ?
だいたい、あそこの水はものすごく冷たい。
かすかなら好きなんだけれど、
カルキのにおいが強すぎるのは苦手なんだよね。
入って、5まで数えてからあがれって言われてるけど、
先生が見ていないときは、入ってすぐ出て、シャワーに行ってしまう。
そんなことを考えながら、わたしたちは、プールへの階段をあがり始めた。
(あ、熱っ!)
コンクリートの階段は日に照らされて熱くなっていた。
(熱いけれど、裸足のしたのこの感じは好き!)
プールサイド直前のところには何個ものサンダルが並んでいた。
親指のところで二股に割れたおじさんの草履みたいなのや
こども用のビーチサンダルもある。
(やっぱりそうなんだ。
…学校のプールじゃなくて
遊びにいくプールみたいだ…)
わたしはうれしくなった。
自分の脱いだスニーカーだけじゃなく
ばらばらに置かれてあったサンダルもそろえてみる。
マントのようにバスタオルを背中に羽織った正男が尋ねた。
「おねえちゃん? なにやってるの?」
「うん、なんとなく!
みんな、プールが好きなんだなって思って…」
(ぎらぎらの太陽!夏ってやっぱりプールだもん!)