(ぎらぎらの太陽!夏ってやっぱりプールだもん!)

その119

「めんどうなのに…」
「そう思ってるのは、きっと正男くんだけだよ!」

正男の表情は、相変わらずさえない。
虫の話をしていたときは、あんなに生き生きとしていたのに…。
やっぱり泳げないのを気にしているんだろうか。
でも、それだけだったら…水を好きになってもらえば、きっと大丈夫!!
わたしは、ぐずぐずしている正男の手を引っ張って、プールサイドにあがった。

 ――ピーッ!

「休憩時間でーす!
 みなさん、プールから上がってください。」
わたしたちがプールサイドに上がった瞬間、ホイッスルが響いた。
「あっ、ちょうど『きゅうけい』になっちゃったね。
 みんな、プールから出なくちゃいけない…みたいだし。」

最後の『みたい』という言い方は
正男がプールに来ていないからだと思った。
わたしはプールが好きで公営のプールにもよくいった。
そこでは、安全のために30分に一度はみんなを水からあがらせるのだ。
ここも、半分、公営だから、きっと同じなのね。
「休み時間って、10分か15分くらいかな?」
「う~ん…よくわかんない…」

正男に尋ねても意味がなかった。
よく考えれば、休憩時間のことを彼が知っているわけがない。
…と、後ろから足音が聴こえ、わたしのすぐ後ろでとまった。

「15分です。」

聞き覚えのある声だった。
振り返ると、そこには…。
「正男くんの…お姉さんですか。」
「あ、さっきの…?」
「さきほどは失礼しました。
 だれもいないはずの教室から音が聞こえたもので…」

着替えていたときに、顔を出した男の人が立っていた。

その120

「石橋先生?
 さっきって?
 おねえちゃんと、どっかで会ったの?」
「あ、いや…それは…その…」

ひどく照れたような感じで返答に困る石橋先生!
「ね…ねっ!! いつの間に会ったの??」

正男が畳み掛ける。
わたしは体育座りをしたまま『先生』を見上げた。
上にはTシャツ、下は短パンの水着だ。
(体育の先生?
 ううん、小学校だし…どの教科も教えてるのかなあ)

それにしても若い。
まだ20代前半にしか見えない。
(かっこいい…かも?)

「あ、わかった!
 お姉ちゃんの着替えをのぞいたんでしょ!?」
正男が大きな声を出したものだから
休憩中のおばさまたちが、驚いてこちらを見た。
「い…いや…だから、それは…」

大ピンチの石橋先生。
これって、わたしが助け舟を出すべき?
でも面白そうだし、このまま様子みてようかなあ。
「わあーっ! やっぱりそうなんだ」
「い…いや…ちゃんとは…みてない」

正男がにやっと笑った。
こういうときって絶対よからぬことを考えているはず。
「へえ…そうなんだ!
 ちゃんとは見てないけど…ちょっとは見たってこと?」

少しの失言を見逃さず
的確に急所に切り込んでいく。
正男って、ぼうっとしてそうで、意外にしたたかものだったりして…。

「よ…よわったなあ…」
(おいおい、弱らないでよっ!)

これ以上黙っていると
正男のことだ…なにを言い出すかわからない。
石橋先生って、ちょっとかっこいいし
これ以上困らせるのってなんだかしのびない気もしてた。

「ちがうわよ…まさおくん!」


それだけ言うと、わたしはもう一度石橋先生を見上げた。

 

その121

照れたような笑顔がわたしに向けられる。
うっ…ちょっとどころじゃなく、めちゃかっこいい。
その笑顔に、わたしの胸はどきりとした。

「うん?なにがちがうの?
 …あっ、わかった!!」

わたしと先生を交互に見ていた正男が再び口を開く。

「おねえちゃんのこと、
 かわいいって思って…だからでしょ?
 …だめだよっ!!ぜったいだめ!」

正男は口をとがらせて先生の膝をばしっとたたいた。
意外に大きな音がひびく。

「いてっ!!
 正男、そんなにたたくなよ」

正男の口調は冗談ぽかったけど、半分本気のように見えた。
先生は、ますます困っている。

(先生が教室をのぞいたのは、
 そういうんじゃないと思うけど…)

「まさおくん、違うって!」
「うん? そうじゃないの?」
(思い込み、はげしすぎでしょ)

「ほら、わたし蚕を見てられなくて…
 それでとなりの教室にいっちゃったでしょ?」
「だから?」

正男はまだ、ぶうっとした顔をしている。
先生が言った。

「正男、ごめんな。
 まさか2年の教室に、お姉さんがいるとは思わなくって…
 あそこは使ってない教室だから、音がしたんでつい、のぞいたんだ。
 すまん。」

先生はぺこんと頭を下げた。
素直に生徒に頭を下げられるなんて…この先生すごい。
正男は腰に手を当てながら、うんうんと深くうなずいた。

「分かれば、いいんだ!」

先生の顔がくずれて、大笑いし始めた。

「こら、正男!!
 めったにプールにも来ないくせに、偉そうだぞ!!」

 

その122

「さ、休憩時間のうちに
 準備体操しておいてください。
 正男のおねえさん!なんなら一緒にしますよ?」

先生のその言葉が、わたしには気になった。

(わたし、正男の
 おねえさんじゃないんだけどな…)

「あのう…わたし…
 正男の姉じゃなくて、いとこです。
 あきと呼んでください!」
「おねえちゃん、
 先生に名前なんか教えなくていいよ!」

それには答えず、先生はわたしに言った。
無視された正男、ますますいじけそう(笑)

「簡単でもいいから、
 手足をほぐしておいてください。
 水中で足がつったりすると、背の立つ深さでも危ないですから。
 特に膝や足首の関節と足の指、それにふくらはぎの筋肉はつりやすいので…
 こんなふうに」

先生が屈伸運動をするのをまねして、
わたしも足を曲げ伸ばしした。

「こら!正男もしなさい!
 めったに入らないんだから、
 よけいにやっておかないと、体が水でびっくりするぞ!」
「はあい…」

正男も不満顔ながら、手足を動かした。
先生が腕の時計を見た。

「15分たった。時間だ」

ピーィッ…と、首にかけたホイッスルを鳴らす。
バスタオルを肩からかけて、
プールサイドに座っていたおばさんたちが、よっこらしょ…と腰を上げた。
ぺたぺたと歩きまわっていた子どもたちは、
わあっ…と歓声をあげながら、水に飛び込もうとする。
ピピピッ…と、先生が再び、笛を吹く。

「はい、は~い!!
 あわててはいらない!!
 あぶないよっ!!」
「ねえ、まさおくん、わたしたちも行こうよ?」
「う…ん」
わたしは、もじもじする正男の手を引っ張った。

その123

隣の浅いプールからは、
幼稚園くらいの小さな子たちの歓声が聞こえてくる。
私たちの入っているプールは、
3年生くらいからでないと入れないらしく、
それほどはしゃいでいる声はない。

おばさまたちは、世間話というのだろうか、
(あんた、昨日のテレビみた?
 いやいや、そうじゃなくって…はははっ…)
みたいな感じで笑いながら、
ゆっくりとプールを縦に行き来している。

やっぱり、どう考えても
ふつうの小学校のプールとは思えない。
市営プールと提携してる?とかなんとか言ってたけど
だからなのかなって、妙なところで感心するわたしだった。

日差しがまぶしい。
水面がきらきらとひかって、揺れている。
水に手を入れてみた。
さすがは南国、鹿児島だ…水は、まったく冷たくない

早く水の中に体をひたしたい。
日なた水が体にまとわりつくあの感じがすき…
もぐったり、はしゃいだりするのもいいけれど、
水の上で仰向けになって、手足を思い切り伸ばしてみたかった。

「さ、行くわよ」

なおも気が進まない様子の正男だったが、
わたしに続いて、プールへ入る階段をしぶしぶ下りはじめた。
躊躇する正男を残して先にわたしがプールに入った。

(わあ…気持ちいい!)

それほど深くはない。
わたしの胸が隠れるか隠れないかくらいの深さだった。
ちょっとだけ膝を曲げて肩まで水に浸かってみた。
そしてそのまま、ぶくぶく…と水にもぐった。
ぼこぼこっ…という息を吐く音に、子どもたちの歓声がくぐもって交じる。

ざばっ、と顔を出し、ふうっ…と息をつく。
(そういえば…正男は?)

 

その124

振り向くと、すぐ横に正男がいた。
しょんぼりした感じで、ひどく元気がない。
「どうしたの?」
「うん…」

陸に上がった河童…じゃない、水に落とされた猫?
「立ってるだけじゃ、つまらないよ?
 …もしかして…泳げないの?」

正男は泳げないのではないだろうか。
まさか全然ってことないよね?
とにかく聞いてみることにする。

「ぼく…プールでは泳げないんだ。
 こういうところでもぐるのも、ちょっと…」
(そっか…泳げないのか…
 でも、泳げなくても、こうして水につかるだけでも嬉しいのになあ…)

よし、ここはわたしの出番だ。
正男にもプールが好きになってもらわなくっちゃ!
(うん?そういえば、お風呂では平気でもぐってたけど…)

「水に顔をつけるのは、できるの?
 お風呂では平気だったよね?」
「お風呂はあったかいから大丈夫なの…」
(う~ん、意味が、よくわからない…)

「ねえ、なんで、プールがきらいなの?
 まさおくん、運動だったらなんでも得意だと思ってた。」
「うんと前…小さいころは、きらいじゃなかったんだけど…」

泳げないのが恥ずかしいんだろうか?
でも、そればかりではなさそうだ。
なんだろう。
ゆっくり聞いた方がいいかも。
陽に当たって熱くなった肩を水に沈めて、首だけ出して正男を見上げる。

「そうなの?
 わたしも実は、あんまり泳げないの。
 気持ちいいのが好きなだけ。
 そうやってると肩が熱くなあい?水につかると気持ちいいよ?」

わたしは正男の腕をとり、そっとひっぱった。
正男も首まで水につかる。
わたしたちは水面から顔を見合わせた。

その125

「こうやっておねえちゃんが、
 手、にぎっててくれれば大丈夫なんだけど…」

言葉はさっきまでのずうずうしい正男といっしょだが、
口調にも表情にもまったく元気がない。
心細そうな感じ…。
「前に、なにかあったの?ちっちゃいとき?」
「うん…あっちのプールでね…3年生のとき…」

正男は子どもたちがはしゃいでいる、幼児用の浅いプールの方をちらっと振り向いた。
(3年生?あっちのプールって、
 2年生くらいまでじゃなかったっけ?)

小学校のころのことなので、よく覚えていない。
それはおいといて、とにかく話を聞かなくちゃ…。
「どうしたの?」

不安そうな正男の手をしっかりにぎりながら正男に聞いた。
「ぼく…まだ身長がぎりぎり115センチなくって。
 今いるこのプールに入れなかったんだ。」
「うん」
「あと、1センチだったんだ…
 でも、くやしかったから、だめって言われてたのに、
 こっちへ来て、入ったんだ。」
「それって…このプールで?
 足つけたまま…顔、全部出せた…?」
「うん、背伸びすれば、どうにか息はできたんだ。
 それに、こっちのプールの方がなんだかかっこいいかなって…」

(気持ち、わかる気がする…)

「それで…?」
「うん、初めは、手すりの近くで遊んでたんだけど
 そのうち、真ん中にいきたくなったの…」

わたしは黙ってきいていた。

「そしたら、足が吊っちゃって…おぼれた。」
「まわりに人はいなかったの?」
「いた…上級生の人が助けてくれたんだけどよく覚えてない。
 気がついたら、保健室で寝てたから…」
「それ…すごく…こわかったね…」

 

その126

「うん、こわかった。
 そのときから、水のプールは苦手なんだ…」
「もしかして…それからずっと泳いでないの?」
「うん、ただ、水の中歩くだけ…」

正男は、水がこわいのだ。
プールにきても、手すりにそって歩くだけだった。
そんなんじゃ、プールなんて行きたくないのも当然だよね。

「でも…このままずっと泳げないままでいいの?」
「それは、泳げれば楽しいとは思うけど…」
「じゃ、一緒に練習しようよ。」
「水…息がつまりそうでこわい。」

わたしはプールだということで、はしゃいでいたけど
正男は、まったく、うきうきではなかったみたいだ。
このままじゃ、正男、かわいそう…。
(うん、まずは、少しずつ…)

「ねえ、立ったまま顔をつけてみて。
 わたしが腕をもっててあげるから、大丈夫。」

わたしは正男の両ひじを支えるようにした。
「ぜったい離さないでね。」
「うん。さ、やってみて。」

おそるおそる、といった感じで正男は水面に顔を伏せた。
しかし一瞬で、ざばりと顔を上げててしまう。
ふうっ…と息を吐き、
「やっぱりなんだか、こわいんだ…」と言う正男。

もう少しがまんさせられる、いい方法はないだろうか。
と、突然、いっしょにお風呂に入っていたときのことを思い出した。
(あのとき正男は…いきなりもぐって…
 わたしの真正面に浮かび上がったってきたよね…)

そのあとわたしと正男は…裸で抱き合って、そして…
「おねえちゃん、どうしたの?」
「う、ううん、なんでもない。」
わたしはあわてて首をふった。
(やだ…変なこと思い出しちゃった。)

その127

あっ!そうか。
正男は顔をつけられないわけではない。
現に、お風呂では大丈夫だったのだし…。
だったらプールでももぐることは、できるはず。
…でも正男は、お風呂とは違うと言いそうだ。
(あのときみたいにするにはどうすれば…あっ!)

いいことを思いついた。
ちょっと恥ずかしいけど、うまく正男を乗せられるかもしれない。
わたしはプールに体を沈めながら正男に言った。

「ねえ、正男くん。
 わたしといっしょにもぐってみない?
 こわかったら、わたしに抱きついてもいいから…」
(やばいなあ…わたし、だんだん大胆になってる気が…)

「おねえちゃんといっしょに?
 …それならだいじょうぶかも。」

正男はにこりと無邪気に笑った。
笑い返してうなずきながら、ちょっと警戒するわたし。
(この笑顔…なんにも考えてなさそうだけど、
 でも、しっかり、したごころがあったりするのよね…)

そう思いつつも正男が泳げるようになるのなら、
ちょっとくらい触られてもいいかなって思う。
一瞬、大胆になったと思ったが、それどころか…
くっつかれるくらい、なんとも思わなくなっている自分がちょっとこわい。

「じゃあいくよ?
 いち、に、さんでもぐるの。」
「うん。いち、に…」

さん!と二人いっしょに叫ぶと、ざぶんと水にもぐった。

…ぼこぼこっと泡がたちのぼる。
ぎゅっと目をつぶった正男の顔が、わたしの前で揺れている。
くちびるも、かたくむすばれて、いかにもがまんしているっていう感じだ。
わたしはおかしくなって、そのほおを両手ではさんだ。
すると、正男がはっとしたように目を開いた。

 

その128

そしてあせったように、首を振った。
正男が浮上していく。

  ざばっ!

わたしたちはいっしょに水から頭を出した。
正男が、はあはあと息を切らしている。
「すごい!長くもぐれたじゃない!
 正男くんならできると思ったんだ。」
「び、びっくりした!
 おねえちゃん、急に顔にさわるんだもん。」

ふふっと笑って、わたしは正男に言った。
「水の中だったら、もっとさわりっこしてもいいよ?
 正男くんががんばるんなら…」
「ほんとに?」

正男の目が急に輝いた。
(よし!やっぱり乗ってきた。)

「でも、頭までもぐらないとだめだからね。
 水の外だと、みんなに見えちゃうでしょ?」
「よおし!いくよ?せーの、いち、に…」

正男が自分からかけ声をかける。
(なんて、げんきんなやつだ…)

「さん!」で少し伸び上がって勢いをつけると
正男はざぶっ!と水にもぐった。
わたしもいっしょに、すっと体を沈める。
見ると…今度は正男は目を開けていた。
口が笑っている。
(なあんだ、やっぱり平気なんじゃない。
 もしかしてこわいとかって言ってたの、うそ?)

わたしに甘えたくて、こわいふりをしていただけ?
だとしたらわたしは、まんまと正男の手にはまったことになる。
(まあいいか。プールなんだし、ちょっとくらい…)
やっぱりわたし、かなり大胆になってるかも…
すると正男はもぐったまま、わたしの両腕をつかんで体を寄せてきた。

(今だ!)

わたしは腕をつかまれたまま、
ひじを持ち上げながら1、2歩後ずさった。
水中で正男の足が浮いた。

その129

あっ…というように、正男がとまどうのがわかった。
わたしは水から頭を出そうと、曲げた膝を伸ばした。
正男の腕に力が入る。
わたしの腕を支えにして、正男の顔も浮き上がる。
「ほら!正男くん、浮いてるよ!できたじゃない!」

正男はわたしの腕をつかんで、必死に足をばたばたさせている。
水しぶきがあがり、後ろにいたおばさんがびっくりしてそれを避けた。
「あっ、すみません!」

わたしは正男のひじをつかんで、向きを変えた。
ひとしきりばたばたやってから、正男は足をついた。
「はあはあ…疲れた…ずるいよ、おねえちゃん。
 さわっていいって言ったのに。」

正男は不満そうだ。
「だって、泳げるようになってほしいんだもの。
 いっしょに並んで泳げたらうれしいなって思って。」
「ぜったい無理…。
 手を放されたら浮いてるのもできないよ、ぼく。」

いや、そんなことはないはずだ。
人間の身体は浮くようにできてるって言うし!
もぐってわたしに近づいてきたんだから…
そう考えたとき、わたしはふとひらめいた。
(待って…浮かんで泳がせなくってもいいのかも?
 潜水だって、りっぱな泳ぎ方だよね?)

「ねえ、正男くん。
 手をつないで、もぐって泳いでみようよ。
 それならできるよ、きっと。」
「ええっ?だめだよ。
 足をプールの底から離すの、こわいよ。」

「そんなことないよ。
 お風呂でもぐって、わたしのところまで泳いできたでしょ?」
「だって…あれは…」

正男はどこかきまり悪そうな顔で、頭に手をやって口ごもった。
「だって、なあに?」

その130

笑顔を正男に向け、できるだけ優しく聞いてやる。
正男と同じくらいの年の女の子が泳いできた。
そして…わたしたちの横でいったん立ち上がる。
「こんにちは!」

わたしが話しかけると、その子もすぐに
「こんにちは…」と返事を返した。

彼女は、わたしと正男を交互に見ていたが、また泳いでいった。
(うっ、あの視線って好奇の目?)

わたしたちは歩きも泳ぎもせずに、プールの端で話ばかりしている。
そんな小学生の男の子と中学生の女の子の組み合わせなんて、
もしかしたら変に見えるのかもしれない。
「あれはお風呂で、はだかだったから…
 こんなパンツはいてて、水だし、
 広いプールだし…ほんとにこわいんだ。」

(う~ん、こわいって言うのは、
 まんざらうそじゃないみたいね。だったら…)

「わたしも、潜水はあんまり得意じゃないの。
 正男くんの方がうまいかもよ。
 だからいっしょに練習しようよ。」
「どうやって?」

「もぐって歩くだけ。
 それならこわくないでしょ?
 足も離さなくっていいから。」
「え~?ほんとはもぐるのもこわいんだけど…」

正男はまだ、しぶい顔をしている。
「ね?手つないでてあげるから。」
「う~ん、それならいいよ。
 約束もあるもんね。」

正男はやっとうなずいた。
(約束ってなんだっけ?)

一瞬思ったけど、正男の気が変わっては大変だ。
はやくもぐらせなくちゃと、わたしは正男の手をとった。
「じゃあいくよ?いち、に」
さん、でわたしたちは再びプールにもぐった。
ぶくぶくという水の音。人の声がくぐもって聞こえてくる。

その131

正男がわたしの顔を見ている。
水中で目を開けられるだけでもすごい。
わたしは、無言のまま、右手で前を指さした。
(歩こう、という意味)

まあ、水のなかだし、話せるわけないもんね。
しかし、水の中を歩いて進むのは、
顔を出して歩くよりも水の抵抗が大きいから大変でしょ?
足を離して泳いでしまった方が楽だから、自然に足が浮いちゃう。

わたしは、そのまま正男の右側で泳いで進みはじめた。
正男の腕がわたしに引っぱられる。

わわわわわ…というような音…声が水の中を伝わってくる。
正男が何か言っている。
わたしに抗議しているようだ。
(でも、そんなの無視!)

すると…
(えっ?)

急に体が重くなった。
驚いて振り返ると、わたしの腰に腕が回されている。
(ちょ、ちょっと…)

腰から胸へ手が上がってくる。
正男の両手が、ぐいとわたしの胸をわしづかみにした。
水中に引っぱられる…!はずかしいなんて、感じてる余裕はない。

(おぼれるっ!)

あせって浮上する。

――書きながら思ったこと――

ひと夏の思い出を書いてるだけなんだけど
書きながら思うことがある。
それって、わたしも正男も、とんでもない子供だったのかなってこと…。

こうして大人になって思い返してみると
やってることが、とんでもないでしょう?
当時も、親にばれるとまずいなってどっかで思ってた。
でも、それほど、変なことしてる気はなくって
ふたりで楽しい秘密の遊びをしてる感じだった。

それに両方の親は、わたしたちのこと
まだまだ子供だと思ってたみたいだしね。

でも…それでも…

 

その132

一緒にお風呂入ったりすること、全然気にしなかったのかな。
ちょっと聞いてみたい気もするけど
いまさら話すのもなんだし…まあ、いっか(笑)

――ということで、また夏の日に戻ります――

ざぶっ!!
「重いよ、正男くん!おぼれちゃうよ!」

今度はわたしが正男に抗議する。
正男が口をとがらせながら言った。
「だって約束でしょ。さわってもいいって…」

そうだった。忘れていた(われながら、おいおい)
「それに、がんばって足を離したんだよ。
 そうしないとくっつけないもん…」

そうか、とわたしは気づいた。
泳いでいるわたしの腰や胸を触る…
ということは、自分も足を離して泳いでいなくては無理だ。

しがみついたのはおいといて、ここはほめてあげるべき?
「えらかったね!
 やっぱり泳げるんだよ、正男くん!」

へへっ、と正男が胸を張る。
「でね、触ってくるのはべつにいいんだけど…」

うんうん、と正男は、めっちゃうれしそうだ。
ほんとうはよくはないけど、この際しかたない(かな?)
「あんなにしがみついたら、重くて泳げないの。
 ふたりとも沈んじゃうでしょ?」
「そっか…重くしなければいいんだよね?
 わかった。じゃあ、気をつけてさわるから。」

(気をつけて触るって、どういう…)

正男はあいかわらず、無邪気ににこにこしている。
何かたくらんでるような気がする…
だけどとにかく乗ってきてるんだし、今のうちに泳がせなくっちゃ。

「じゃあもう1回いくよ?手をつないで…」

1、2、3!
ざぶんとわたしたちはもぐった。

その133

…壁がすぐそこにある。
何も考えずにもぐったのだが、プールサイドぎわだったのに気づいた。
都合のいいことに、プールに下りてくる金属の階段もそこにある。

(ちょうどよかったかも。こうやって握って…)

隅っこの方がこわくないのか、
正男も自然に階段の棒を握って、わたしと並んで足をばたつかせた。
わたしの手に、正男が手を重ねてくる。
正男に笑いかけると、正男もわたしに笑顔を向けた。
水中で笑えるってことは、もう水が怖くないのかな?

(いつも、これくらいなら、かわいいんだけど。え?なに?)

正男がわたしの腕をつかんで顔を近づけてくる。
…まさか…キスするつもりなんじゃ?

(水の中で?
 そんなことできるくらいだったら
 泳ぐ方がよっぽど簡単じゃない! まったくもう…)

わたしはおかしくなって、足でプールの壁をけってそこを離れようとした。
正男はぶくぶく言いながらついてこようとする。
うふっ…ついてこれるものなら、がんばってついてきてよね。
せっかくのプールなのだ。
このさいだし、わたしは、思いっきり泳ぐことにした。

と、そのときだった。

(あっ!!いたいっ!)

体を伸ばした瞬間、わたしは右のふくらはぎに強い痛みを感じた。

(足がつった!)

あせったわたしは、プールの底に足をついて立ち上がろうとする。
しかし、頭が水中から出たとき…
足がすべってまたざぶりと水にもぐってしまった。
わたしは、ますますあせった。
息がつまる…だれかがわたしの腕をつかんでいる…

音が遠ざかる。
息ができない…すっと目の前が黒くなっいく……。

 

その134

ふと目を開く。
太陽の光がまぶしくて、わたしは何度もまばたきをする。
熱いコンクリートに手足が触れる。
気がつくと、わたしはプールサイドで横になっていた。

「おねえちゃん!よかった…」

正男が上からわたしを見下ろしている。
「わたし…おぼれたの?」

体を起こそうとするわたしに、横から石橋先生が言った。
「急に起きないで!
 ゆっくりゆっくり起きるように。
 脳しんとう起こすといけないから。」
「は…はい…。」
「足がつったんだね?
 水に沈んでしまったの見て、すぐに引き上げたんだ。」

よく見ると、周りをみんなが取り囲んでいる。
おばさんや小さな子供たちも、心配そうに、わたしを見ていた。
先生の言葉に、わたしは恥ずかしくなった。
「すみません。迷惑かけちゃって…」

さっき正男のばた足で水をかけられたおばさんが、
「そんなことないよ。
 よかったねえ、たいしたことなくって。」

と、わたしに話しかけた。
わたしの体にはいつの間にかバスタオルがかけられている。
体を起こしたわたしはたいへんなことに気づき、
慌ててバスタオルを前にかきよせた。

(あっ!う、うそ…)

水着がお腹まで下ろされて、胸がはだけられている?
思わず先生を見あげると、
石橋先生はきまり悪いような顔でわたしに頭を下げた。
「すまない、胸部圧迫するのにどうしても…。
 見えないように胸の上からバスタオルを掛けてから…。」
「……」
「ち、直接は見てないから安心してください。」

一瞬何を言われているのかわからずに先生の顔を見つめる。
先生の顔が赤くなり、すぐに意味がわかった。