大好きな祖父の話

わたしが学生になり、一人暮らしを始めた年のことだった。
ひとりになったばかりのとき、ひどいホームシックにかかった。 
わたしはずっといい子だった。
親のいうことをよくきき、言いつけを守り
ほんとにいいお子さんですねと…まわりからも言われた。

事実、親もそう思っていたにちがいない…。
でもわたしの内面はちがっていた。
人に言われる前に気持ちを先読みして気に入られるように振る舞っているだけ。
そんな自分に、わたしは嫌気がさしていた。

自由になりたい…もっと思いのままに生きてみたい。
わたしは学生になれたことを口実にしてひとり暮らしを始めることにした。
それなのに…何でホームシックになんてなってしまうのだろう。
淋しさに耐えられず5月の声をきいたわたしは母に手紙を書いた。

お砂糖入れを買ったのだとか…
花屋のミニミニカーネーションが可愛くて買っちゃった。
今、部屋に飾ってあるよ…とか、とりとめのないことを、手紙にしたためた。
母からはすぐに返事がきた…しかも速達で…。
そこには優しい言葉が書いてあった。

『元気でいますか。
 いつも一緒にいた、あきがいなくなって
 おかあさんはすごくさみしい思いでいます。
 勉強大変かもしれないけれどいつでも応援しています』

最後に手紙をもらえて嬉しかったと結んであった。
…見慣れた母の文字を追うだけで涙が流れた。

学生になって始めての夏休みになった。
飛ぶようにして実家に帰った。
懐かしかったのは最初のころだけ…
しばらくいるうちに、わたしはまたひとりになりたくなった。
夏休みは、まだたくさん残っていたが、レポートの課題を口実にまた実家を離れようと思った。

本当はレポートなどないのだ。
嘘をつく。また嫌な自分が顔をのぞかせている…。

「お母さん、あのね…」

話しかけようとするわたしを、母がさえぎった。

「おじいちゃんの具合が悪いの」
「いなかのおじいちゃん?」
「うん…おばあちゃんから連絡あって、もうだめみたい…」

急な話に驚きを隠せない。
家に帰って3週間ほど過ぎていたのに、一度も祖父の話など出ていなかったのだから…。
2日前に祖母から連絡があったことを母は話してくれた。

「おじいちゃんってまだ60歳にもなってないよね?
「うん…でも、もう助からないみたい」
「そうなの?」
「だから、あっていらっしゃい」

祖父は鹿児島に住んでいる。
市会議員をしていた祖父の家は、人が集まりいつも賑やかな家だったそうだ。
しかし、いまは祖父の家には祖母がいるだけ。祖父は…病院に入院している。

「いく。すぐにいく。」

飛行機の手配をしてもらい、わたしはすぐに鹿児島へ向かった。
空港に降り立ち、すぐに祖母の家に向かう。
タクシーの車窓から外をのぞく。田舎の雰囲気がそのまま残っている。
最後にここを訪れたのは中学2年の夏休み…。
母に連れられて、いとこの正男にあいにきたとき以来だ。
そのときには祖父母には会っていない…。

祖父に最語にあったのは小学6年の冬休み。
それまでは毎年のようにあっていた祖父と祖母だった。
というか…小学生のうちは夏休みと冬休みには、祖父の家に預けられていた。

会えていたころの祖父、当時の祖父は元気だった。
博識でどんな話にでもついてこられる。
いつでも楽しくさせてくれる。優しくて誰の気持ちでも瞬時によみとれる。
どこに出しても自慢できる人。
すごく大事で、すごく大好き…それがわたしの祖父だった。

それなのに、中学生になり部活動を始めだしてからは
どこかにいくことは減ってしまい
当然のように祖父や祖母が待つ鹿児島にいくこともなくなっていた。

二人暮らしの祖父母…さみしかったかもしれないよね…。
近くに母の兄夫婦はいたのだけれど、祖父母たちとの交流はあまりなかったようだ。
あんなに毎年のように会っていたというのに6年ぶりに会う祖父と祖母。
長くはないという母の言葉を思い出し知らず知らず涙が出ていた。

タクシーが祖母のうちについた…。

こどものときのように裏庭に行き、お勝手のドアを開く。
鍵はかかっていない。きしんだ音を立ててドアが開く。

「おばあちゃん!」

すぐには返事がない。もう一度呼ぶ。

「おばあちゃん!!」
「あき…ちゃん…かえ?」
「うん、あきだよ」

祖母が嬉しそうに奥からでてきた。
かわってない…。
もっと悲しそうにしているかと思ったけれど
以前と同じ…いつもにこやかで笑みを絶やさぬ祖母がいる。

「元気にしてた?」
「うん…あきちゃんは?」
「わたしは…いつも元気!」

いつもと変わらない。
この大きな家にひとりで住んでいること以外は…。
昔ながらの旧家だ。
部屋も多く掃除が大変だろうに
どの部屋もいつも綺麗にしてあった。

離れには、大きな蔵があり珍しいものがたくさんあった。
昔の硬貨などもたくさんあって、わたしのお気に入りは2銭銅貨。
みんなは2銭銅貨って知ってるかな?すごく大きいの…。
どれくらいかというと…小さかったわたしの手のひらと同じくらいに。

楽しい思い出がたくさんある…祖父母の家。
6年の歳月が一気に縮んでいく。
3人で食事をしていたテーブルがある。
足が届かないわたしのために足長の椅子が用意してあったことを思い出す。

祖母には、わたしの何十倍もの思い出が詰まった家なんだと思う。
かわらないと思っていても、実は少しずつ変わっていく。
祖母は毎日どんな思いで生きているのだろう…。

「こうして来てくれただけで有難いよ」ぽつんと祖母が言った。
「いつだって飛んでくる」

もっと頻繁にくればよかったと思いながら祖母と話をする。

「おじいちゃん、具合が悪いってきいたよ」
「そうさね…もう長くない」
「そんなに悪いの?」
「うん…わるい…ねぇ……。」 祖母の顔が一瞬曇った。

「あいに、いかなくちゃ」
「うん、あきちゃんと会えるのを楽しみにしてるよ!」

祖母につれられて病院についた。そして祖父に会った。

「あき…か?」
「う…うん」
「よくきたな!」そう言って目を細める祖父。

糖尿病が悪化して癌にも侵されている。
血流が悪くなり、足の壊疽がはじまったため
足首から下を切断したのだと祖母からきいていた。
寝たきりになってしまい、自力でトイレにいくことも無理になっていると聞かされている。

話をきいたときには、なんてつらいんだろ…大変なんだろ…って思っていた。
でも…祖父は明るく笑っていた。
昔と同じように笑顔で笑って出迎えてくれた。

病室につくまでは、何を話せばいいのだろう
…どんな顔で会えばいいのだろうと思っていた。
しかし、そんな不安は祖父が消し去ってくれた。
祖父とたくさんの話をした。いろんな昔話に花が咲いた。

そういえば将棋を教えてくれたのも祖父。
6枚落ちでもまったく歯が立たなくて、悔しくて何度も何度も挑戦した。
学校で将棋が流行ったことがあって、意外にもわたしが一番強かったんだよ…
きっとおじいちゃんの教え方がうまかったんだと思う。

最後にこんな話になった…。

「あきは…また生まれてこられるとしたら何になりたい?」
「考えたこともない…おじいちゃんは?」
「もちろん、あきのおじいちゃんに生まれてきたい」
「同じ人生でもいいの?」
「ああ、同じ人生がいい」

「……」
「あきも、また、あきで生まれてきたいと思えるようになる」
「……」
「自分を大好きになれる」
「ほんとうに?」
「ああ、おじいちゃんが保障する!!」

その年の秋、祖父は亡くなった。
祖父の生き方は自分の趣味や楽しみを優先させる生き方ではなかった。
たえず誰かとかかわりあって、その人たちとのつながりを大事に生きていた。

『むずかしく考えなくていい。
 ただ、身近な人を見つめていればいい。
 その人が困っていることがわかったら…あきはどうするのかな
 何もできない?できなくてもいい…。
 どうにかしてあげられたらいいなって思えるだけでもあきの存在価値はある』

小さな文字かも知れない。
ひとりのための発信かも知れない。
でも発信したいって思うからこうやってコメントを書いている。

今なら言える。

「何度だって、あきで生まれてきたい。
 おじいちゃんの孫で生まれてきたいと!」

     大好きな祖父の話  --おしまい--

追伸

『ナイスバディのおねいちゃんになりたいのぅ』
と祖父が言い残したとしても全然不思議じゃないんです。
それくらい、面白い人だったから。

絶対に人に手をあげない人だったみたい。
祖母も祖父に怒られたことなんかないと思うし
母も祖父に感情的な叱られ方はされたことがないと言ってました。
そこだけは立派かな。
強いからって威張る人は最低だもんね。

あとはお酒が飲めない。
飲み会とかどうしてたのかな…。
それとかけごともしない人だったんですよ。


でも祖母以外の女性がいた時期があるらしく
『あれはひどかったよね』と、
母と祖母でそのときの悪口きいたこともあります。
本人は『もう時効だ』と言ってたけど。
そういうわけで決して聖人君子なんてことはないんです。

問題は確かにある人だっただろうけど
わたしには最高の祖父だったのは間違いないです。
いつだって優しくていつだって大切に思ってくれていた。
だからやっぱりおじいちゃんの孫で生まれたい。
今度は糖尿病なんかにならずに長生きして欲しいな。

 

   ………そして………


『甘いものは控えてねっ』って言ってあげなくちゃ!