自分だと思っている『私』とは何でしょうか?
魂の学びをする前までは思考(頭)と肉体が私だと思っていました。
でも本当は霊体=魂が真我であり本当の私なのです。
亡くなると魂が抜けて天に昇った=昇天したと言うけれど、誰も生きている時に魂の存在を意識していません。
何なら魂の存在すら知らなかったりします。
実は私の中に二人の私、自我(思考と感情)と真我(魂)がいて
自我は3次元の見えている世界に重きを置いて信じる傾向があります。
真我(魂)は見えないので感じるしかありません。
魂は愛や信頼、希望、調和、生命、神、宇宙など色々変換できます。
先日、大阪で劇団四季『ウィキッド』を観てきました。
観劇は2回目で今回は前回と感じるポイントが違いました。1回目↓
大阪、京都から帰ってきた翌日、映画『室井慎次 生き続ける者』を観ました。
ネットからお借りしました。ありがとうございました。
この二つに共通しているポイントがあり、それが今回深くハートに響きました。
それはどんなことかと言いますと
愛は変容を起こし、周りに伝播していく。
少し前に観た映画『八犬伝』でも深く感じたところです。
真剣に自分の中の愛・正義【真我】に忠実に生きると、
自我(エゴ)で生きている人にとってはその人に対して面倒くさかったり、鬱陶しかったり、軋轢が起きたりします。
なぜなら自我と真我は水と油のように性質が違うからです。自我は怖れを、真我は愛をベースにしています。
真我に目覚めている人が圧倒的に少ないので、理解されず孤立したりします。
けれども、真我=愛で生きている人の磁力が徐々に周りの人に伝播して、愛の光がじわじわと確実に少しずつ届いていって、闇のような心を照らしていくのです。
愛は変容を起こさせます。
その様子が描かれている三つの作品に、大きくハートを揺さぶられました。
その一つである『室井慎次 生き続ける者』
内容はネタバレになるので詳細は言えませんが、
地味で言葉少なげな室井さんの言動、佇まいが愛と正義に基づいていて、
見ているだけで癒されると同時にハートが熱くなります。
彼は以前の仕事で良かれと思って人を裁いてきたことが、必ずしも世の中を平和にしてこなかったことに気づきを得て、ゆるす人生を選んでいく。
ゆるすことでしか愛・平和にならないのです。
私も魂のレッスンでカルマの法則、鏡の法則など宇宙の法則から自分と向き合い照らし合わせて自我を知り、一つ一つ癒してゆるして手放してきました。
自我(頭)で生きる人生から
真我=愛(ハート)を生きる人生にする覚悟を決めました。
そこにしか本当の喜び、幸せはないからです。
今、師匠から霊性を高めるセッションを定期的に受けながら、
生徒さんに魂のレッスンを教えています。
先日、自我で生きるか真我で生きるか迷っている生徒さんに、本気で真我で生きる覚悟があるのか突きつけました。
真剣に自分と向き合い、真我=愛を生きる覚悟が定まった途端、現実がスムーズに動き出しました。
「自分の流れを整えることで、外側の現実の流れがよくなりますね」
とのこと。
本当に真我を意識して宇宙の法則に則って日々過ごしていると
三方良しで誰もが心穏やかに笑顔になり、シンクロや思いもかけないことが起こるのです。
愛【真我】を生きる覚悟、それに尽きます
この頃、映画や舞台、身の回りのことから切に感じています。
『ウィキッド』を鑑賞する前に、師匠から教えて頂いて、大阪ステーションホテルの29階で季節のパフェをまみちゃんと頂きました❤️
ラウンジに行くと
「ちょうど窓際の席が空いたところです」と。
真我を生きると、完璧なタイミングで扉が開いていきます✨
29階の高い視点で、魂の象徴であるチョウ🦋が飾りつけてある宝石のようなブドウのパフェ✨
メッセージが満載で至福のひとときでした。
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