
マイミクでアメンバーでもあるMiyoさんと定例でランチをして、宇宙とかエネルギーとかスピ系話題ですごい楽しいのですが
今日はそこに、同じくリコネクションつながりの、マイミクViola さんが参加しました☆
彼女はなんと私が昔やっていた仕事のクライアントだった事もある某大手出版社の編集者さんなのです

ひーかっこええ

新しい風をまた運んできてくれた。
また好きで尊敬できるお友達が増えて、かなり嬉しかったのでした

リコネクションやった人とは、妙に感覚が合うので、楽しいのう。
生きている音楽ってあるんだなって思う。
横浜の馬車道に、シンフォニックメディスンというスタジオがあり、
ピアニストで、鍼灸師でもあるRryuさんという方がいる。
なにをかくそう
私はRryu's Worldの美しさに、やられてしまったのです!Σ(´Д` )
彼の音楽を聞いていると
音のスピリットが、ふわりと立ち上がり、はっきりと脈を打ち始め、彼が音をたたいている頭上で美しく舞い踊り始めるのが、まるで見えるような気がするのです。
実は、今までいろんなヒーリングミュージックというものを聞いてきましたが
ここまで音のスピリットが生きている音楽ってあまりない、と思います。
表面的に癒しっぽい曲はある。
けど、そういう曲は、本当に体の具合が悪かったり、本当に癒しが必要なときに聴いてしまうと、よけいイライラするのです。(少なくとも私はそうでしたのよ)
でも、Rryuさんの音は違うってはっきりわかります。
彼がピアノをたたくと、頭がオフになり、体が喜ぶのが分かります。
フリースタイルのピアノ演奏。即興らしいです。
多分、即興でしか、得られないものというものがあるんだろうな。
その時、その場所、そこに居る人々、そこにしかない要素をRryuさんが感じ、ピアノを弾く。だからこそ音のスピリットもRryuさんの感性に生かされ、生き生きと舞い踊ることができるのかもしれない。
人それぞれにそれぞれの内に秘めた美しさが誰にでもあると思うのだけど、それを惜しげもなく表現し、人を魅了出来るというのは、すごく、すごーく羨ましい才能だなあと思うのです。
きっと人それぞれ、それをいろんな形で開花させるために生きてる、とも言えるのかもしれないですね。
開花。それは実は何かを新しく学ぶというより
いらないものとっぱらってとっぱらって
その人固有の、出てくる魂の純粋さ、輝き、美しさを表現することに集中するということなのかもしれない[m:66]
思い出しつづけること。
ある人はアーティストで、ある人は先生として、ある人はお母さんとして、女性として、男性として。
Rryuさんはピアニストとして。
余談ですが実は彼がチネイザンの一期生だったというのは、偶然って言ったら出来すぎな偶然です(笑)(私は二期生です。)
そして彼が持っている会社がエンジェリック・レコーズ。
ここにも天使がいたんですね
Rryuさんの曲はこちらで聴けます
http://www.youtube.com/watch?v=DK6EGuBxHqE
http://www.youtube.com/watch?v=b6Tp-gX1WgA
http://www.youtube.com/watch?v=UOjazQQkZ9g
また、毎週土曜日夜7時会場、7時半開演で、コラボでのライブをやっています。
シンフォニックメディスンのURLはこちら
http://www.symphonicmedicine.com/
工事中なんですけど、連絡先は分かります。
入場料1000円だって。ワインとかコーヒーもあり。
場所はみなとみらい線馬車道駅から徒歩0分!(3番出口目の前)
ライブではヒーリングというより、ロックやジャズとかいろいろやっているみたいです。
横浜deデート♪または、散策の帰りにでもふらっと寄ってみると面白いかも♪
先週、三日間のゲシュタルトプラクティスを終えました。
直後は頭がオフになっていたため、すぐに書けなかった
右脳は動くのだが左脳が動かないというか。
今でも一番、自分の中でしっくりきたのはクリスが言うところの”Wider Awareness”かな。
二人ペアで組んで、そのうちの一人がExplorer(探求者)、もう一人がSupporter(サポートする人)になるわけですが。
探求者はひたすら、「今、自分は何を感じているか」を体の感覚などでとらえて行き、
その感覚をリアルタイムに近い感じで口に出して行くのです。
「今、左肩が重くなりました」とか
「今、小指が痒くなったことに気づきました」とかひたすら言う。自分のために。
Supporterはただ、それを聞いているだけ。
でも、たまに「一緒に、聞いているよ。一緒に感じているよ」という意思表示として「エコー」(探求者と同じ言葉を繰り返す)というのをします。
要は、ただ単に一緒にいるだけ。感じてるだけ。
そこで特にアクティブな行動はしない。
それが、目からウロコだった!「あーこれかー」って感じ。マンガでよく気がついた時に電球がつくみたいな(笑)
普段、能動の海、つまり「Being」より「Doing」の世界に浸っていて、それが良いとされている世の中で生きている私たちにとって、関係というのは何かについて話す「会話」がとても大切だと思っているふしがある。
でもWider Awareness=「気づきの幅を、一点集中型から、もっと拡大して気づく」
そうすると、会話=思考で得られる情報より、もっと深くて広い部分の情報に気がつくことに、気がつきました。
チネイザンとかやっているときに、普通にやっていることだったんだけど、こういう形で気がつくのも面白い。
なんつーか、日本語って難しいなあ。っていうか、感じたものを言葉で表すのって、難しい・・・あ、途中で挫折・・・(笑)
左脳主体で話しをしている間には気がつかなかったことが(再挑戦♪)
ゆるっと体全体をゆるめて、でも意識を明確に保って体全体で相手の存在を、黙って感じてみる
そうすると、相手の存在そのものが、会話主体の時とは違う感覚で感じられてくるん
です。
思考ではなくて、有機体としての体全体で「今ここ」に触れてみる
相手を感じながら、
同じぐらい自分の内側も感じてみるのです。
ただ何も変えようとせずに、ただ共にいる。
これが出来るというのが、すごーく贅沢なことなのよ!とクリスが言っていた。
うむー私もそう思うわ。
だからといって話すのやめようとかいうことじゃなくて、そーいうのも、あるんよにー、って感じ。
これはまさに瞑想とか、特にダークルーム瞑想とか(一日以上完璧な暗闇で瞑想、自分や相手を感じる)
チネイザンなどのボディワークにもつながってくるにゃー
というのが、発見でした。
人間って、やっぱり頭じゃなくて、体やエネルギーの生き物だから
だからボディワークは瞑想が大事なんらなー
そうすると、Narrow Awareness(点での気付き)と同時にWider Awareness(広範囲の気づき)を持っていることで、自分の願望というものが、エゴ的なとんがったものからちょっと変わってくるんじゃないかなー
それがまた、受容という限りない豊かさだなー、ってことは女性性に代表される「受容」のエネルギーは
今の時代すごく大切なんですよね。
と、思いました。
明日はChiexさんとこで女性性のワークショップでヴィーナス瞑想の誘導をします♪ http://chiex.info/
楽しみです。
ども。自分の深いところに入ってふにゃふにゃになって帰ってきた私です。
この三連休、ふんぱつして本格的ワークショップに参加してきました。
その名も、クリスティン・プライス 「ゲシュタルト・アウェアネス・プラクティス」
この間はブリージング行ったり、
連日自己探求しまくっていて、自分でもよーやるわと思いますが。
やりたいときは、「もーやらなくていーや」って本気で思うまでやろうかと(笑)
まだここには書かないけど、このワークショップでちょっとした区切りになりそうな気づきもありました。
まだ明日あるのですが・・・・
クリスは、エサレンの創始者である、リチャードという人の奥さんです。
彼女に聞いたら、なんと40年もこのワークをやっているそうです。
クラクラ~[m:60]そんなに長く、やってるんだあ。
彼女の微笑みからは優しいエネルギーが伝わってきて、私のハートが開きます。いいな~ ああいう女性は素敵だ~。
なぜこのワークにピンときたか。
それは「もし壊れているなら、直さない」という概念があるからです。
それはまさしく東洋的、タオや仏教などとつながるものがあるのです。
私はそれが好き。
直したくなる時もあるし、直して得られる恩恵もあるけど。
でもどっかで、もういいじゃん、壊れてたってさあ。
って思う自分も、両方いるのです。
その壊れている部分が、ねえ、まずはその手をあてて、私を感じてよ、って言ってくるからです。
その後、何をするかは分かりませんが、まずはありのまま、そこに「こんにちは」をして、一緒に居たいという気持ちもあるのです。
でもそこには恐怖や、居心地の悪さもあります。
だからこそ、人は自分の内部ではなく、外部に、その居心地の悪さを忘れるために、刺激を求めます。
テレビ、タバコ、お酒、友達、恋人、などなど。
自分を忘れさせてくれる刺激。
でもその恐怖は、幻想かもしれない、と思う自分がいるのです。
とにかく自分を変えること迫られることが多いこの世の中。
その変えることをやめてみることが、実は一番大きな「変えること」だったりする、とクリスは言います。
多くのセラピーは、ネガティブなものや、自分が望まないもの、取り除きたいもの、変えたいものに焦点をあててワークします。
ある程度までは、いいと思うんだけど、そればっかりだと、自分そのものが「治さなくてはいけないもの」のように思えてくる。
放っておけば、治さなくてはならないものが溜まってくる。
私はそれは本当かな?って思うのです。
このゲシュタルトのプラクティスは、好きなもの、嫌いなもの、ありがたいこと、悲しいこと、焦点を当てる先は、なんでもいいのです。
いいものも、悪いものも、全てに気づくこと。
そして、まず問題だと思っていることに入っていく前に、自分を生かしてくれているものにも焦点を当てます。
そうすると、どうでしょう。
普段「当たり前」だと思っていたのに、実は自分が沢山のものに生かされてここに居ることに気がつきます♪
治さなきゃいけないものって、ほんの少しなんじゃないかな?
つい文句を言ってしまうとき、その時はその問題がとても大きく見える。
でもちょっと俯瞰で見てみれば、
自分に与えれられているものの中で、不満を言っている部分って、比率からしたら小さいのかもしれない。
そして、それが実は自分の偏った思考ではない、真実なのです。
まず水があって、空気があって、土、空、雲。
座っている椅子。自分が寝ることが出来るベッド。
全てが、地球や、多くの人の貢献があって、自分が享受できるものです。
自分だと思っているこの体でさえ。
そうは言っても、「愛情」というものが足りなくて、緊急を要するような、虐待などで苦しんでいる子供や、女性もいると思います。
そういう場合にはそういうシェルター的なものや、緊急セラピーなどが必要になってくると思う。
でも、そうじゃなくて、とりあえず健康で、日々普通に仕事出来る人たち。
そういう人向けに、このワークはいいんじゃないかなあと思いました。
まず気づくということ。
それは意識の光を、自分の暗闇に埋もれいていた部分にあてるということ。
気づき、ということそれ自体が、癒しです。
気づき、そしてそれと共にいる。
喜びも、悲しみも、寂しさも、イライラも、ワクワクも。
今、自分が何を感じているのか。外では何が起こっているのか。
Take your time to notice it and connect with it.
Ride as it is.
Be confortable with uncertainty with not knowing what it is.
今ここで自分が感じていること、ありのままに感じること。
それは訓練すべきスキルだと、クリスはいいます。
スピリットガイドに何かをお願いしても
まずは信頼して委ねることとも通じてくる気がします。
さて、ここ二日間でやったこと。以下覚書。
○「今」ここにある自分の体の感覚に気づき、それを表現する
○その感じている感情を、体の感覚にまで落とし込み、それを表現する
○自分が感じていることに深く入っていく人を、心おきなくそれが出来るように体に触ったりしてサポートする
○自分が沢山のことに生かされていることに気がつき、その自分を生かすリソース(資源)となるものを、口に出して言う。
○自分が気になっているもの、好きなもの嫌いなもの、なんでもいいからその対象に言いたいことを語りかける、そして今度は反対にその対象になってみる。
んなわけで、えらそーに書いちゃったかもしれないけど、
なんかそんな気持ちだったんで!
祭壇は、自分が得ている「自分を生かしてくれるものたち」を思い出すための、ツールだってクリスが言っていたけど、
私も毎朝のお祈りの時に、実践していますが、そう思います。