11月12日、13日で、宮城の気仙沼へ行ってきました~晴れ

Thank you for the worldという、ボランティアバスツアーを通して。

ずっと現場に行きたいとずっと思っていて、やっと実現した感じです。仕事したなかったら何ヶ月かは行っていたビックリマーク

R u b y い ろ


当日、作業を行う現場に行きました。なんにもない光景。一面真っ平らなのです。

ただその中に、コンクリートで出来たかつて家の土台だった部分が、地面から40センチほどの高さで一軒一軒続いています。

そう、なんにもないそこは、かつての住宅地。

海に目をやると、大きな車道の橋がかかっています。そのおおきな橋が途中で終わっています。津波で橋が流されたのですね。

テレビで見た、あの場所。家が丸ごと土台から外れて流されていった場所です。

そこでひたすら草むしりしました。

「あ、ここはトイレだ」

「ここはお風呂場?」

などとみんなでわいわい言いながら。初めて会った人同士が多いんだけど、結構みんな一つになってやっていました晴れ

土を掘り返して、草を抜いていると、

虫が本当に居ないことに気がつきます。

ミミズとか、幼虫とか、出てきてもよさそうなのに。

どうやら、海水のせいらしいのです。




復興ってなんでしょうか。

またそこに、前と同じように家を建てることなのかなあ。

それとも違う場所に、前と同じように家を建てることなのかなあ。





震災があって、原発がこんなことになって、もうこのまま「便利」なだけを突き進むことは出来ないって明白だよね。(原発は便利かって?実は全くそうではないと思うけど。だってほかの方法があるから)

今の人間の社会や、考え方は、とても脆弱なものを基盤にしているんだな。

何が復興なんだろう?

これを機会に学ばなければならないことがあります。

基本は他力本願だって、前に書いたけど、

本当にその「他力」を大切にしないと、自分で自分を殺してることと同じになってしまう。

がんばらなきゃ、成功しなきゃ、前に突き進まなきゃ、って高度成長とかでやってきたのかもしれないけど、

がんばることはいいんだけど、「他力」に生かされている自分という前提がないと、結局は同じことになるよね。

人間の狭い頭で考えた便利って、自然に生かされている人間にとっては本当に小さいものです。

かといって、私だって、いろんな便利の恩恵にあずかっていて、結構楽しんですらいるけど。

便利を全く止めて後戻りすればいいということでもなくて、

きっと自分の「ルーツ」「源」「大きなものの力」を、まずは感じることから始めることがとても重要なんだと思う。

私にとってそれは、瞑想、気功(呼吸)、ボディワーク、セクシャリティかな。

あとは自然に触れること。最近はアゼツライトとかの石に触れるのもその一つ。

こういったものは人間の頭で考えたものを軽々と超えている。

肉体も、顔はいくら笑って嘘をつくことができても、首から下は正直ですよね。

「永遠の意識である、より高い存在がわたしたちの意識に話しかける唯一の手段が肉体なのだ。」

って今日送られてきたメールにマルロ・モーガンという人の言葉が載っていた。





永遠の意識の源によって完璧に機能している私の体。

結局「他力」と自分は同じなんだね。

邪魔しているのは恐怖によって肥大した本人のアタマだけなのかも。




な~んて書いてますけどビックリマーク

最近、太陽にあたったり、星を見てバカみたいにぼーっとしてるだけで結構幸せに感じることが多くなったラブラブ

そういうときは何もしたくなくなるショック!

なんとなく、その「理由のない幸せ感」を感じれるようになった自分が嬉しいし、実はそれがとても重要なんじゃないかと思う