『愛慕(あいぼ)の情から憂いが生じ、愛慕の情から恐れが生じる。
愛慕の情を離れた者には憂いがない。まして恐れなど何処にもない。』
恐れは愛と同じように、大切に大事に思う気持ちから生まれる。
それら(情愛)を手放したときヒトは、もう恐れる事も傷付く事さえも何もない。。
すなわち
もう、どーでもいい。
の。。。
人間関係において利害が生じない場合であっても(私の主観ですが)
『与えられ与える』『想い想われる』
って大切なんやと思います。
感性の違う人とこれらの話をすると100パー全否定されますが(汗)
ギブアンドテイク
ではなく
愛は求めるものではなく惜しみなく与えるものだ。
そういう心を感じる、持ってはる方を私は本当に尊敬します。
(決して嫌味じゃなく)
とても素晴らしいと本当に思います。一分の見返りをも求めない愛。
私は一方通行の愛情って親子関係であったり(スミマセン。私は親子愛も無条件で絶対的なものだと思っていません。)
税金対策や売名、自己マンなどではない本当の意味での深い慈悲愛からの寄付や労力。
でしか存在しないんじゃないかと考えています。
こだまでしょーか?いーえ、だれでも。
やと思うんです。
金子みすずさんの先か後か!くらいで思ってましたもん、私。www
微笑みかければ微笑み返してくれる。
ありがとう。の言葉からありがとうのキモチに繋がる。。
そう思うのです。
咲いてくれないお花に延々とお水を与え続けられるような仏様にもアホにもワテはなれまへん。
(もしや100年後くらいに咲いてくれるかもしれませんが、、)
ヒトはどれだけ願っても、当たり前のものだと思っていても、時として失う。
想いが深いもの程それによって傷付く。
自業自得なものから、あらがう事が出来ない運命的なものまで。
それは、大切に愛でていた証。
想いの深さと比例して痛みの足跡もその分深く残るのだ。
感情移入しない相手には傷付けられることもないから
裏切られよーが、低い対応とられよーが
『くそ~むかつくのぉ!!でも、ま、えっか、しゃーないか。チャオ!』
ってなところか(爆)
じゃ、私もその温度でいいやん~どうでもいいやん~って最近なれるようにやっとなれたところかな。
そうせな毛ぇ何本あっても足らんわ。
人の命も気持ちも・・・。
強くて弱くて尊とくて儚いのだ。
だからこそいつか失う覚悟を持ってしてでも、大切な人をより大切に想い、尊重し、
たくさんたくさん愛でていこう。
感謝しよう。
大切に想う人に少しでも同じ気持ちになってもらえる自分になれるように。
いつか、さようならが来る日まで。