7人の花嫁 -128ページ目
10年前 この地に 引越したとき
車がなかった
だから 職場は 歩いて行けるところ
限定 時は 冬
歩いて ドラッグストアに
アルバイトが見つかり
歩いて通勤
この市だけなのか?
歩道
幅は人二人 通れる
雪がつもり
国道沿いに出勤したら
高さ 腰ぐらいまで 雪があった
お店があれば
その前だけ除雪してある
仕方なく
ズボッと 雪道の車道を
歩いて
バイトにいった
誰も通らない
一足ごとに 長靴に雪が
入る
しもやけで悩んだ
っていうか なんで除雪せんのや
という怒りが あった
自治体問題ありと思ったが
近年 お店が増え
小型の除雪車で あの
雪道は軽減
しかしだれも 踏んでいない
雪道を歩くのは
勇気もいるし 辛い
でも だれも けがされてない
道を歩く
妙な醍醐味がある
ザクッ ザック
笠地蔵の気持ち
あんまり しつこいのも
どうかと思い
あまり 娘たちに電話しない
今日は
次女 学校から手紙がきたので
その件で電話
愛おしい
長女に電話
病院に行く日の 調整
主治医が同じと 年末やお互いの
仕事の時間帯が違うので 調整
私 恥ずかしながら
中高と 一番 結婚しないであろう
と 男子 女子にも
思われていた
結婚したとき 子供が生まれた時
みんな びっくりして
そんなに親しくない 同級生が
こぞって
長女の顔を見に来た
本音を言うと 神様 仏様は
私に 二人の女の子を 授けてくれた
ことが 不思議で 奇跡としか
私は 母 妻 嫁 から
いつも 遠い 遠いところに
陣取っていた
娘たちは 大人になり
自分は 大人になりきれず
もがく
大人女性
どんな人?
と じゅうぶん 肉体は 大人なのに
心が ついていかない
まぁ このまま
進んで行く たぶん
私の祖母 父方の方
ある日 60代半ばで
私の母親の 親友の息子さんに
車で轢かれ
亡くなった
祖父が亡くなり
一人で生活していた
祖母は幸せだったんだろうか?
と ずっと疑問だった
おしゃべりな叔母が
祖母は
何年か 神戸で 飛行機工場で
働く 祖父と 神戸で
私の父と叔母を産み
戦争が激しくなる前
宝塚によく行っていた時が
幸せだったんじゃないかと
言う
私の母親 72歳で
4 、5 歳しか違わない 女が
夫殺し? 保険金で
世の中渡っていこうと
してるのに
若年性認知症になり
現在 施設で生活
お母さん 正直
晩年 とゆうか
シニア世代で 父が不倫して
私の家で
ものすごく肩身が狭そうに
生活してた
私も
夫との生活に 限界を感じ
母親は妹の家へ
72 72 72 若いのに
苦しいこと 辛いこと
思い出さないで
よかった と思う反面
もっと もっと
話したい
あの 温泉で 泊まる贅沢は
できなくても
総湯にいったり
話したいことが
たくさん
たくさん
でも 母は
両親 兄弟に
恵まれた
私の 母方の祖父 笠智衆さん
みたいな人だった
思い出すのは
母 ユキコさん おじぃちゃんの
ことばかり
人生 ずーーーっと
幸せなら いいかも
でも 幸せ かどうかは
本人しかわからない んじゃないかな
私 今は 波が激しい
安定がないから
でも 幸せ
ちょっと? 人 いわゆる
普通な 人生 から
ずれまくっている
夫とか 子供とか
一緒に ご飯を食べ
休日 あーでね こーでね
と 話たり
する生活をしてみたいとも
思う
しかし フルではないが
働けて
暖かい 部屋で こうして
ブログを つらつら書いてる私
ありがとう
さーて 本でも読むか
朝起きたら 一面白石世界
ではなかった
昨日からダッフルコート
長靴
スノーブラシ
スコップ
防寒対策 Tシャツ
昨日は 確かに雪があった
今日は強風 雷
うん よかったんだよ
昼過ぎから仕事
きっと 帰るころは
うっすら積もってる?
かも
雪の季節って
早朝から 除雪車の音で
うっすら目が覚める
子供じだいから
ずーっとそう
電車に閉じこめられ
長時間 我慢している
方達もいるのに
のほほんと している私
うーん
私 このひと月5キロ痩せた
理由?
たんにご飯食べないから
10キロ単位で痩せて 太って
おかげで 血管がもろくなった私
先月から 結構歩く
おかげで 普通にお腹もすくし
夜 眠れるようになってきた
今日は 上司の身内に
不幸があり
なんだかんだと
帰宅は9時過ぎ
いつもなら 夕食食べない
でも 食べた
お腹も痛くならなかった
体重をはかったら2キロふえてる
風船女だな
今さら遅いが 健康に
気をつける?ように
なった私
偉いぞ と
自分を 褒める
明日も仕事 本当は休み
がんばって 収入をふやし
母に 何かプレゼントしたいし
娘も
帰ってくるので
ささやかなご馳走
ささやかな幸せ
ささやかって言葉って
昭和の香りがするわー

