弥生時代の香りが漂って・・・
身近にたくさんの遺跡がありました
ご訪問ありがとうございます
平安朝香道の朝倉涼香です
寒さが身に 凍みる今日この頃
昼間はお日様が顔を見せて
暖かな陽射しが降り注いでいます。
先週のこと
一点集中のお買い物を
済ませた後
夕方までには時間があり
お天気がとても良かったので
都筑区にある
横浜市歴史博物館に
立ち寄りました。
博物館は、1995年1月の創設
27年は経っているのです。
近くに何十年も住んでいて
初めて足を踏み入れました。
子育てや仕事に忙しく
「いつか」
が随分と経ってしまったのです。
博物館のエントランスのホールから
2階へ登ると
原始から近現代までの
6つのブースに区切られ
その時代時代の横浜の様子や
使用された生活用品など
が展示してあります。
原始、古代、中世と回りましたが
ジックリ見すぎて
遺跡の門が閉まっては
大変
3階は屋上ですが
そこから陸橋を渡った小高い丘が
弥生時代の遺跡で
「大塚・歳勝土遺跡」
(おおつか・さいかちどいせき)
です。
見逃したブースは次の機会に。
急いで遺跡へと足を運びました。
市域には、旧石器から
各時代の遺跡が
約2500ヶ所在るそうで
見学できる遺跡や史跡は
ここも含め11ヶ所
その一つです
遺跡への入り口
この入口付近の感じ
何年か前の秋に登った
奈良の甘樫の丘に似ています
晩秋の枯葉の香りがして・・・
遺跡の前には
広い緑地と広場があり
たくさんの子供たちが
遊んでいました。
この大塚遺跡は
縄文時代から
継続してあるものではなく
弥生時代中期になって
営まれたムラの跡
とのことで現在は
弥生時代中期の遺跡
として復元されています。
横浜市域から出土した
土器は
神奈川県西部から
静岡県東部にかけての土器と
非常によく似ているそうです。
そのことから
弥生時代中期に
その地域から人々が移り住んだ
と考えられています。
鶴見川流域には
川筋に沿って台地上に数キロおきに
集落遺跡が在るそうです。
小さな集落も含め
鶴見川流域の遺跡は
弥生時代の集落の
地域的な構成を研究するには
貴重な存在なのだそうです。
環濠(集落の回りを囲む溝)
水を湛えない空の環濠
住居跡も再現
再現された竪穴式住居
高床式倉庫
港北ニュータウン計画のため
1970から20年かけて
268ヶ所の遺跡が調査されました。
発掘が終ると
その上に1mほどの土を被せ
その上に弥生時代中期の
ムラを再現したのだそうです。
その頃だったのか
確かではありませんが
このあたりを車で通ると
濃い緑の小高い丘とススキが見えていた
と記憶しています。
ほとんど何も無かった
その場所に今では
住宅が建ち、マンションが建ち並び
大きなショッピングモールが
いくつも出来て
考えられない変身をとげました。
この大塚遺跡から80m離れた
歳勝土遺跡には
縄文中期の集落
弥生時代後期の集落と墓地
中世の火葬墓が発見されています。
(地下1mには縄文早期から弥生時代
そして中世までの複合遺跡が存在)
目に見えているのは
再現された遺跡です。
方形周溝墓が25基
溝から出土した土器が
大塚遺跡の土器と同時期でしたので
大塚遺跡に住んでいた人々の
墓地とされています。
大塚・歳勝土遺跡は
弥生時代中期の
環濠集落と方形周溝墓が
一体となって発見され
関東地方での集落の全体像が
明らかにされたことで
学術的価値の高いものとして
1986年国史跡に指定されたのです。
このような価値の高い
遺跡だったのです
もう一つ
弥生時代当時、この辺りにあった
樹木が植えられていました。
クヌギ・コナラ・カシ・ケヤキ
です。
夏にはきっと
カブトムシやクワガタが
樹液を求めて
たくさん集まるのではないでしょうか。
時折、風に乗って舞落ちる
木の葉を見ながら
改めて遠い遠い過去の
祖先の営みに思いを馳せました。
知らないとは
罪ではありませんが
おもしろい事も見逃してしまう
残念なことなのですね~
半日足らずのことでしたが
1冊の本を読むよりも
楽しめたかもしれません。
歴史博物館の読み物が
とても役に立ちました。
知らなければ残念なことが
まだまだたくさんありましたが
また次の機会に訪れた時に
いたしましょう。