今日で丸3年。
3年前の今日、私の父は亡くなった。
中二病的に言うと、この麗しい星・地球での使命を終え、ここからまた新たな地を目指して独り孤独な旅に出かけた。
ほんま、たまに、今彼はどこに居てるんやろか・・・って思うことがある。
「どこにも居てない」 が正解なら、まじで納得できない。不思議だ。死は不思議だ。
今は会うことはできないけど、いつかまたどこかで会える、と思うようにしている。
そう考えると少し気が安らぐ。
宗教ってこういうところから生まれたりするのかもな、とぼんやり思う。
私自身はテキトウな仏教派。
「絶望」 という感情を初めて経験したのもこの時期だった気がする。
今まで感じてきた「絶望」なんて、たまたまその時の感情を言い表す言葉がそれに近かったから使ってきただけだったんだアホか、って過去の自分をあざ笑うほど、父の死の前に私を襲った感情はまさに本当の「絶望」だった。
丸3年経ち、やっと通常の日常が戻ってきたように思うが、
ここへきて何故か最近、とてつもなくまた絶望感が押し寄せたりする。
なんだろう、季節のせいか。寒いと余計に鬱スパイラルから抜け出せない。
「もう会えない」 が当たり前になり、それに慣れていく。
そうやって人間は生きていく。少しづつ忘れて生きていく。
ただ、悲しみや寂しさはたまにノックもせずに急に現れる。
塞ぎ込んでいては何も始まらないので、その悲しみを上回るような楽しみを求めてがむしゃらに動く。何かする。どこかに行く。誰かと会う。
そんな応急処置的な毎日の繰り返しで3年が過ぎたのかもしれない。
悲しみ、虚無感、死への恐怖、やるせなさ、無力感、一人残された母の心配、そしてもうどこにも居ないのだという絶望感、
そんなものは簡単には無くならず、きっとずっと私の側にあったのだろうが、
ずっと見ないように生きてきたのかもしれない。
ここ最近、何かと立ち止まって色々なことを考える毎日なのだが、やはり薄皮一枚めくるとそれらの感情はせきを切ったかのように溢れ出してしまう。
やっぱりまだ有ったようだ。
たまたま痛いと感じるか感じないかの違いで、肩は毎日ずっと四六時中凝ってはいる、というのと似ている。
向かい合って話し合って和解するには、どんな手段で挑めばいいのか見当もつかない手ごわい相手だが、たまにはこの感情とお話しなくてはいけないのかも、な。
そのうちうまいこと共存する方法が見つかるでしょう。という希望的観測。
スルーすると多分キレられる。
そしてここへ来て最近見始めた、撮りだめしていたドラマ 「結婚しない」。。。
まじで見るタイミングを誤ってしまった。
去年の秋ぐらいに放送してたのかな。満を持して今頃見てる。
独身30代負け犬あるあるがてんこ盛りのドラマです。。
それはもう、面白いぐらいのあるあるです。。
結婚も含め、今後の人生を考える身としては手痛い内容。共感しすぎてつらくなるw
心折れながらも、毎日1話づつ(恐る恐る)見てます。
天海祐希が言った台詞が印象的だった。
「寂しさはあるけどコーヒー飲んでやり過ごす」 みたいな感じの。
どんな状況の人間だってきっと、少なからず何かしらの不安や寂しさなんかを抱えて生きていると思う。
やっぱり、それとどう向き合うか、どう料理するか、、、、なのかなぁ。
男でも女でも。
父でも母でも。
既婚者でも独身でも。
子供が居ても居なくても。
仕事をしていても求職中でも。
みんなきっと何か抱えて生きてるんだろうなーーーーーー!
余談だが
30歳になったばかりの頃、
同い年の友人が言い放った名言が今も忘れられない。
「オンナは結婚しても大変、しなくても大変。。どないせーっちゅーねん」
男だってそうだろうが、これに関しては異論は認めない。
正月帰省時に、2月の命日にはまた帰るからね って母に言ったら
「 は? なにもせんよ 帰ってこなくていいよ」
・・・・・って言われたので、(-_-;)
今日、3回目の命日は私一人でひっそりと、
父の好きだったビールとおつまみとコーヒーとアイスとケーキとタバコを用意して、父を思い、
そして私が全部たいらげます♡
ま、しばらく、くよくよめそめそしながら日々コーヒー飲んでやり過ごそうと思いますが、(早速ぱくった)
色々考えたって1日で人生が激変するわけでもなく
結局今日を精一杯生きることしかできない。
でもこの精一杯生きる、って意外と難しくて具体的に何すりゃいいんだって、また凹んだりするんだけど、
私の最近の「精一杯生きる」は、「笑顔を作る」ことにしています。
だから努めてぎこちなく口角を上げて 「今わたし楽しいです」 って、脳に指令を出してます。
ぱくっていいよ。
死を憶い、今を生きます。
わたしは死ぬまで、精一杯生きていきます。