7月16日八幡平アスピーテライン見返り峠付近から
最近の日本人は以前にもまして、ある一つの方向に一斉に流れやすい傾向があるようです。それは、マスコミの流す情報があまりに偏っていることにも原因があります。
しかし、そうしたマスコミの報道に、いとも簡単に乗ってしまう私たち自身にも問題があるのではないでしょうか。何事も自分自身の責任で判断するのは人生の基本ですが、そこに大きな「穴」があいているような気がしてなりません。
その「穴」は、実をいうと、おかしな大人たちが家庭や学校、地域でおこなってきたおかしな教育がつくり出したものです。乾いた砂漠のようになんでも貪欲に吸収していく、人生でもっとも多感な10代のころ、受験目的の勉強ばかりさせられていては、頭でっかちになってしまいます。人間としていちばん大切な「心」を養うことなど、とてもおぼつきません。
その結果、ものごとを判断するときに必要とされる「心の眼」が曇ったりゆがんだりしている人、あるいはふさがれてしまった人であふれているのが、残念ながらいまの日本の現実なのです。
「国家百年の計」という言葉がありますが、大人の側にそうしたものが欠け、それを構想する「心」もズタズタという状態では、心身ともに健やかな人間が育つ道理がありません。いまの日本で政治や経済の中枢を担っている人たちを観察すると、私のそうした心配が現実になっているのではと、空恐ろしくなってしまいます。
それだけでもかなり不安なのに、人々を幸せにする役割を担う政治家としての「心」にも「穴」があいてしまっているのですから、この先どうなってしまうのか、私はいま、大いに心を痛めているところです。
いざというときに判断を誤ることのないよう、まずは私たち自身が「心の眼」を養い、日々努めることが大事なのではないでしょうか。
