<Ⅳ>スペインの哀しい王女(ドラマ・波乱のスペイン女王イサベルより) | 季節だより

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季節の移り変わりはグラデーション…
気が付くといつの間にか「春・夏・秋・冬」になっている。
移ろい行く中で感じたことをのんびりと書いていきます。

(記事中の写真の無断転載はご遠慮ください)

🍂秋来ぬと目にはさやかに見え

ども風の音にぞ驚かれぬる🍂

猛暑が続き秋の訪れが待ち遠しか

ったけれど…9月に入って夜半に

🦗の鳴き声や少しの風を感じ

ホッとする。

↓私の思う「ちいさい秋」

 

「ちいさい秋」この動画の背景映像は…

秋真っ只中の「おおきい秋」になってい

るけど…😅

サトウハチローの詩がとっても良い!

しかーし、作家佐藤愛子(ハチローの異

母妹)の「血脈」を読んで…晩年までの

ハチローの不良像…乱脈を極めた私生

活にめまいがした。実母を捨て若い女

優(佐藤愛子の母)にのめり込んだ父親

への反発が出発点ではあっても…自分

と弟4人共トコトン不良になって父親

に尻拭いをさせる…親の関心を引く為

の復讐。晩年はロリータ好みを通し周

囲を困惑させている。

🎎嬉しいひな祭り🍎リンゴの唄

🔔長崎の鐘等その詩は…可愛らしさ

・透明感・希望・荘厳に充ちている。

ハチローの複雑な心理の重層の1番底に

ある純粋な気持ち詩を紡ぐ時に一気に

ほとばしるのだろうか…。

 

その時ハチローは天才詩人に変貌する

 

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さてさて話は変わって…前記事の続き…

スペイン王室の末の王女から派生

したイングランド王国の物語。

 

ヘンリー8世(1537年)。

6人の妻たち。

 

1人目の妻…スペイン王室の末っ子で、

イングランドに嫁いだキャサリン。

ヘンリー8世は…キャサリンとスッタ

モンダの末、離婚できたが…ローマ

教皇庁と対立したので…イングランド

国教会を独立させ自らが国教会の首長

となった。自分の思い通りに教会を動

かせるようになった。2023年現在、

チャールズ3世国王がその地位にある。

 

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キャサリンと離婚係争中にヘンリーは…

キャサリンの侍女のアン・ブーリン

夢中になった。

 

↑国王との出会い(19世紀画)

 

2人目の妻…アン・ブーリン。

1533年1月15日、ヘンリーとアンは遂

に結婚した、アンは妊娠4ヶ月だった。

6月1日馬車でイングランド王妃として

戴冠式に臨んだ。しかしロンドン市民

の間では、依然としてキャサリン王妃

の人気は高く…この結婚に対して冷め

きっていて…まるでお葬式のような結婚

だったという。

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9月にアンが出産したのは女子(のちの

エリザベス1世)だった。男子生誕を渇

望していたヘンリーは落胆怒りが激し

かった。アンは又妊娠した。その間

ヘンリーは次々と浮気をした。浮気を

なじるアン。

結局、アンは王子を流産した…。

 

↑ハンプトン・コート宮殿。

アンとの結婚から2年後…ヘンリー

8世がこの城内でアンに対する陰謀を

企んだ。前王妃と同じ理由…

「結婚無効」にするために、アンに

仕える不満分子に、誹謗中傷の証言

をさせた。

 

↑ロンドン塔に送られたアン

5月2日

 

不貞の真相調査委員会が立ち上げられ、

1ヶ月も経たない内に次々逮捕者が出た。

⚫︎国王暗殺の容疑で反逆罪

⚫︎実弟との近親相姦罪

⚫︎4人の男との姦通罪

⚫︎魔術という

以上の罪で…死刑判決!

アンは斬首刑・5人の男達は絞首刑

 

1536年5月19日。

アンは…夫のヘンリー8世の慈悲で絞

首刑でも火あぶりでもなく斬首となっ

たと聞かされて…「首切り役人の腕は

いいかしら?」と尋ねたという。また、

アンが断首され首だけになった後

明らかに何かを話そうとしていたと

いう逸話がある。

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権力が1人の人間に集中すると…

その者は、自分以外の人間は虫ケラの

ように思えてくるのだろう。

今、正にプーチンが実証している。

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それから10日後にヘンリー8世は新しい

愛人のジェーン・シーモア結婚して

世間を驚かせた。

 

3人目の妻…ジェーン・シーモア。

 

彼女のキャリアは…ヘンリー8世の

1番目の妻キャサリン、次に2番目の

妻アン・ブーリンの侍女であった。

金髪・色白のジェーンは…アンと正反対

美女ではないが物静かで、ヘンリーに

言い返したことは一度も無かった。

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1537年10月12日難産の末に男子誕生!

…後のエドワード6世。

ジェーンは洗礼式に担架に乗せられて

出席。←この無理が良くなかった。

10月24日深夜に息を引き取った…。

 

遺児のエドワード。

エドワード6世…10才4ヶ月で即位。

 

16才の時、腕や足は異様にふくれあ

がり、肌は黒ずみ、髪が抜け落ちて

いった。激しい咳と痛みの下…1553年

7月6日…祈りの言葉を呟きながら息を

引き取った。16才9ヶ月の生涯だった。

 

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さてさてお次のお妃さまは?

4人目の妻…アン・オブ・クレーブズ。

今のドイツ…ユーリヒ=クレーフェ=

ベルク公ヴィルヘルム5世の姉。

ヘンリー8世は…側近に推薦されてアン

を迎えるが…お床入りも無く…

お気に召さず即離婚!

 

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しかしアンは…「王の妹」としての地位

を得て、2軒の家と十分な年金を約束さ

れて、平和裏に王のもとを去った。

渡辺みどり『英国王室物語』では、6人

の王妃の中で最も幸せな生涯を送った

人物としている。

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ヘンリーの好みじゃなかったんだろう。

無理して結婚したとして…離婚騒動に

発展したら…戦争への道に進むのは必定

だから…面倒臭いことを回避したのだろ

←少しは理性が残ってたのね…。

 

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少々お疲れ気味の方へ…

中世イングランドの

美しい景色をご覧あれ!

 

 

残る…妻二人ついては…

 

to be continued ……🌱〜〜🌱