高校のころ、友人が骨肉腫で死んだ。彼は世界的なオーボエ奏者を目指していて、実際いろいろなコンクールで金賞を取っていた。最愛の母を亡くしてからの彼はひたすらオーボエと音楽を愛していて、それに全身全霊、生活のすべてをささげているようだった。それなのに、腕に腫瘍ができ、腕を切断することになった。当然、オーボエは吹けない。彼は自暴自棄になった。
いつも柔和で知的で容姿端麗な彼にほのかな憧れを抱いていた私は、彼を見舞ってくれ、励ましてくれ、という周囲の声を無視した。ムーン・フェイスで毛の抜けた彼、やけになって叫んでいる彼を見るのが怖かった。そして、彼の辛さがいかほどのものか、想像できなかった。ただ転校してあまり会えなくなるだけのことで来る日も来る日も大泣きしていたくせに、余命宣告を受けた彼のことをまるで他人事のように「ああ、かわいそうに」程度にしか思えなかった。想像力、共感力は経験の量に比例する。彼の苦しみを知るには私は未熟すぎた。そのうちに病院に行こうと思っていたが、行く前に彼はあっけなく死んでしまった。
彼の死は悲しくなかった。彼の死を知らされた私はただ、何も感じずに母の言葉を聞いた。耳に膜が張っているような感じがした。ご飯を食べても味がしなかった。目の前にあるはずの光景が遠く見えた。どこかに体をぶつけても痛くなかった。痛さを確かめたくて手首を切ってみた。それでも、どうやっても、五感のすべてが薄かった。
学校へ行くと、模試や受験、恋愛なんかの話をさも大ごとのように語る人たちがいたけれど、彼らがみんな透明なガラスの観察箱の中を走り回る蟻みたいに見えた。かつて自分にとっても大事だったそういうことに何の意味があるのか、まったくわからなくなっていた。何もできなかった。友達と楽し気に会話しなくてはならないのが苦痛だった。だんだん、学校へ行かなくなった。
そんなある日、両親が何やら怒り狂って、兄の悪口を言っていた。兄と言ってもこれっぽっちも血のつながりはない、赤の他人だ。私が6歳の時に誰かの紹介でふらりとやってきて、3回ぐらい通ってきたかと思うとそのまま家に居ついてしまった。父親に勘当されて住むところもなかったし、家が気に入ったし、とかいうことだった。両親、特に母親は彼のことをいたく気に入っていた。がんの治療法を見つけたいという高い志と情熱、背が高く彫りの深い顔立ちで父に似ていて、よく実の親子に間違われた。彼は私よりも10歳も年上で、いつも忙しい両親の代わりに私の面倒を見てくれた。私にとって彼は遊び相手・話し相手であり、教師であり、親友であり、いつも味方してくれる兄だった。母が私よりも彼を可愛がっているようにしか見えなかったので、私は腹を立て、しょっちゅう「Yを追い出して!」「Y出ていけ!」などときつい言葉を発していた。そのたびに、母は「仲良くしなさい」と言って私を叱った。
それなのに、その母が悪言雑語の限りを尽くし、彼を責めているのだ。
なぜ?
(眠いので続きは明日。今日は過食症とか霊界探求のきっかけのきっかけの話でした)
☆ミニ日記:今日から一か月間、ヘミシンクを続けてみます。
ミニ日記