私はいくつかかなり悲しい経験をしたせいで、放っておくとすぐに死にたくなる。

でも、健康で十分に生きられる人間が死ぬのは卑怯なことだ。

死ぬ気でやれば何でもできる、なんて昔から言うけれど、

それが本当だとは思わない。

でも、やれる明けのことはやってみて

力尽きてから死のう。

死ぬなら絶望ではなく過労で死ぬ。

それなら神様だって許してくれるはずだ。

 

かつて親友がいた。

夢を語り合う友だった。

彼は世界的な音楽家を目指し

私は物理学者になって統一場理論を観戦することを夢見ていた。

彼は様々なコンクールで金賞をさらい、

私は全国模試でトップ5入りをキープした。

夢を語り合い励ましあう友。

でも、彼は命より大事だったその腕を切り落とさねばならなかった。

腕より足ならばよかったと、常人ではありえぬことを言っても、

誰もがさもありなんと思った。

なぜ、僕が余命一年なのか、と彼は問うた。

少し下を向いて話すとき、

長い前髪、長いまつ毛の奥で彼の黒めがちな目がいつも優しく光る

それを見るたび、木洩れ日みたいだと思って、愛しくてたまらなかったが

抗がん剤でムーンフェイスになった彼は頭髪もまつ毛もなくし、

彼の顔の上で裸になった目が落ち着きを失くして泳いでいた

なぜだ、なぜだ、ととめどなく悔し気に問い続ける彼から

私は逃げた。

あまり年の離れていない若い継母と彼は不仲だった。

だから、彼の友達の母親が彼に付き添っていた。

見舞いに来てくれと何度も病院から電話があった。

でも、私は受験だから、忙しいからと一度も見まいに行かなかった。

彼を見るのが怖かった。

答えられない問いを彼に突き付けられるのが怖かった。

だから、逃げ続けた。

しばらく隠れていれば、やがて彼が完治して退院してくるんじゃないかと

ありえないことを妄想した。

でも、当たり前のように彼は死んだ。

当たり前のように、狂わんばかりに苦しんで悩んで絶望して死んだ。

安らかな死なんか、なかった。

当たり前だ。

でも、私は後悔も同情も悲しみもしなかった。

ただ、彼と一緒に死んだ。

何も感じなくなった。

自分の夢が破れたように感じ

自分の将来が立たれ自分が死んだように感じた。

世界から音が消えた。

光も消えた。

学校へ行くと彼や私と同じ年の人たちが談笑し、将来を語っていた。

彼らと私の間には分厚いガラスの壁があった。

壁を越えたいとは思わなかった。

そうして何年も私はガラスの壁の中で生きていた。

その壁を破ってくれたのがA先生だ。

大学の宗教学の講義の最初の授業で

先生は言った。

宗教とは、信仰とは究極的関心です。

自分のすべてをささげるもの、全身全霊でコミットする対象が神、

そうする行為が宗教なのです。

愛は究極的関心です。

だから、一度でも本当に人を愛したことがある人は今日の講義を聞かなくてよろしい。

今すぐ出て行って結構です。今日は究極的関心の説明しかしませんから

と。

私は素直に教室を出た。

でも、その翌週から毎週、彼の講義に出席した。

夜間の部の授業や大学院の講義にも出た。

そこに永遠の命と愛と祈りのつながりを察知したからだ。

そして、私は心に誓った。

いつか、私の親友のように

死なねばならぬ人を力づけられる人間になって見せよう、と。

友にできなかったことを生涯をかけて償おうと。

実際、心理学や哲学や宗教を散々学んだけれど、

そこから彼を励ます言葉は得られなかった。

いや、言葉で励まそうとすることの下品さと欺瞞を理解した。

彼に寄り添い、ともに苦しむべきだった。

今なら、それが分かる。

今、どうすれば、それができるのだろう?

何かしなければならない。

たとえ一方的な誓いだったとしても、

彼に誓ったことを守ろう。

私の知り合いで自殺した人が三人いる。

 

いじめで自殺した人が二人。

失業し離婚して自殺した人が一人。

飛び降り、首つり、服毒。三人三様の死に方。

 

自殺するときって、今の私みたいな感じなのだろうか。

何とかしないといけないことは知っているし。

自分が勝手に絶望しているだけで全く救われる方法がないわけではないことも知っている。

 

でも、頭の中の無数にあるシナプスのうち、

一定の量が悲しいとかさみしいとか死にたいとかいう気持ちや、

死ねとか生きている価値がないと言われた記憶などで埋め尽くされると

後はドミノ倒しのように勝手に倒れていくんじゃないだろうか。

ビルから飛び降りた舌がもはや自力では止められないように、

誰かが無理やり止めてくれないと無理なんだ。

 

なのに、

連休で多分、当分、唯一私を止めてくれそうなあの人には会えない。

 

 

 

アヴィーチーの曲はたいてい好きだ。

 

で、歌詞を見直していると、大体いつも同じことを言っていることがよくわかる。

 

fade into darkness は君と僕と二人一緒なら、僕たちは暗闇の中に消えたりしない、という歌。

 

without you は大好きな君と別れてしまったら、家にいるのもイヤ、出かけるのもイヤ、

何をやるのも嫌で、どうしていいか途方に暮れる、という歌。

 

nightsは父から息子に送る言葉―いつかお前もこの世を去る時が来る。だから、記憶に残る人生を送りなさい。

 

wating for love はそのタイトル通り、いつか出会える本物の愛を信じて生きてゆくという歌。

 

wake me upは年を取って、もう土しようもなくなるまでは夢を見させていてくれ、という歌。

だけど、life is a game for everyone and love is the prizeという歌詞が気になる。人生は試合でその商品が愛だとしたら、愛を得られなければ敗者なんだな。

 

死後に発表されたheaven は君といると死んで天国にいるようだ、という歌。

 

そしてつい先日の命日にリリースされたSOSは僕のSOSが聞こえるかい?君が本物の恋人になってくれたら

ドラッグもいらないのに、という歌。

 

結局、いつも信じられる完全な愛を求め続けて、それさえあれば幸せだと信じて、

 

それが得られなくて死んでしまったんだな。

 

いつも愛し続けることはできる。誰よりも愛しい人のために尽くすことはできる。

でも、いつも自分が愛している人から愛されるとは限らない。

それは相手が決めることだから。

自分でどうしようもないこと、制御不能なことを自分の幸福の前提にしてはいけない。

それは自分の幸福を制御不能にすることだ。

相手次第で不幸になる―そういう破滅的な生き方は芸術的で美しいかもしれない。

でも、それは幸福から一番遠いところにある生き方だ。

 

aviciiの歌の歌詞はまるで自分のことを言っているようだ、といつも思う。

without youのように好きな人がいなければ、会えなければ、まして死んでしまえばやけくそになって

自殺でも人殺しでも何でもしてしまいそうな気分になる。

自分という存在がちっぽけでfade into darknessしてゆくようだ。

逆に好きな人がただ黙ってずっとそばにいてくれれば、ほかには何もいらない。heavenだ。

 

ちょうど、aviciiの命日の数日前に自殺することに決めたんだっけ。

きっと、私も今の思考回路を変えないと死ぬしかないんだろうな。