人は生きているのではなくて、生かされている。
つくづく、そう思います。
人には、この世で学ばなければならない課題(欠点の克服もそのうちのひとつ)があって、また、自分にしか伝えられない大切な何かを伝えたり、しなければならない使命がある。
それらを終えたら、この世とお別れとなるのではないかと思っています。
(魂はなくならず、もとの居た場所に帰るだけとも思っていますが)
「良い人ほど早く亡くなる」などとも言われますが、それもうなずけます。
早くしてお亡くなりになった方について思い浮かべてみると、この世で学ぶべきことを終え、また、この世でしなければならないことを全て終わらせてしまったのだなと、つくづく感じます。
(もとのいた場所に戻り、生まれ変わる準備を始めていると考えます)
また、早く天国に旅立たれた方からは、生かされている我々は学ぶべきことがたくさんあると思います。
逆に「憎まれっ子世にはばかる」ということわざがございますけれど
「憎まれっ子は長生きする」という意味ではないかもしれませんが、私なりの解釈では、人に憎まれるようなことをする人は、まだまだ学ぶべきことがたくさんあって、それに気づきなさい!と神様が生かしているような・・・そんな気がします。
では良い人は、全て短命なのか?と言えば必ずしもそうではないと思います。
まだこの世でしなければならないことや、人に伝えなけれはならないことが残っているから、生かされている。
ということは、まだまだこの世でしなければならない使命のようなものを見つけたなら、長く生かしてもらえるような、そんな気がしてなりません。
学びを終えて、使命も終えたら、また新しい使命を見つける。
神さまお願いします!新しい使命を見つけたので生かしてください
とお願いしたら、長く生かしてもらえるかもしれません。
どこかで「俺は80歳になったら、死ぬから」と言っていた方が、その通りコロっと亡くなってしまったというような話を耳にしたことがあります。
また、「長生きしたくない」と言う言葉もときどき耳にしますが、人生は30歳であれ、60歳であれ、90歳であれ120歳であったとしても終わってみれば「あっという間」だと思いますので、急ぐ必要はないような気がします。
また言霊とも言われるように、言った言葉が現実となってしまったり、影響してしまうこともあるかもしれません。
実際この世とのお別れが近づいたときには、「長生きしたくない」と言っていたことは忘れ「もっと生きたい」と思う方の方が多いのではないでしょうか。
「縁起でもない言葉は、使わない方がいいよな」とつくづく思った、8月終わりの夜でした。
生かしていただいていることに感謝し、精進したいと思います。