こんにちは。
変顔をさせたら右に出るものはいない(あくまで井上的視点です^ ^)4年トレーナーの前田佳穂です。
私は眉毛の可動域もめっちゃ広いので、もしかしたら人より表情筋が柔らかいのかもしれないですね。
変顔を褒められることも多く(何言ってるんでしょう本当に)、先日味を占めて写真を撮る時に勝手に変顔をしてしまったところ、ある同期から「もう少しお淑やかに生きなさい。」と怒られたので、反省しています。
変顔の話はこの辺にして、井上の日記を読んでいたら不覚にも気づいたら泣いていました。
井上と飯塚との思い出は本当にたくさんあります。
毎日のように色んな部の課題に対してミーティングをしたこと。腹を割ってお互い思っていることを何時間もかけて話したこと。彼女たちが大会の度にメダルをかけてくれたこと。部屋で恋バナや将来の話など他愛もない会話をしたこと。
私の代は新歓組で入部をした女子が私1人だったのですが、彼女たちが温かく迎え入れたことを本当に感謝しています。ありがとう。
そんなことを思い返していたら、なんだか想いが溢れ出てしまい、超絶長文になってしまいました。
死ぬほど暇な時に読んでください^ ^
それでは行きます。
突然ですが、皆さんはMr.Childrenの『彩り』という曲をご存知ですか?
聞いたことがないという人は是非歌詞に注目しながら聞いてみてほしいなと思います。
この曲には、私がトレーナーとして部に膨大な時間と労力と精神を注いできた理由が詰まっています。
私のボート部人生のテーマソングです。
自分が脚光を浴びることもなければ、直接この手で勝利を掴める訳でもない。
なのに、なぜ「トレーナー」を続けてきたのか。
よく聞かれるこの質問に、私はこう答えたいと思います。
「人生に『彩り』が加わるから」と。
遡ること2023年の4月3日。
私がボート部に出会った日です。
もうこの際本音を言いますが、最初にボート部の新歓に行った理由はただ1つ。
強引な勧誘を断れなかったからです。
NOと言えない日本人代表の私は、新歓の熱が入りに入りまくっている先輩たちに捕まり、気づいたら艇庫まで連れて来られていました。
正直最初は本当に全く入る気がなかったです。
大学に進学する際、保育科がある大学に進学しようとして受験をしていたくらい、入学当時から保育に興味があった私は、(じゃあなんで観光学部に入ったのかという話は長くなるので割愛します)大学は教育系のボランティアサークルに入るか、大学生らしい華やかなイメージがあった文化祭実行委員に入ろうかなという淡い妄想を抱いていたからです。
でも艇庫に来て、その考えが傾きました。
高校生の頃、私は人生で最初で最後であろう一目惚れを経験したのですが、その時に一瞬にして体中に電気が走ったような感覚に陥ったことを今でも覚えています。俗に言う、「ビビっと来た」というやつです。
その後も何をするにもその子のことが頭から離れず、直感で無意識のうちに選んだ恋は結局3年間の片思いに終わりましたが、自分的には後悔はなかったです。
すみません。私の恋バナはこの辺で置いといて、この話で何が言いたかったかというと、ボート部にも同じ現象が起きたということです。
さすがに電気が走るような感覚はなかったですが(笑)、どの新歓に行ってもなぜかボート部のことが頭から離れず、気づいたら他の団体の新歓をボート部と比べてしまっている自分がいました。
「本気で日本一を目指す人たちを支えたいと思ったから」
なんていうかっこいい入部理由を言えたらいいのですが、他の団体も色々見た結果、ボート部に出会って2週間で直感的に運命を感じ、入部を決めました。
自分でも言語化が難しいのですが、勝手に入部へ吸い寄せられていったみたいな感覚です。
さらに最初はマネージャーとしての入部を希望していました。
でもこれもまた運命のいたずら、たまたま新歓で仲良くなった子がトレーナーとして入部を検討しており、その子に便乗して一緒に宿泊体験をさせてもらうことになりました。
その日は先輩から色々トレーナーのやりがいや存在意義についてたくさん教えてもらって「かっこいいな〜」と思ったり、同期とトランプをして「寮生活って楽しいな〜」と思ったり、色々なポジティブな感情は味わいましたが、これもまた直感、明確な理由を言語化できないまま、流れに身を任せるように気づいたらトレーナーとして入部宣言をしていました。
今考えれば、先輩や既に入部をしていた同期たちは本気で日本一を目指せる仲間を探していたというのに、こんな直感を使いまくってボート部を選んでしまった自分が今になって恥ずかしいというか、申し訳ないというか、忍びない気持ちがありますが、そんなこんなで私のボート部人生がスタートしました。
入部して最初は、アスリート選抜以外の同期と陸トレに参加しました。
これが本当に嫌でした(笑)
高校時代、一応共学ではあったものの、プリントを回す時や、授業のペアワークの時など、男子とは必要最低限の会話しかしてこなかった私は、紛れもなく「男子恐怖症」でした。
そんな私が、陸トレを担当してくださっていた男子の4年生の先輩2人と、同期の男子7人、合計9人の大男の中に、1人で放り込まれる世界線が恐ろしすぎて、もう練習どころじゃありませんでした。
しかも、勉強に明け暮れた高校時代を過ごしていた私の体力は、高校からバリバリ運動部で活動していた男子たちの体力についていけるはずもなく、ウエイトの重りをいちいち私1人のためだけに軽くセッティングし直してもらうといった「絶対に私のせいで二度手間になっている」場面が多々あり、とっっっても気まずい日々を過ごしておりました。
コミュ障で男子の輪に入れず会話もできないし、シンプルに陸トレの練習もきついしで、入寮して1ヶ月、あまりの陸トレの辛さに、学部が一緒で毎日ほぼ同じ授業を取っていて既に仲良くなっていた岐部ちゃんを屋上に呼び出し、何時間も大号泣しました(笑)
「そんな気にせんでいいっちゃ!」とゴリゴリの日田弁で励ましてくれた岐部ちゃん、あの時はありがとうございました(笑)
でもうちの同期は優しいもので、みんなコミュ障の私に根気よく話しかけてくれたし、ウエイトも全然重量も回数も上がってないのに「いいねぇ!!」とか言ってめっちゃ盛り上げてくれました。
そんな彼らのおかげでだんだん陸トレの環境にも慣れていきました。
陸トレ組の皆さん、あの時は本当にありがとうございました。
⬆️シュミレーター中の陸トレ組
今もし同じメンツで陸トレをするとなったら、彼らよりエルゴぶん回してやろうだとか、ウエイトでもとんでもない重量あげてやろうというくらい意気込んで練習できるほどのメンタルになりましたし(彼らに敵わないことくらいは分かっています、彼らを舐めているとかいう訳ではなく、自分の気持ちの持ちようの話です)、彼らともしょーもない話ばっかりできるくらいになったので、当時の鬼悩みしている私に今の状況を見せてあげたいくらいです。
3年半の月日ってすごいですね^ ^
そんなこんなで1年生の夏までは、ただがむしゃらに1日1日を過ごしていた感覚でした。
ですが、1年生の秋学期、私のボート部人生で大きな転機が来ます。
それは、トレーナーの先輩が引退され、私1人のトレーナー生活が始まったことです。
こうなることは入部当時から分かっていたことですが、いざ本当にその状況になると、本当に不安でした。
全て自分で考えて行動に移さなければならないし、その行動全てに自分で責任を取らなくてはならない状況で、私が休んだら選手に仕事を代わらせることになってしまうというプレッシャーも勝手に感じ、少しくらいの体調不良なら気にしないとかいうレベルではなく、もはや体調不良を感じないという域にまで達していました。
そんな中で日々の業務にも追われ、「トレーナーとして本当に求められていることは何か」という心奥の部分まで向き合う余裕もなく、『ただ目の前に並べられた仕事を手際よくこなしていく』ことで精一杯の状況でした。
そして、歴代のトレーナーの先輩方は漕手経験者しかいないという中で、その先輩方の部への貢献度は言うまでもありません。
ボート経験もなければまだ部への知識も経験も乏しかった私は、偉大な先輩方への『憧れにはほど遠くて、手を伸ばしても届かなくて』、自分の無力さを実感し、私のトレーナーとしての存在意義はあるのかと、メンタルもだいぶ落ちました。
そしてこの存在意義の話に関して、自分の中でどんどん考えが膨らんでいき、最終的にはそもそも「トレーナー」というポジションは、本当にこの部に必要なのかと自分に問うようになりました。
正直に言って、私たちトレーナーがいなくても部は回ると思います。
マッサージも選手が自分でケアしようと思えばできるものだし、モーター出しも選手がやろうと思えばできるものだし、他の仕事もあげていくときりがないですが、このように、よくよく考えれば私たちの仕事はほとんどが+αだということに気づいてしまいました。
そう考えると、私はこの部に何をもたらせているのだろうと何度も思い、「私がいなくても、きっと何も変わらないのだろうな」と、自分の存在意義を否定してしまうようになりました。
でもそんな時に、いつもそばにいて私の存在を認めてくれたのは同期たちで、自分の存在意義に悩まされる中でも「やっぱり彼らの為に頑張りたい」と、私のモチベーションで居続けてくれた大好きな同期たちには、精神面でも仕事面でもほんとに助けられました。
いつ何時も「私が頑張る理由」でいてくれた同期には本当に感謝しています。
本当は一人一人にメッセージを書きたいところですが、流石に長すぎるのでやめときます。いつかちゃんと感謝を伝えます。
⬆️誕生日をお祝いしてくれる同期
さらに、情けないことに当時の自分は気づくことができなかったのですが、自分が今幹部・上級生という立場になって思うのは、当時の幹部や先輩たち、監督コーチの皆様が私のことをどれだけ守ってくれていたかということです。
当時は気付けず言えなかったですが、この場を借りてお礼を言いたいです。
ありがとうございました。
⬆️めちゃくちゃにお世話になったR7卒のたけさんときょうかさん
このようにたくさんの仲間のおかげで冬を乗り越えた訳ですが、すぐにまた環境の変化がやって来ました。
それは後輩トレーナーが入部をしてくれたことです。
1人で通常の業務をやりながら、後輩たちに仕事の引き継ぎをする生活はとっっっっても忙しかったですが、りおとわかが本当にいい子で、私の心の支えになってくれました。
言葉選びやコミュニケーションを取ることが本当に上手で、自分の意見をはっきり言え、自発的にそして臨機応変に動いてくれるりお。
包容力があって柔らかい雰囲気を醸し出しながらも、冷静に物事を捉えることができ、キャパも広くて着実に仕事をこなしてくれるわか。
初めての直属の後輩が彼女たちで本当に良かったと心の底から思います。
そこからシーズンが変わり、幹部の一員として活動するようになりました。
なんかもう最初は連絡のやり取りが目まぐるしくて訳がわかりませんでしたが、この頃からだんだんと部に対しての向き合い方が変わりました。
トレーナーとしての仕事を全うする責任をより感じるようになったのはもちろん、トレーナーの仕事の管轄外の部の事案も自分ごとのように捉えるようになったことが大きな変化だと感じています。
1人で業務をやっていた1年生の時よりも、幹部になってからの生活の方が圧倒的に忙しいです。それだけ四方八方に色々なアンテナを巡らせ、四六時中部への帰属意識を持つようになったのかなと思います。
さらにこの時期くらいから、自分の中で「トレーナー」というポジションに対しての認識が変わっていきました。
1年生の頃は自分のポジションに対して否定的になっていましたが、学年を重ねるにつれて段々と、トレーナーの仕事は『彩り』と同じなのではないかと考えるようになりました。
白黒のテレビでも、映像を見ることはできます。
何が起きているのかを知ることもできます。
それでも、そこに色が加わることで、今まで見えていなかったものが見えるようになります。
空の青さや、木々の緑、人の表情まで、世界が少しだけ広がって見えるようになると思います。
このように、モノクロでも世界は成り立ちますが、色彩豊かだからこそ感じることができる世界もあると思います。
この構図が、トレーナーというポジションと同じなのではないかと考えるようになりました。
私たちがいなくても、部活は成り立ちます。
それでも、+αの仕事をすることで、選手が安心して競技に向き合える環境を作り、「ボート部」という1つの世界に、微力ながらも『彩り』を加えることができるのではないかと思っています。
1年生の頃は、自分の存在意義を模索していましたが、今は、自分がこの部にどんな『彩り』を添えられるのか、ワクワクしながら仕事に取り組むことができるようになりました。
またさらに年度が変わり、忙しさ知らずで仕事に対してとってもタフで、物覚えも早く、本当にボート部が大好きなんだろうなという「ボート部愛」がバンバン伝わってくるかなたがトレーナーの勢力に加勢してくれ
さらに次の年には、ボート経験者ということに驕らず、新しいことをさらに覚えようという探究心の塊の持ち主で、みんなと分け隔てなくコミュニケーションが取れるあいりが入部を決めてくれ、心強い後輩たちに支えられながら毎日過ごすことができました。
⬆️大好きなトレーナーの後輩たち
そんな中でも集団生活をしている組織である以上やはり壁は尽きないもので、特に仲間との価値観の違いには何度も悩み、ぶっちゃけ「大好きな部員のために頑張りたい」という私の『そんな些細な生きがいは時に馬鹿馬鹿しく思える』ことも多々ありました。
バックグラウンドが違う人たちと共に生活する中で、伝え方や言葉選びもみんなそれぞれ違って、高校生の頃はザ・平和なぽわぽわした友人に囲まれて過ごしたので、そのギャップについていけないことがしばしばありました。
私が極度の感情型で過大解釈をしがちな性格というのもあって、みんなの発言の一言一句を真に受けすぎて色々勘ぐってしまうことも多く、高校生まで精神的にも肉体的にも無傷だった屈強な私が「もはや体調不良でも体調不良を感じない」という1年生の時に身につけたスイッチもいつしかプツっと切れ、不本意に体調を崩すことも増えて、大きく2回、本気で辞めようと思ったことがあります。
トレーナーは全員のことを平等に好きでいなくては努まらないポジションだと思っています。
だからこそ、いくら自分と価値観が違くても、「その人のことを受け入れるために自分の考え方を変えること」に、1番精神と体力を使いました。
でも今振り返ると、そうやって壁にぶち当たる度に気にかけてくれる先輩や同期、そしてトレーナーの後輩たちや大富豪(?)をはじめとするいじりながらも慕ってくれる後輩たちがいたりと、周りの人の支えに気づくこともできたし、自分の今後の人生にとっても、必要な経験だったのかなと思います。
⬆️特に前田のお世話をしてくれた後輩たちの写真でも載せときます、北村と勝又です、2人とも私の脊髄トークに付き合ってくれてありがとうございました。
そんなこんなで、最初は直感で選んだボート部でしたが、いつしか自分の中でその存在がどんどん大きくなっていき、『誰が褒めるでもないけど、小さなプライドをこの胸に勲章みたいにつけて』毎日を必死に過ごしていたら、気づけば3年半が経っていました。
選手のためにと思って動いたことがかえって仕事をややこしくしてしまったこともあったし、私がやるべきことを選手が代わってくれて申し訳なさを感じることもあったし、裏方の作業が多くてその頑張りに気づいてもらえないことなんか日常だし、正直やってることに意味があるのか手応えを感じるのが難しいことだらけで、毎日自問自答の日々を過ごしました。
でもこの部活にはこの人たちのために頑張りたいと思わせてくれる人もいて、そんな手応えが分からない仕事も、回り回って1人でも多くの私が大好きな選手のためになっているのかもしれないな、『なんてことのない作業が回り回り回り回って今僕の目の前の人の笑い顔を作っていく』のかなという感情をモチベーションに頑張ってきました。
私が引退を間近に控えた今、確信を持って言えることは、この4年間は、「唯一無二」の生活だったということです。
絶対に他では味わえない感情や経験をさせてもらいました。
喜怒哀楽には収まらない感情や、言葉では語り切れないほどの経験は、私の最後の学生生活に『彩り』を加えてくれたものだと確信しています。
そしてさらに、私がしてきたことが、選手たちのボート部人生に少しでも『彩り』を与えられていたら、本当に嬉しい限りです。
直感で選んだボート部ですが、自分にとって正解の選択だったのか、部にとって正解の選択だったのか。
正直に言って、この答えはいくら悩んでもまだ出ないと思います。
というか今出なくてもいいと思っています。
小学校時代は楽しかったなと今になって懐古することがよくありますが、そんな風に、この先10年後20年後、学生時代を振り返った時に、あの時の選択が正解だったと言えるように
残り少ない引退までの期間、私なりに最後の熱量を注ぎ込もうと思います。
最後に、私立に入学するなら一人暮らしは無しだと言われていたのに、やりたいことならばと言って寮暮らしをさせてくれた親にも、この場を借りて感謝の気持ちを伝えたいと思います。
長文の自分語り日記になりましたが、最後までご覧いただきありがとうございました。
インカレまであと5日。
烈轟🔥
次は、高身長の期待の新星、小林しゅんたくんの初日記です🌟
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