世の中で起きている事象でも
身近で起きている事象でも
なんだか、古い古い感覚を
いまだに使っている人達がいるなぁ~
と思う出来事が起こってます。
時代が変わると
変わる価値観
変わらない価値観(人として大切にすべき部分)
がありますが
今、見聞きする事象の中には
えーーーーー!!!
とびっくりするものがけっこうあります。
心の奥深いところにヒエラルキー感覚を持ったままの人
もう、その感覚は世の中の流れとズレてると思うのよねん。
ヒエラルキー感覚をそのまま行動に出してる人もおるし
言うことは一見、新しい時代の感覚なようなこと言ってても
あれ、行動が伴ってないやん。
本当は、心の奥はヒエラルキーやん。
という人もおるよね。
(ヒエラルキーの感覚が全て
古いとか、ダメだとか言っているわけではないですよ。)
前にも書きましたが
行動は嘘つけないのですよ。
あ~あ
何かを決める権限、立場をもっている人に限って
その古い古い感覚を大事にしているからなぁ~
私はバリバリの昭和人ですけれど
子どもの頃の転勤族体験(転園、転校けっこうしたなぁ)や
「先生」という存在が必ずしも立場的に弱い者を助けてくれないことなど
(ものすごく酷い先生と、
ものすごく助けてくれた先生と両方体験しましたね~
ある意味、私の「子どもに関わるお仕事がしたい」思いの原点の経験)
そんな諸々な体験から
昭和的ヒエラルキー感覚にたいしての違和感が
子どもの頃からめちゃくちゃありました。
今の時代は
ピラミッド型ではなくて
みんなが円形上にいて
立場、学歴、年齢などの上下だけで損得とか
偉い、偉くないとかそういう感覚ではなくて
他者も自分のことも同じように大切にして
尊重していく時代な気がしています。
もっともっと、そうなっていったらいいな。
ヒエラルキー型の良さと、ホラクラシー型の良さ
両方のおいしいとこ取りになったらいいなぁ。
大人の行動が作る環境が
まっすぐに子どもに影響を与えるから。
「子どもの環境」
環境の一番の部分は何よりも大人です。
大人が作り出すものだと思います。
子どもを教え育んでいくことは
いかに、大人側が心も頭も柔らかくしていられるか。
人は、歳も仕事経験も
年数を重ねれば重ねるほど
何かにしがみつく傾向がありますけど
しがみついていることに
古い感覚を持ち続けていることに
心の奥底で気づけるといいですねぇ。
事象からいろいろ学ばせてもらってます。