英語が話せたら楽しいだろうなぁ・・・
でもどうせ私には無理だし
長いこと私はそうやって気持ちを誤魔化していた
ヘシルです💄❣️
私は外国語大学を卒業しているにも関わらず
英語が話せないことをすごくコンプレックスに思っていた人間です🙋
お金も時間もかけて勉強したのに
全然英語が話せるようにならなくて。
当時同じ大学にいたエリートのように見えた人たちは
背もずば抜けて高くてアメリカ人みたいな容姿で
ダンスチームに入っていて
留学生の外国人と友達になっていて
英語がもちろんペラッペラ!
全ての教科を英語で学習していて
それこそ経済学とか心理学とか
そういうのを英語で授業を受けていました
私は?というと
a
the
is
am
are
からやり直す始末。
↑実際はこれむちゃくちゃ大事なんで
やっておいて良かったと今はものすごく思う
同じ大学に通っているのに
なんでこんなにも他のこと私は
レベルが違うの!?!?!?!?
って愕然として絶望しました
(まぁセンター試験受けてなくて
指定校推薦で入ったので夏から遊んでたし
これも心の拗れからきてるのでまたの機会に話します)
私は片道2時間30分ほどかけて大学に通っていたので
その時間もすごくもったいなく感じたし
自分がそんなレベルの低いことを
大学生にもなってやり直していることに
悔しく歯痒く感じていました
キャンパスライフを送る他の子達は
彼氏の話やバイトの話
一人暮らしの家に友達呼んだりして楽しそう
私は学費と通学のためのバイトに明け暮れながら
その中学英語の基本からのやり直しの日々
はっきり言って、地味なタイプのガリ勉w
頑張ってオシャレしたりして
なんとか頑張って頑張って陽キャラに見えるように
大学デビューして(笑)
サークルに入ったりそれなりに楽しんで充実してた
けど、本命の「英語を話せるようになる」ことには
程遠い人生でした。
こんなリラックスした感じの外国人マインドが好きだった❣️
その時にも「根性で頑張る論」が身についちゃってw
周りの子達を結構妬んでいたなぁ。
私はこんなに頑張ってるのに!
あの子達が遊んでる間、
私はバイトもしてモラトリアムしてないのに!!!
なんで英語も話せて、ズルい!!!!!!
って、思ってた(笑)
そのまま、月日は流れて大学を卒業
卒業後に就職。
就職先では外国人のお客さんもちらほら歩いている感じだけど
話す機会は全然ありませんでした。
そしてしばらくしたら、
「そういえば外国語大学卒業だよね?」と上司に言われて
外国人の対応をする日がありました。
えっ!?!?しばらく喋ってないし!!!こわ
けど、ちょっとワクワクするかも!?
と思って見てみたら
その人、韓国人で(笑)
私、母が生粋の韓国人なんですよね。
なので幼い頃から韓国語で話しかけられていて
それで耳が韓国語に慣れているんです。
韓国人が言ってる韓国語ならわかるわ、と思って
少し聞いて対応した記憶・・・
けれどすごくオドオドしてました
通訳するには「責任」あるし!
「ちゃんと」聞かなきゃ!
「ちゃんと」受け答えしなきゃ!
と思って、滝汗ダラダラ
↑これも勝手な思い込みなので不要だよ
今はもっとラクに英語で話せるようになりました❣️
なんとかその場を収めて終わったような。
こういう人と英語で話せるかも!って淡い期待してた(笑)
それから私が気づいたのは
「私ってアジア圏の人の対応得意だわ」っていうこと。
韓国って、感情表現がすごくストレートで
喜び悲しみだけじゃなく、怒りもそのまま出します
韓国ドラマ見てるとわかりますよね?
あれ、誇張してるんじゃなくて、私の人生も韓国ドラマでした(爆笑)
そういうハッキリした表現って、日本人だと慣れてないかもなと思って。
日本は、奥ゆかしく慎ましく協調性を大事にするカルチャーだし
本音と建前 を大事にしますよね。
この本音と建前が私はずっとよくわからなかったんです。
家庭内でも母親が「日本人の考えてることよくわからない」
と言ってるのを聞いていて
怒ってるのか嫌なのか何なのか腹の底が見えなくて怖いって
耳にタコができるぐらい聞いてました。
けれど、
今となってはその「本音と建前」っていうのよくわかる。
そして、外国人の「ストレートな言い方」もすごくよくわかる。
英語で話すときは特に
「建前」で話すとうまく行かなくなる
途端に通じなくなる。
↑英語での「建前」は上級者のテクなので
初心者はまだやらなくていいと思います!
これってその言語が持つカルチャーやバックグラウンド(背景)に
よるところがすごく大きくて
ある言語を話せるようになりたいと思ったら、
その国その土地その民族の生活を知ることがとっても重要です。
私は、
「ストレートな言い方」=感情表現をそのまま出すこと
に慣れていたので、
正しくはそれに聞き慣れていたので
外国人との会話の中でもそれをスムーズにできるってわかったんです。
私は母親とのコミュニケーションはかなり激しかったので(爆)
反抗期がすごく長くて、その中でも
母親に日本語が通じないことがとてもストレスでした。
自分の学校生活=日本のカルチャーと
母親の育った生活=韓国の価値観の間に
あまりに乖離がありすぎて
幼い頃からずっとずっと、
日本と異国のコミュニケーションについて
悩み続けていた日々でした。
異国とのコミュニケーションに関して、私はプロです(`・∀・´)キリッ
もうそのキャリアが30年以上はありますからw
だからこそ、
「英語で外国人に話すときのルール」
というのを
肌で知っていたんだと思います。
英語が話せなかった当時はまだ言語化できなかったけど
今ならすごくそうわかる。
英語で話すときは、初心者の場合特に
ストレートにまっすぐに考えを
述べることが重要だってこと。
▶️ここテストに出ますよメモメモ
そしてこれが
「願いの放ち方」と
まったく同じだってこと❣️
▶️ここもテストに出ます❣️メモメモ
リンダと私もまっすぐ話します^^
韓国語はそこそこ理解できるけど
韓国語で話すのは私は得意じゃありません
練習してないから
それに、私が話したいのは「英語」だったんです。
だから、韓国語話せてもしょうがないしな、みたいに思ってて
やっぱ「英語」の方がカッコいいよなぁーーーー
って思ってました。
まず、私は英語の発音が好き。
appleのAとか
theyのthとか
マンハッタンのタがなくなるところとか(笑)
その音が好き。
なんかカッコいい。
そして次に、文字の形が好き
a の丸っこい感じとか
筆記体の D の美しさとか
こういうのもう全部スキ❣️
ヒエログリフとか記号文字象形文字ぜんぶぜんぶめっちゃ興味津々でよだれでてくる(^q^)
また、私はいつもどこか浮いていたかったので
小学校でもトラブルが多く
(これ本当に懺悔案件)
中学校、高校生活でも嫌われることが多くて
自分から嫌われにいってる節が強すぎた
これもまったくその通りで
自分が他の子を嫉みに妬みまくってるからこそ
「私はアンタたちと違うし!!!!!」っていう
私は仲間はずれ
私は日本人じゃないし
私は母親とコミュニケーション取れないし
毎日しんどいしんどいしんどいって
反発、反抗、反骨心でした。
私はこんなに大変なのに!!!!っていう気持ちから
=私は周りの子達とは違うから
それならとことん、英語を話せるようになれば
きっと違う世界へ行ける!!!
って思いたかったし、そう思っていた。
英語に強い興味を持ったのは
そういう拗れた動機もあります。
だから、どんどん英語に惹かれていって
魅力を感じて
私を別の世界へ連れていって、お願い
これだ!私にはこれなんだ!!!
って願いを掛けていた。
私の英語のバイブル。プラダを着た悪魔👠
話を戻します(/^o^)/ヨイショ
最後に転職した仕事先がアパレルだったんですけど
そのときの先輩社員の方で
とっても素敵な人がいました
いかにもキャリアウーマンって感じだけど
私と年齢はそんなに変わらなさそう
キビキビしてて怖そう
話しかけにくいな
怒られたら嫌だな
そんなふうになんとなく敬遠してました
彼女は黒髪ロングで
キリッとした目をしていてアイラインバッチリ
ぱちっとしたまつ毛
黒いワンピースがよく似合う
ちょっと怖そうで仕事に対してプライドを持ってて
キャリアも長いベテランなカツカツ歩く綺麗な人
こういう感じ!私が憧れてた彼女は日本人でした
その彼女が電話を受けるなり
英語で
「ハーーーーーーーーーーーーーーイ!!!!
How are you? Ms.......#%&'$=)('&0(#'&'!!!
みたいに
ベラベラベラっと英語で話したんです。
超カッコいい!!!!!!
❤️⚡️ズキュンッ!!!!
眩しい・・・
私にとって衝撃でした。
英語が話せたらこんなにカッコいい。
こんなにちがって見える
カッコよくて綺麗でマブい・・・
私も話せるようになりたい
すごくカッコいい
すごくカッコいい
すごく綺麗
彼女が持つその姿、そして知識がすごく素敵で
女性としてもセクシーに感じて
知識から見える色気や女性としての魅力や品格を
ものすごく実感してしまったんです。
カッケェなぁヲイ・・・❣️
それからは英単語の単語帳を買って
それを見返したり
読んだりしてました
外国語大学卒業なんだから
知ってる単語ばっかで当然じゃん!って
思って は いたけれど
それとこれとは別の話なんですよね。
知ってるだけで、使えない。
わかるけど、話せない。
ネイティブスピード、早すぎて何言ってるかわかんない。
英語話せない・・・
これがそのときの私の実力でした。。。
英語できないならイタリア語やろう!とか
変な方向にやってみたり(笑)
最初、14とか15歳ぐらいの頃は
英語が話せるようになりたい
新しい科目への興味
があって
家庭の環境もあり
英語への興味はは逃げだったかもしれないし
拗れた気持ちの当てどころというか吐口だったかもしれない
けれど
ただただ「憧れ」という引力が
私を掴んで離さなくて
私に確信をもたらしてくれました
やっぱりどうしても
私は英語が話せるようになりたい
なってみたい!!!!!!!って。
この頃から、願いの放ち方をしてました
全然自覚なかったし言語化もできなかったけれど(!)
次へ続くー💫🫧❣️