私の家から高校まで

 

自転車→電車→徒歩

 

合計約1時間弱かかって毎日通学していました。

 

 

 

 

往復2時間弱。

それを3年間だから、

単純計算で 2時間×365日×3年=2190時間

 

 

約3ヶ月間まるまる移動に時間を使っていたと考えると

もっと有意義に時間を使ってればなと思ったし、

 

 

時間だけではなくお金(交通費)も

けっこうな料金がかかっていました。

 

 

 

「時間=命」

 

「時間=資産」

 

だということに気づけませんでしたね。

 

 

確か電車の切符が往復で800円かかっていたので、

定期を買ってはいたものの、

年間で10万円だから、3年間で約30万

交通費に出費したことになります。

 

このお金はどこから来てたのかというと、

私の父方の祖母が

私が野球部で部活を頑張っているから

という理由で毎回出してくれていました。

 

本当に感謝でしかないです。

 

 

それで部活の朝練が7:30から始まるので、

朝5時には起きなくてはいけませんでした。

 

朝が苦手な僕にとっては

苦痛でしかなったです。

 

少しでも睡眠時間を確保したかったので、

親に頼んで、毎回

電車の中で食べることがきるよう

お昼のお弁当とは別に

おにぎりをつくってもらていて

それを電車に揺られながら食べて

通学していた記憶が今でも

懐かしく覚えています。

 

6:05分発の電車だったので

人はほとんどいなかったから

向かい側の席に足を伸ばして

エネルギーを消耗しないように

リラックスできるところは

とことん休むようにしていました。

 

朝練も全力で行い、

午前、午後の授業は極力エネルギーを

温存しておくために睡眠にあて、

放課後の部活からまた全力で練習をしていました。

 

部活動のためだけに生きていました。

 

 

や○ざのような厳しい監督のもと

毎日練習をしていたので、

精神的にも肉体的にも

相当追い込まれていました。

 

早く、60歳の老人になって

定年退職してゆっくりと過ごしたいないと

心底思っていました。

 

 

それほど毎日が体力的にも

精神的にもきつかったんです。

 

 

人一倍ご飯を食べて体づくりをした

記憶がありますが、

思った通りに体は大きくならず

挫折感を何度も味わいました。

 

同期のみんなが

どんどん体もしかっり大きくなっていくなか、

僕はまわりの皆んなよりも体が細く

コンプレッックスを抱くようにります。

 

 

そして何度も

 

「親の遺伝のせい」

 

だと責めました。

 

 

途中は割愛しますが、

最後の3年生の試合では

レギュラーにはなれず

 

『サードコーチ』

というポジションで選手のサポートを

することになります。

 

当時は花形の選手として

試合にはでれなかったので

かなり落ち込んでいましたが

 

今思えば

この時からすでに

コーチそしての資質があったのか、

導かれるようにして

監督の次に重要なポジションとして

コーチを監督から任されていたのです。

 

そして夏の大会も

辛い厳しい練習をしてきた割には

納得のいく結果は残せずに引退していきます。

 

そして、さあこれか受験勉強だ!

というのにも関わらず、

頑張る気力がなく、

挙げ句の果てに、引退してから

好きな人ができて

受験勉強にはほとんど身が入りませんでした。

 

あたりまえですが、

現役で受けた大学はすべて不合格です。

 

 

心でつぶやいていたことは

 

「 今まで費やしてきた

時間、お金、努力はいったいなんだったのか。」

 

結局中学生のとき

志望校を目指して一生懸命勉強しても

なかなか成績が上がらず、結果いきたくもない

高校に行って。

 

という負の感情がでてきました。

 

「 どうせ頑張ってもだめだ。報われない。自分はダメな人間だ。」

 

自己肯定感が0に等しい状態でした。