小学校1年生の梅雨ぐらいです。

 

いきなり学校にいきたくないと言い出し、

学校休みがちになってしまいました。

 

 

 

 

特に母はものすごく私の将来が心配になったのか、

学校心理カウンセラーに相談したり、

解決策を探すために、

書籍をたくさん読んでいました。

 

 

父親は基本的に仕事熱心なので、

なにかと介入してくれることは

あまりなかったのですが、

 

ここはがらりと豹変しました。

 

学校を休みがちになった僕を

強制的に学校に連れていこうとしてきたのです。

 

 

ある日の朝、

今日は何がなんでも学校に行くようにと

叩き起こされたのです。

 

 

朝食を食べて制服に着替えて

家を出ようとしても体が拒否反応を示して

玄関で靴をはいたまま動けないでんす。

 

 

しばらくすると父は

私を無理やり引きづり外に出させます。

 

 

そして嫌で仕方なかったので

それに抵抗するかのように

泣きわめきました。

 

当時はアパートの4階に住んでいたので、

階段で下まで降りないといけません。

 

 

父は

僕の髪をつかみ

力ずくで2階ぐらいまで

引きづられました。

 

地獄にいるかのように泣き叫び

必死で家に戻ろうと抵抗しました。

 

 

数分そんな感じのことが続いた後、

父は僕を学校に連れていくことを諦めて、

職場に向かっていきました。

 

 

そして

約1年間不登校になります。

 

 

当時はなぜ急に学校に

いきたくなくなってしまったのか

分かりませんでした。

 

 

今となっては母親の過保護で

厳しい教育のストレスが

不登校になってしまった1つの要因

だということが分かりました。

 

 

とてもじゃないけど、

母親の理想の子育て像についていくのが

当時は苦痛でしかたなかったんですよ。

 

 

言うこと聞かなかったり

門限やぶったり、何かのルールに反した場合は

飛び蹴りされてしたね(笑)

当時は全く笑えませんでしたが。。

 

 

心のエネルギーがなくなっちゃったんでしょうね。

もう学校に行けなくなって、

当時幼稚園生だった妹の遠足とかに

なぜか一緒にいっていた記憶があります。

 

とにかくとてもセンシティブだったんですね。

 

 

そしてすでにこの頃から

前習えの学校教育に何か無意識で

違和感を感じていたのだと思います。

 

 

でもそんなこんなで、

不登校に終わりの兆しが見えてきます。

 

 

さすがに約1年学校に行かなくなった僕を心配する

両親のことが気になり、

自分が学校に行けば少しは喜んでくれるかなと

小学低学年なりに思っていたのでしょうか。

 

 

ある日、

朝10時ぐらいに学校に行くと言い出します。

 

そして自分から学校に徐々に登校するようになったのです!

 

 

しかし、

学校の授業中、

特に座学の授業中は地獄でした。

 

特に

体育や図工、音楽の時間

を除いてほとんどが憂鬱でしかたなかったんですよね。

 

 

そして

ある日、みんと一緒に授業をしていることに

耐えることができなくなり、

授業中にトイレに逃げたことがあります。

 

そしてしばらくの間、トイレの鏡で自分の顔を

じーっと見て、なんでこんに心が苦しんだろう。

とつぶやきます。

 

『 誰か僕を助けて 』

 

と自分にむかって言っていました。

 

そしてなぜか鏡に映る自分の顔の表情が暗いと思ったのか、

わざと笑顔をつくってみたんです。

 

今でも超鮮明に覚えているのですが、

 

その鏡の前で

 

「意識的につくった笑顔」

 

がなぜか自分のこころを元気にさせ

生きる力が湧いてきた感覚がおこりました。

 

たった2、3秒の間に起きた体験でした。

 

この出来事をきっかけに

徐々に元気になってきて

本来の小学生に戻った感覚を取り戻し、

学校に自然と行き出すのです。