5月17日午後6時。
昨日は、18時少し前に自宅を出て、平楽の丘に登って夕焼けを見てきました。
事件が起きた、龍太郎が死亡されたと推定される午後6時に、現場である、当時住んでいたマンションの前を通り、住んでいた階の方を見やりました。
また、龍太郎と私がこの世での別れとなった2008年5月17日の15時51分、別れの場所となったマンション前の路上で追悼...
...追悼なんかしませんよ。
あの時の龍太郎の表情、
龍太郎に背を向けて、自転車を漕ぎ、リサイクルショップの「みがくかん」がある角で、何かを振り切るように、えい!と自転車のハンドルを右に倒した瞬間の感覚を思い出しながら...
身体がこわばってくるのを感じていました。
追悼、鎮魂の類のことをする余裕があるのならば...
当時を検証することに労力を充当したいと思います。
私にとっては、私が死ぬまでずっと背負い続けなければならぬ重荷というよりは...
私の感覚としては、重い鉄球が2つ、太い鎖で私の両足に繋がれ続ける、鉄球を引きずりながらよろよろと歩いている私。
...という感覚だと思います。
実は、5月17日の18時に、あの場所にいたのは、12年が経過しましたが、実は初めてでした。
しんどいなぁ。
すぐにでも逃げ出したいとは思いませんでしたが...
しんどいなぁ。
...です。
貼付した写真...
平楽の丘から眺めた、横浜の町並みです。
首都高速の高架の向こうには龍太郎が過ごした真金町...
写真の左には、龍太郎が生まれた、そして死亡宣告を下された、横浜市大センター病院が写っています。
このあと、稲荷坂の上で富士山を撮影、そして、平楽の丘のバス通りを打越橋まで歩いて、横浜の夜景を撮影しましたが、それは改めて、写真を整理してから投稿します。
平楽の丘から戻ったら、疲れがどっと出て、夜中まで寝てしまいました。
今は2020年5月18日、6時09分...
警察から電話があったのはこのぐらいの時間でしたでしょうか。
用件は預かっている龍太郎の遺体を葬儀社に引き取っていただきたいのだが、葬儀社は決まっているのか、という内容でした。
これから調べて、朝9時ぐらいになったら電話しようと思っています、と答えたら...
佐野さん、葬儀屋は24時間営業ですよ。
...と刑事さんに言われました。私はこのときまで葬儀社が24時間営業ということを知りませんでした。しかし、人が死ぬのは24時間、どこでもあるので、確かにそうだな、と納得したことを覚えています。
結局、葬儀社は警察に紹介してもらうことになりました。
葬儀を行うのは六ッ川の実家、葬儀社は自宅に近いところ...
真金町の清水誠葬具店との関わりはそこから始まりました。
父の葬儀も清水誠葬具店さんにお願いしました。
龍太郎の葬儀が終わる5月22日までは、あまりありがたくはない意味で、私が超人的であった期間で、あの時のエネルギーはどこから発生していたのか?
それは分かりません。
他の方の記事をひとつリブログしました。
昨年の4月に池袋の交通事故によって奥さんとお子さんを喪った、松永さんのブログです。
俗っぽい言い方をさせていただきますが、あの「上級国民」の一件です。
松永さん、そして、交通事故遺族をサポートしている関東交通犯罪遺族の会(あいの会)の代表の小沢さんとはFacebookを通じてお付き合いをさせていただいています。
4月19日の一周忌の後...
一周忌が引き金になっようで、不眠と手の震え、という症状が出ているようです。
松永さんは事故の後、ずっと走ってきましたから、一周忌の境に、蓄積していたこころの疲れもどっと出てきたのだと思います。
家庭が一瞬にして粉砕されて、ひとりぼっちになった男のその後...
松永さんとは理由もにおいても、内容においても異なりますが、「ひとりぼっちになった男のその後」を経験しています。
私も、松永さんとは異なりますが、いま思えば様々な症状が現れていました。
松永さんも少し休まれた方がよろしいな、と感じています。