明日で12年です。 | ☆★るーたんにっき★☆

明日で12年です。

一昨日の朝食は、伊勢佐木町2丁目の松屋で朝定食でした。

 

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明日で龍太郎がこの世を去ってから12年になります。

 

何事もなければ、龍太郎は今春から中学生でした。

 

しかし、龍太郎の姿は、永遠に2ヶ月児のままで止まっています。

 

霊感の強い人には、私が子供を連れている、ように見える...

 

それはそれで構わないと思っています。

 

私の方も、龍太郎が私のそばに常にいると思っているので。

 

自我が確立されていない、幼児・児童は、自分の死を認識しないと、と言われています。

 

龍太郎が自分の死を認識していないならば、それでよし。

 

そう思っています。

 

 

龍太郎は私のそばにあって、一緒に横浜の町を見ているのかもしれませんが...

 

とりあえずは、あの世に持っていけるだけのおみやげ話を、と思っています。

 

あれから12年が経って...

 

親しい知人、親族が相次いでこの世を去っています。

 

平成の次の時代を見ることが叶わなかった人たちにも、令和の日本、令和の横浜の姿を、私がくたばった時に、あの世にみやげ話として持っていけるよう...

 

まだまだ死ねないよ。笑。

 

 

これから5/22までは記事を更新する可能性があります。

 

 

また、私はSNSの拠点をFacebookに移していて、そこで日常を語っています。

 

Facebookへの投稿を貼付しました。

 

Facebookでは12年前に私の身に、私の家族に起きたことの詳細は述べていませんが、それとなく語ってはいます。

 

私の日常もFacebookで綴っていますので、もしよろしければ覗いてみてください。

 

貼付したFaecebookへの投稿、特にFacebookを覗いてみるまでもない、Facebookのアカウントがない方のために、全文を以下に引用します。

 

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明日は5月17日。

 

5月17日なんてカレンダーから無くなってしまえばいいのに...

 

...という1日がやってきます。

 

あの日から12年が経ちましたが...

 

...なんとか生きています。

 

2020年、日本だけではない、世界じゅうを襲った新型コロナウイルス...

 

新型コロナウイルス流行下の日本、横浜の町、私が歩いて見た現実の姿を、いつか来るべき日に、記録としてあの世に持っていけるでしょう。

 

12年前の5月17日...

 

私の肉体は滅びはしなかったけれども、私の魂、精神は死んだ。

 

あの日...

 

私が死ねばよかったと、12年経過した今でも考えています。

 

だから、自分が死ぬことに全く恐怖は感じません。

 

しかし...

 

むざむざ死ぬなんざ、これっぽっちも考えてはいません。

 

可能な限り生き抜いて、横浜の町、横浜の町に起きたこと、日本に起きたことを記憶、記録にとどめて、あの世にみやげとして持っていく...

 

人生がいくらあっても足りません。

 

12年前の明日、私の身、私の家族に何が起きたかを知っている人たちには...

 

とりあえず私のこころの中のものは変わってはいなくて、当時の出来事をこころの中に上手にしまっているだけ、外からはわかりづらくなっているだけで、12年経っても、これから何年経っても変わらないものである、ということをお伝えしたいと思います。

 

 

一昨日の朝食は、伊勢佐木町2丁目の松屋で朝定でした。