プロレスの練習生になり(1994年当時18歳)埼玉県三郷市戸ケ崎の寮に住んでいた。



当時は道場での練習と関東近辺でのJWPプロレス大会の仕事が主にやる事だった。



私達同期は…真面目だったのかなぁ?休みの日に遊びに行く事はあっても



酒を飲み歩いて門限に帰ってこない、みたいな事はなかった(宮崎は門限よく過ぎてたけど(爆))



まれに先輩選手から夜電話がかかってきて「今から飲みにコイ」指令があった。



当時の先輩方はとても羽振りがよく、タクシーで来い、などと言う時もあった。



場所は中目黒近辺が多かった。地下鉄日比谷線で向かう事もあった。



余談~

翌年1995年には地下鉄サリン事件があり、危なかったね~なんて言ってた。

~余談終わり



初めはそこで飲み方を習ったのかなあ?コップに山盛り氷を入れて焼酎とウーロン茶を



注ぐのだ。マドラーでかき回して出来上がり。これが普通の飲み方なんだ



と、疑わなかった。だって、先輩方は絶対的存在であったから、その先輩方が



教えてくれる事は絶対であったのだ。だいたいは、ご飯から始まり



カラオケボックスかスナックへ行くといった流れだった。それは空が白んでくるまで続き



その後、先輩のお宅へ泊めて戴くのだった。



その後プロレスラーとしてデビューすると、地方巡業へも行く様になる。



多い時は月の半分位行っていたのかな?当時、ほとんどが"売り興行"だった為



試合後はほとんどがプロモーターさんが食事をもてなしてくれるのだった。



食事会の後は必ず選手一同の飲み会が始まるのだった。



だいたいがカラオケボックスだった。すごいイナカとか山中の民宿だったりすると



部屋飲みである。でも時代的にコンビニはほとんどなかったし



地方なんて行ったらほぼ皆無であったから…どうしたっけかな?



ま、何らかの方法でアルコールは集まったのである。



そこでも午前まで飲むから朝が大変だった気がする(記憶薄い…)



皆は大変だったっていうのは聞くけど、自分はノンキなのか?巡業大好きだった。



それは飲みに行くのも含めて。先輩方には普段「はい」「いいえ」「今確認します」



しか言ってはいけなくて私語なんて厳禁であったから、私達は黙々と仕事をした。



その分お酒の席ではプロレスの色んな話しができたりしたし、(内容忘れちゃうけど)



普段とのギャップが楽しかった。東京での試合後も新宿などへ飲みに行った。



また長げーな話オイ(汗)話、分けます。



~次回 プロレス試合後の酒盛りについて~2