次は2014年10月に書いた原点回帰録96の記事。



1997年8月17日JWP女子プロレス東京後楽園ホール昼夜大会。



~以下本編







有無も言わせず17日は後楽園ホール昼夜大会。私達はプロレスをしていくしかないのだ。


試合前、選手はリングの回りに立ち山本代表がマイクで事情を説明し追悼のテンカウントゴングが鳴らされた。

奇しくもこの日はプラムさんのプロレスラーとして11年目の記念日だった。


関西さん尾崎さんキューティーさんも同期。


試合はあまり覚えていない。


先輩方の悲しみはとても深く言葉にならないものだった。

しかし後楽園大会後も試合スケジュールはつまっていた。後々先輩方が言っていたが、「あの時は試合がたくさんあって、かえって変な事考える余裕もなかったから良かったかも」と。




~本編終わり



こんなの出来たなんて今思うと考えられない。



だって次の日だよ、次の日。激烈?峻烈?考えられなさ過ぎる。



お客さん、知らないから「えー!?」以降、言葉を失うしかないよね。



試合見るにしても心の整理つかなかっただろうな、つかねぇよな、と思う。



しかも昼夜興行、パニックだよね。



どんなカードだったかな?自分は前川久美子選手と格闘技戦やったのは覚えてるんだけど…



またネットで調べたら出てきた。プロレス試合結果データベースなるもの。スゲーな。



↓転載させていただきます。



昼部

夜部
夜のメイン、スーパーヒールだったんだ!!


あのスーパーヒール覚えてる。試合後スーパーヒールは素に戻り


デビルさんになり変わり泣いていた。対戦の尾崎さんも泣いてた。


自分達に、はじめのプロレスいろはを教えて下さったのはデビルさんである。


「親が死んでも…」を教えてくれたのも、然り。それを体現して見せてくれたのである。


いや、それは他の先輩方もだけど。


でもね、デビルさんがスーパーヒールやる時って、すごく気持ちを入れ込むから


3日位前から纏う空気が恐ろしくて誰も近付けなくなってしまうの。


それをこの状況でやれって…常人には無理だよ。


お客さんの期待を裏切らないプロフェッショナル魂である。


奥津さんも、引退式どころではなかった。


最後の言葉では「こんな時に引退してしまって…」というフレーズが聞かれた。


福岡さんは試合終盤から泣き出してしまった。それは奥津さんは辞めていくし


プラムさんは亡くなってしまったし…感情がごっちゃになっている様に見えた。


これが、親兄弟が亡くなるのとはまた違う「戦友」の死というものだったのか…。


皆が泣いていた。さめざめと。