2014年10月なぜプラムさんの当時の事をブログで語ったか?という事。
突然ではないんだよ。毎年お墓参りへも行くし。忘れた事なんかないよ。
そんなの当時を知っている人だったら絶対だし皆が特別な事だとは思っていない、自然な事。
ただ自分は2014年8月の大会で頭の怪我によりプロレスを引退する事を発表したんだけど。
その前2カ月程は、この降って沸いた様な突然の引退勧告に驚愕し抵抗した。
"は?何でこんな事でプロレス辞めなきゃなんないんだよ!?"口にこそ出しはしなかったが
…ま、周りは雰囲気で分かってたでしょう(^^;だって、フツーに生活もトレーニングも
できるのである。ただね、脳幹の中脳って所に損傷が見つかって(後で詳しく述べます)
それがあと少しズレていたら死んでたみたいな、まあまあショッキングな
医者の見解ではあったんだよね。だけどこんなの前例がなくて医者は「?」だし
こっちは諦めつかないしでデカイ病院をたらい回しとなったの。
そんな事を繰り返している内に色々考えたんだ。最初MRI撮って脳内の状況が判明した病院で
尾崎さんに、その事を伝えると即座に「プロレス辞めろ」って言われたの。
自分はマジで冗談言ってると思ってたの。そんなワケないでしょ!?痛くも痒くもないんだから。
初めはそう思ってたけど…いちばんは尾崎さんのプラムさんへの思いを考えたの。
すぐにハッとした。"あ、これは何を以ても辞めなければならない"と、やっと思った。
あとは…試合では頭部を強打して一過性記憶障害になる事はまれにあった。
でもこれは皆もよくある事だし位に思っていたところもある。でも、最近、そこまでいかずとも
試合で頭打つ事が多くなった気がするし、ダメージもある気がする「気がする」症候群?
そんな事考えてたら"それって亡くなる前のプラムさん"と重ねても同じ事してんじゃね?
と思った。自分は頭痛などはなかったから分からないけど、やろうとしていた事は同じだ。
そして7月末、加藤園子が紹介してくれたスポーツ脳外科(当時まだ少なかった)で
最終結論を下されたのだった。「怪我名を付けるとするなれば"外傷性脳幹損傷"。」
「このままプロレスを続けていいとは言えません」と。
この頃には既に自分の中では引退するしかない、と分かっていたから
「そ~ダヨネ。」という感じだったが病院に着いてきてくれた加藤と永島は泣いてくれた。蛇足でした。
でブログでは2014年5月末~8月16日まで何も書く気もしなくて8月17日の大会で引退発表以降
ちょこちょこ書き出して、31日~堰を切った様に原点回帰録を書き出したの。
その中でも、やはりプラムさんの事は絶対に外せないと思い、半ば勢いで書き出したの。
8月31日の書き始めでは「…もう最後だから。」っていうくだりで
洗いざらい置いていこうという気持ちでいたのかな?「辞める」と意を決したハズなのに
やり投げな気持ちもあったと記憶しているけど。
とにかく、そういう事でプラムさんの事を書くに至りましたと。
あと、怪我に気付いた経緯についても述べたいし、他の同期生がどんな気持ちでいたのかも
聞いてみたい。…思えばあまり聞いた事なかったかな?
話が進まねぇ┐('~`;)┌と思いながらも今年思った事は今年に書ける事書いておかねば。
目の黒いうちに(^^;