これは2014年の記事。この2014年の原点回帰録は
当時自分が脳の損傷で、どーしてもプロレスを辞めざるを得なくなってしまい
自暴自棄になって書いた昔話なの。実際、引退式は2015年4月だけどね。
2014年「何でプロレス辞めなきゃならないの!?」って
めっちゃジタバタしてたなー、多分冷静装ってたけど(^_^;)
これは前回の話しの続き。この日の事はスゴくよく覚えてるんだ。
~以下本編
J&Gの試合が終わり、すぐに逗子マリーナに尾崎さんのガウンがあるか電話で問い合わせた。
逗子マリーナでは管理室から控え室まで遠い為、調べるまで時間がかかった。半分諦めていたから「ありました」と聞いた時は"よかったー"と胸を撫で下ろした。
次の日、台風の中電車とバスを乗り継いで逗子マリーナへ向かった。
ガウンがあった。嬉しかった。びしゃびしゃになりながら胸に抱えて「もう忘れないからね」と思った。
中国の一輪車上手い子ども達と。
~本編終わり
写真は1995年JWP中国遠征で小学校を訪問した時のモノ。
逗子マリーナに行く日は台風でね。自力で逗子まで行った事はなかったから
逗子マリーナの人に場所と行き方を聞いて地図で調べて行った。
今みたいにググればすぐ出てくる時代じゃなかったからね。
そう思うと今ってスゲー便利だよね。乗換案内で調べれば
一瞬だからね。当時、寮は埼玉県三郷市にあったから
そこからバスと電車を乗り継いで神奈川県逗子へ行ったのだから
相当時間がかかった。半日は掛からなかったが
現地に到着したのは夕方6時30分を過ぎていてもう真っ暗だった。
あの周辺はイナカで人っ子一人いないし街灯あんまりないし台風すごいしで
"お化け出るんじゃない!?"位の様な心細さがあった。
でも管理人さんが待っていてくれてね。心強かった。
帰りは嬉しくてね。この時からやっと"付き人としての仕事"というものを
意識していく様になったのだと思う。