これは2014年の記事。1995年頃のプロレスラー新人時代の事を



振り返って書いた記事。



藤原組長の本を読んだりパンクラスもよく見てたな。



~以下本編







私は関節技に興味を持ち練習した。


体は大きくないし、声が小さい、気も弱く"強くなるにはこれしかない"と思ったのと、単に好きだったからかな。


プロレスを代表する関節技(卍固めやコブラツイストなど)には興味がなかった。地味なやつを好んだ。


矢樹さんに稽古をつけてもらったり新宿の百人町にあったスポーツ会館でサンボを習いに連れて行ってもらったりした。


私は昔から「地味でもいいから強くなりたい」と言っていた。


派手さを求めたり着飾ったりする意味が全く分からず、随分悩んだ。


やりたいけど辞めたいし色んな選手に相談したけど尾崎さんにはずいぶん相談した(尾崎さんはノイローゼになりそうだったと言うくらい)


ある時尾崎さんに新技を教えてもらった。飛び付き式腕ひしぎ逆十字固めなのだが、斬新な飛び付き方。実は尾崎さんが開発したのだ。


「こうやってやれば出来るんじゃない?」と尾崎さんが実践するとけっこうすぐ出来た。私がやるとなかなか上手くいかず、自分のミゾオチに効くし嫌になったが


根気よく「もう少しだ、出来るよ」と言ってくれ、何となく出来るようになっていった。



雑誌取材時の試しショット



~本編終わり



自分ってプロレスとは何か?という基本的な事を知らずに



入ってきたんだなーって今さらながら思う。プロレス辞めてからの方が



周りが見える(爆)



プロレスを代表する様な関節技は...できるかもしれないけど絶対得意じゃない。



破壊力はあるけど恐ろしく地味な関節技ばっかやってたから



尾崎さんは自分の行く末を心配したんだと思う。



ただね、自分は運動神経悪いのにスポーツやりたい人なんだよね。



この飛び付き十字は慣れるまでホントにイヤだった。



こんな痛いのずっとやらなきゃならないの!?って。



ぶっちゃけ「天野この技できないのか」って諦めてくれないかなって



内心思ってた。しかし諦める素振りは全く見せなかった。



結果、自分のオリジナル技として定着しましたとさ。



先輩方の諦めない気持ちというのは見習わなければと思う。



この十字さ、永島が「ちょっと使わせてよ」ってやったら



すぐできちゃったんだよね。ウソでしょ!?ま、自分の運動神経の悪さと



永島の器用さが相まってね。悔しいけどしょうがないか。



当時、百人町のスポーツ会館で一緒にサンボやってた方が



東神奈川のX-TREM柔術の先生という奇遇(当方、幽霊会員)