これは2014年の記事。1994年JWP女子プロレスで



プロレスラーとしてデビューを果たした。



プロレスラーになるきっかけを語った回。



先日、父親に電話した際、祖父の話しで盛り上がり



書いておこうと思って。



~以下本編











私がプロレスラーになりたいと思ったのはかれこれ物心ついた頃。


故祖父はプロレスが大好きで日曜日夜8時になると、全日本プロレスをTVで見ていた。


そのTVを横目で見ながら、私は父親とプロレスごっこをしていた。


週一回のこの時間の為に日々新技を考えたりした(マッチを投げて気をそらせたすきに殴るとか…スゲー新技、斬新!と思っていた)


やられた父は大ダメージ、そして大ウケ。


私が小学校に上がる位?になると父親はプロレスごっこをしなくなってきた。


大人になってから聞くと、「大人になったらプロレスラーになる!って言い出したから、ホントにそうなったら困るからやめたんだ。」と。


お父さん、後の祭り。


小さい頃から誰に似たのか非常に頑固で荒っぽかったので、そうなるべくしてなったのかなと。


今思うと父親は私に他の選択肢も並べていた。


「競馬とか競艇とかスッゲー儲かるで…ほら、競輪とか。理恵子自転車好きじゃん、俺も昔は競輪の選手になりたかったけど、家を継がないといけないからオヤジに反対されてやめたんだ。」とか。


いいな~なんて考えたりしたけど、プロレスをやりたいという気持ちに比べると、金儲けなんてどうでもいい話だった。


~本編終わり




父親と電話で話してたら祖父の新情報が出てくる出てくる。



何で今更...もっと早く教えてよ!って思ったけど



もう酔ってたから何の話か忘れちゃったテヘペロ



そして「じいさんと理恵子の性格はそっくりだった」って。



似てるとは、昔ほんのり言われた事はあるけど



今回、強く断言されたんだけど。



...え、あんなに理不尽に頑固なの?自分!?



酒好きなのは継いだと思うけども。



昔、祖父、家でドブロク作ってたんだって。



家では米を栽培していたというから、容易だね。



自分が子供の頃、家は平屋で築100年位っていってたかな?



檜風呂の隣に謎の建物があった。父親いわく



そこで祖父はドブロクを大量に密造していたんだって。



昔は個人でアルコール作るのダメだったじゃん?(今もか)



内緒で作っても村の人間は「警察には黙っていてやるから」と



口止め料として毎日飲みに来ていたらしい。



だから祖父は「困る」と言っていたらしい。そうだよね



自分が飲みたくて作ったのに、ふざけんじゃねーよって、なるわな。



あ、あとね、じいさん相撲が村一番強かったらしいんだが



自分も子供の頃、強かったんだよね。



確か小学校一年生の時、遠足で三保の松原行って砂浜で



組の女子で相撲やったんだよね。自分3月生まれだから



体が一番小さい位だったけど、全員ぶっ倒した。



で、もうすぐ2周制覇するかって所で負けたんだけどね。



ま、そこはありがとうございました、祖父。





そして金なんてどーでもよかった。



高校卒業して皆は銀行に就職するとかだったけど



自分は、そんなの考えられなかったもんね。



プロレスのオーディションに落ちたとしても



東京で働きながら次の年に、またオーディション受ければいいじゃん



って思ってた。もうそれしか人生の目標なかったもん。