これは2014年の記事。



1994年にJWP女子プロレスでプロレスラーとしてデビューを果たし



その後、1995年4月15日に旗揚げ戦を果たした



GAEAJAPAN後楽園ホール大会での話し。



こういうのを"革命"というんだろうな。



~以下本編












4月15日、GAEAJAPANの旗揚げ戦が後楽園ホールで行われるという。


旗揚げ前からリング設営のやり方を教えたりしていたから、一期生とは数度会っていたか。


旗揚げ戦を皆で見に行った。というかお手伝いもしたのかな?


南側通路で試合を見た。


永島千佳世VS植松としえ


試合はドローの末、延長戦ドローだったか。


両者軽量級ですげースタミナ!植松のドロップキックはすごいね!永島の脚の細さは小枝みたい、折れちゃいそう。


永島はスパッツ型の水着を着ていたが、太ももの辺りが見るからにユルユルだった。


皆で「あの子の脚、マッチ棒みたい。細すぎない!?」とざわめいた。


当時、女子レスラーは"足が太いね"と言われるのは誉め言葉だ、と言われていたから。


里村メイコVS加藤園子


里村が腕ひしぎ逆十字固めで勝利、秒殺劇だったが、とても見ごたえのある試合だった。


里村は表情が怖かったが私はなぜか「鮭みたい」と思った。


当時TVで放送していた「天才たけしの元気が出るTV」のプロレスオーディションで合格し、番組で芸名(?)が命名されていたシュガー佐藤もデビューした。


とても刺激になった。


寮の屋上にてプチ流行、日焼けをする図。
(2021年補足:天野です)

色っぽさのかけらもない。
(2021年補足:倉垣です、いづれも27年前)


~本編終わり



Google先生より。まだ寮建ってた!今は誰が住んでるとか


全然わかんないけど。





GAEAの旗揚げ戦、手伝いに行ったんだよな。


前にも書いた記憶あるんだけど、リングをエレベーターで上げる時


~ちょっと別話し また長くなるから今度詳しくやるけど


後楽園ホールで笑点とか金ちゃんの仮装大賞やってたんだよ。知ってるか。~


話し戻り、後楽園ホールは5階だから下からエレベーターで


リングの部品上げるんだけど


(そのエレベーターは3メートル×2メートル程の大きさで


前後の出入口が付いているの。出入口は鉄の格子状になっている。)


その時、場外フェンスの足(って言うんだけど)が格子から


外に飛び出ちゃったみたいで、それが2階の階下に引っ掛かっちゃって


エレベーターが止まっちゃったの。


にっちもさっちもいかなくて...1時間程停止してたな。


その間リングも作れず、お客さん用のエレベーターで


色々運んだ覚えはある。


当時、GAEAJAPANはすごく人気を博していた様で


永島に聞いたら「いつもチケットとれない」って言ってたな。


その頃JWPも毎大会、満員御礼だったけどGAEAとは客層が違った。


JWPのお客さんは男女比が7:3位だったかな?に対して


GAEAは2:8(永島リサーチ員)だったと。会場の雰囲気も


まるで違った。


もうね、会場の期待感とか盛り上がりかたがすごかったと思う。


当時は団体対抗戦が激しく行われており


大きな大会では有名選手が起用されるのが当たり前だった。


どこの馬の骨とも分からぬモノのプロレスデビューなんて


呼び物にもならない事だったが、そこは"長与千種"さんが


プロレスラーとして育てた選手のデビュー戦となれば話は変わってくる。


語り始めると長くなるから(^^;


里村が「鮭みたい」って思ったのは、まず水着が赤いし


目がギョロッとしていてホッペも赤いし、それで口をパクパクさせていたから


シャケみたいに見えたんじゃないのかな?


永島、足、細っ!今も、まあまあ細いか。


今、膝下に、おしゃれレッグみたいなのしてるじゃん!?
これね。


あれって足が細くて貧弱なのを隠す為に始めたらしいよ。


って本人から聞いた事あるけど。典型的、宇宙人体型。


で写真。自分が写っている写真の向こうの空間に


晴れた日は富士山が見えたんだよ!


日焼けサロンにもよく行ったな~。


肌が黒い方が強く見えるって先輩から言われてね。


倉垣、肌弱いのに...日焼けできてた記憶ないんだけどな!?