これは2014年の記事。1994年JWP女子プロレスのオーディションに合格し
11月頃、そろそろデビュー戦だという事が決まった。
矢樹さん菅生さんにデビュー戦で着る水着を買いに連れていってもらった。
アメ横のスポーツショップだった。
それぞれが思い思いの水着を選んだ。
激しく動くのでずれない様に両方股のところに靴紐を通すべく"補強"を縫った。
1994年12月4日。なぜそのメンバーになったのか、その経緯は覚えていない。
宮口VS天野
能智VS久住だった。
故郷静岡県から父親がバス2台を手配し、皆応援に来てくれた。
入場式があった。全く覚えていない。
第一試合目10分一本勝負"宮口VS天野"、私は赤コーナーだったと思う。階段の下、関西さんが「よし、いってこい!」と腕を組んでいたのを覚えている。
試合が始まった。日頃の練習の成果かスタミナ切れする事は全くなかった。むしろ客席に目をやる事ができた。
「ラスト10秒!」時間がない!ロープワークをしドロップキックをしようとするも、やはりボディースラムがいいか、急いで宮口のところに戻るもタイムアップ。
なんと初々しい幕切れ。10分ドロー、二人はレフリーに手をあげられる。
試合が終わるとすぐ水着の上からTシャツをはおりセコンドにつく。
久住も先輩相手に積極的な試合展開だった。
関西さんやデビルさんから「すごく良かったけど、今日がデビューなのだからまだまだこれからだぞ」みたいな事を言われたと思う。
試合はすごく良かったと色んな人から評価を受けた。
~本編終わり
水着はアメ横のムラサキスポーツで買ったと思う。
7000円位だったかな?今みたいにデビュー戦から立派なコスチューム
なんて事は絶対なかった。製作している所も少なかった。
フィギュアスケートの「チャコット」さんと「あつこさん」だけだったのかな?
デビューして数年後からあつこさんにもコスチュームを製作して戴いたが
とにかく縫製が超複雑で超丁寧。シロウトでもわかる。
あつこさんは病気で他界されてしまい、もう15年以上経つのかな?
その頃には他にコスチュームを製作できる方が徐々に増えてきていた。
その方達に、あつこさんのコスチュームを見せると一様に超驚き
「え!?これは...どうなってるんだ!?」と、しばらく調べるのだが理解できず
「もっと調べたいので、しばらく貸してください」と、なるのだった。
お値段以上に満足感があるものだった。
永島も"プロレスラーになったのなら一度はあつこさんに..."
という夢があったらしく、自分がフリーでGAEAに出始めた時に
永島とシュガーにあつこさんを紹介したんだって。覚えてないけど。
あつこさんって始まりは全女さんのを作ってたんだったっけ?たしか?
市販の水着、補強縫ったね。でも補強縫うのが面倒臭いのと試合してると
どうしても股の部分って気になるじゃん。だからスパッツ履いた上に
水着を着るスタイルにする者が現れた。なるほど~それ、いいかもと思ったけど
ある時倉垣がそのスタイルで試合してたら(補強を縛らないでやっていたのかな?)
水着がどんどんせりあがってきちゃって、ついには
ハイレグになっちゃったの。満員の後楽園ホールはどうしたらいいのか分からずに
シーンと静まり返ってすっごい変な空気に包まれてしまったよ。
...また何の話し?
12月4日のデビュー戦は久住宮口天野だったんだけど
ここにホントは倉垣も入る予定だったんだよね、確か。
倉垣は当時、右頬に小さなガングリオンがあり、デビュー戦前には、どうしても
それを取りたかったみたいで、その手術で少し練習休んだんだよね。
確か、その休んだ事が問題になり外されたという記憶があるよ。
一世一代のデビュー戦は完璧に向かえたかったんだね。
いよいよ1994年12月4日JWP女子プロレス東京‐後楽園ホール大会。
実家、静岡県清水市より父親が大型バス2台をレンタルして
応援に来てくれた。ありがたいけど...超田舎っぺっぽい~(^_^;)
バス代は父親が負担したんだろうが、今ふと思ったんだけど
まさかチケット代までは出してないだろうな?
この人そういう事しそうでコワイ。今度聞いてみよう。
デビュー戦では親類や友達から祝儀や手紙などたくさん戴いたろうに...
覚えてない┐('~`;)┌
とにかくデビュー戦はすごく良かったと評価を受けた。
道場での練習をそのままやっただけなんだけど...と思ったけど
それは先輩方の指導のたまものだよね!!先輩方の手柄です。