これは2014年の記事。1994年JWP女子プロレスのオーディションに合格し
練習生として入門、リング設営などの思い出を語った回。
リング作りには特に炎を燃やしていた。今では...
筋力的には持てるんだけど、バランス取れずに転ぶと思う。
最近リング作り手伝おうとしたんだけど、おっかなくて
すぐに離脱した(*_*;怪我したなんてなったら余計な迷惑かかるからね~(^^;
~以下本編
私達練習生はまだまだ巡業には連れていってもらえなかった。
月に10日位、先輩方は巡業に行ってしまう。
その間自主練習となるのだけど、私は実家に帰っていた時があった。
ばれて静かに怒られてとても恐かった。
関東近辺の日帰り試合には同行した。
まだ控え室には入る事ができなかったが、リング作りはだいぶ覚えてきてコツをつかんだ。
"リング作りもトレーニングのうち"と言われ息が上がっても作り続けた。
"会場では絶対歩くな、走っていろ"とも言われていたけど。
当時は"私が5人いれば誰よりも速くリングが組める"とすごい自信を持っていた。
というわけでこの世代は20年リングを組み続けている訳で、もうリング作りのプロである。
~本編終わり
当時はリングの組み方をノートに図を書いていたの。
自分の中では"いかに早く美しくリングが組めるか"が課題だった。
だからリング作りの時はひとりでピリピリムード出してたかも。
実は昔、今の新宿FACEのこけら落としのリングを作る為に
(現在のはもっと改良されてるはず)当時解散が決まっていた
GAEAJAPANのリングの実寸を、くまなく全部測ったの。
それを元にFACEのリングは作られたんだよ。
FACEは天井が低くてね。スタンダードなリングだと
トップロープからの技はほぼできなかったから。
FACEの前身は新宿リキッドルームという会場で
あの会場で試合を初めてやったのが
JWPの"ひーちゃんず興行"だったと思う。
当時はリングは常設ではなかったから、下から運んだんだよ。
...そりゃ地獄だったよ。リング作り回はまだまだ出てくるから
ここでは語らないけど。
時代は変わり今は色んなリングがあるよね~!?
たまに毛色の違うリングに出会うとウズウズしてリング下見ちゃう。
オメーはリング屋さんかよ...。
これ、ひとつ下の寮生2名が加わった時の写真だね。全員で11人。
後列左から本谷、菅生さん、柳沼さん。
中列左から天野、久住、宮口、宮崎。
前列左から倉垣、小松、橋本、小林。
能智さんとかが写真撮ってくれたのかな?