これは2014年の記事。1994年JWP女子プロレスのオーディションに合格し



練習生として入門、有明コロシアム大会へ仕事で行った時の話し。


調べたら94年5月22日、会場には10700人のお客さんがいらしたんだって。
wiki先生より。一万人!!


先生によると当時、電車りんかい線はまだなくて、相当不便な会場だったって。


当時JWPの勢いが凄かった事を感じさせる事象だったらしいよ。


大きな大会だったんだな。


~以下本編












最近宮口に会った。開口一番「アンタブログ見てるで。見てると“あ、こんな事あったわ“と思い出すよ。」とありがたい言葉。


思い出せない事があったから聞くと、「わからへん」と。


えー?何でそんな事覚えてないの!?と言ったけど、私もじゃんね。


うーん、じゃ、有明コロシアム大会。


まだ練習生になって日が浅い時、JWP有明コロシアム大会へ連れていってもらった(つーか仕事だけど)


自分達の中でセコンドに着けるのは二人だったかな?じゃんけんをして決めた。勝った人が行くんだったか?


私はおっかなくてつきたくなかったから、負けて良かったと思った。見てるだけでいいや。


こんなに広い会場なのにメチャクチャ人が入ってる。


対戦カードとかあまり覚えてない。それよりセコンドに行った人間が気になる。大丈夫かな?


セコンドについていた人間が帰ってきた。「どうだったどうだった」と聞くと、「ジャマでお尻蹴られた」みたいな事を言ってたか。


その時は行かなくて良かったと、ほっと胸を撫で下ろした。



~本編終わり



当時、上の選手なんて話しもほとんどした事なかったし...



っつーか私用の話しなんかするのは禁止されていた。



雲の上の人。神格化されてた。



「はい!」か、「今確認します!」の二択。「分かりません」はダメ用語だった。



パワハラなんて言葉、今あるけど、そんなの当たり前だったし



プロレスはそれありきだと思う。今でも思うけど



それは時代錯誤ではないと自分的に思ってる。



待てよ、この話し、ここでぶった切ると、すごく反感買いそうだけど



し始めると絶対長くなるから、また今度。



これはレスラーじゃないと理解できない貴重な感覚かも。



今さら何言われてもどーでもいいんだけど、ひとつ言うのは



規律そして愛のあるパワハラっつーのかな?



その代わりじゃないけど、ゴマスリなんか一切しないし



そんなもん通用しなかったと思うよ。



私は老若男女、基本的には皆さん尊敬の対象です。



...話し戻り、だし、セコンドの付き方もまだあまり分からなかったし



一つ上の先輩選手がセコンドで失敗して殴られたりしているのを見ていたから



恐ろしいじゃん!?



ジャンケンで勝った人がセコンド行くって事は皆、行きたかったのかな?



自分、絶対行きたくなくて、ま、七分の2だから確率的には低かったけど。



誰が行ったか忘れたけどケツ蹴られたのは小林じゃなかったかな?



場外で尾崎さんが椅子攻撃しようとして椅子掴んだら



小林が"危ない!"と思ったのか、その椅子を持って阻止したんだって。



今思うとメッチャ面白い!、ま、ケツ蹴られるわな。



お客さんじゃなくて、まさかの身内にこんな事されるなんて...



今、夜中なんだけど想像すると1人爆笑してるところ。



小林は小林で一生懸命だったんじゃない?



でも、この時セコンド付いてた他の先輩方は、この状況見て焦ったろうな~(笑)



この会場にいらしたお客さん達は車とかで来たのかな?



昔、横浜アリーナの終電事件とかあったよね。



あとね"覚えてない"って書いてあったけど一つだけ覚えているのは



キャンディー奧津さん VS  X になっていて



そのXは全日本女子プロレスの選手だという。



奧津さんの入場後、始めはゼンジョのテーマ曲が流れ



突如、井上京子選手の曲にスイッチすると会場中から



ワーッとスゴイ!声援が興った事は脳裏に焼き付いている。



何で皆こんなに興奮しているのか?当時さっぱり分からなかったけど(・・;)