後楽園ホール大会の次の日(18日)がお通夜でプラムさんの実家で行われた。たくさんの方々がみえた。


プラムさんの顔は普段と変わりなかった。夢の中にいる様だった。


次の日19日が葬式。私達はJWPのジャージで参列。


プラムさんのお父さんは"娘の選んだ道だから"と。悲しいのにさすがすごい言葉だ。


次の日新聞各社がこぞって一面で取り上げた。私はセブンイレブンでそれを全部購入していまだに保存しているのだが、見ると今でも当時の事がよみがえる。


もう17年も経つのか。


私達は知っているから皆知っているだろうと思ってしまうけど、知っているわけない。


プラムさんはすごく闘ったのだなと思う。悲しみも深かったと思う。


死の矛先が尾崎さんに向けられたがそうじゃない、悲しいかな、プラムさんのプロレスラーとしての本能が原因だった。


近親者の話で後でわかった事だがプラムさんは1ヶ月程前から頭痛に悩まされていたらしい。バファリンを飲みごまかしていたらしい。


病院の先生も"少し前から脳の腫れはあったのではないか、だとしても普通の人だったらこんなに生きていない"と言っていたらしい。


プラムさんは、ずっと欠場が続いていた事、頭痛なんてよくある事、だからそんなに重要に考えなかったのかな、それとも言い出しにくかったのかな、言ってまた欠場になりたくなかったのかな、と思う。


























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