メインイベントが終わり急いでリングを片付けて病院へ向かった。


プラムさんは手術中だったかな、開頭手術をしたという事。手術が終わっても脳の圧が下がらず危険な状態らしい。


私達はその場にいてもどうする事もできないから12時頃まで病院にいたけどバスで東京へ帰って行った(17日は後楽園ホール大会があるため)先輩方は16日の新幹線ギリギリまでプラムさんのところに残った。


その時、試合を欠場していて東京にいた関西さんがプラムさんの家族を連れて広島の病院に来てくれた(16日朝)


先輩方はギリギリまでプラムさんの耳元ではげましの声をかけていて、"ごめんな、帰るからね"と言うとプラムさんの目から涙がこぼれたという。意識が戻らなくても耳は最後まで生きているんだ。


先輩方が新幹線に乗り東京へ向かっている時、プラムさんは息を引き取った。


1997年8月16日夕方6時25分だった。


私達は16日中に東京へ戻り、私は金町の自宅でじっとしていた。本谷から電話がきた。泣いていたのですぐに察した。次の連絡網は誰だったか覚えていないけど回した。


まだ1年目、関西さんの赤いベルトを取った記念。




















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