創作コラボ企画「オトメ酔拳」スピンオフ

蜂蜜酒の精霊ベレヌス=メブミードの過去の物語です。

 

前→【小説】流浪のマレビト(64) - 婚約3 

 

 

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「ミード様、お久しぶりです」

 窓辺に吊るした白い野菊の花に手を伸ばしたところでミードはふと手を止める。親しげに名を呼ぶその声は初めて聴くものであったが、同時に聞き覚えのあるものでもあった。

「お待ちしてました。これは……本当に立派になられましたね」

 強い意志の宿った金色の瞳を輝かせた青年——白い式服に身を包んだフィンレイの方を振り返り、ミードは静かに目を細める。フィンレイはほんの数年の間に背が伸び、体つきも随分と逞しくなっていた。わずかに少年の面影は残っているが、低い声や骨ばった大きな手は、彼がすでに子供ではないことを物語っている。

「ありがとうございます。成人の儀が無事に終わり、メイブを妻に迎える準備がやっと整いました」

 フィンレイは、この二年間でバイルン公国が所有する領地や友好関係にある諸国を訪ね歩いていた。どの土地にどのような問題があるか、どのような特徴があるかを知らなければ、適切な統治を行うことはできない。成人してすぐに後を継ぐわけではないが、バイルン公の容態が日に日に悪化していることを考えると、その日が来るのはそう遠くないだろう。

「婚礼の日取りは決まったのですか?」

「いえ、それはまだ……。ですが、できるだけ早急にと考えております。ずいぶん待たせてしまいましたから」

「そうですね。その方がよいでしょう」

「あの、ミード様。今日はいったいなぜ私を呼んだのですか? それに、先ほどから何をなさっているのですか?」

 フィンレイが怪訝な表情を浮かべてそう問いかけると、ミードは革で包んだ薬草を袖の中に入れながら答えた。

「私はここを去ります」

「そんな……! なぜですか?」

「これを見てください」

 ミードは一枚の羊皮紙をフィンレイに手渡す。

「これは?」

「南の大陸で勢力を伸ばしているユディト教の勢力図です。こちらではまだ広まっていませんが、あちらではかなりの勢力を持っています」

「詳しく教えてください」

 フィンレイは机の上に羊皮紙を広げた。ほんの少し前まではまだあどけなさを感じる表情をしていたのに、ほんの一瞬で「領主」らしい風格の備わった表情になっている。

「ユディト教が始まったのは南大陸の砂漠地帯に近いこのあたりからです。ここは昔から重要な交易ルートで、ユディト教も商人の手によって東へと伝播しました。最初はそれほど大きな力を持っておらず、その活動が問題視されることも少なかったようですが、大陸の覇者であるロウィナ帝国皇帝がユディト教を保護してから急速に広がり始めました」

「皇帝に取り入ろうとした貴族たちがユディト教に改宗したんですね?」

「そのとおりです。さらに、貴族たちは自らの忠誠心を示すためにユディト教の司祭を領地に招き、自由に布教活動を行えるように権利も与えたのですが……これが大きな間違いでした」

「間違い……ですか?」

「ユディト教は自らが信仰する神以外の存在を認めません。彼らは布教に赴いた地で信仰されていた古き神々を悪魔として貶め、その神殿や像をことごとく破壊し、改宗を拒む者や神官、巫女たちを虐殺し、教義に背く者には鉄槌を下しました。その一方、信仰の篤い者には便宜を図り、力と富を与えるようになったのです」

 一人の人間による悪行はその者が命を失えば終わる。だが、神は決して死ぬことはない。ゆえに、神の名の下に行われる「正義」という名の悪を止めることはできないのだ。まして、正義を行使すればするほど——すなわち、悪行を重ねるほど寵愛を受けられるとなれば、止めようという考えすら浮かばないであろう。

「ユディト教は皇帝ですら止められないほど強大になりました。海を隔てたこの地にはまだ届いていませんが、いずれ必ずやってきます。自らを正義と信じてやまないものはそういうものです」

「受け入れるしかないということですか」

「おそらく、そうせざるをえないでしょう。ですが、受け入れても主権は維持し続けなければなりません。交渉を行い有利な条件を引き出す必要があるでしょう」

「わかりました。彼らについて詳しく調べておきます。知っておかねば交渉のしようがありませんからね。あの、もしやミード様がここを去るのは……」

 ミードは静かにうなずいた。

「私は人間ではありません。何十年、何百年経っても老いることなく、いつまでも姿が変わらぬ私の存在が知ったらどう思うでしょうか? おそらく彼らは、私を悪魔と呼び、悪魔がいるこの国を滅ぼそうとするでしょう」

「……理由はわかりました。しかし、彼らはまだ遠い存在です。もう少しメイブのそばにいてやってくれませんか?」

「それはできません」

 どのようなことがあっても決定は覆らないと宣言するような冷たく硬い声色でミードは言った。フィンレイは「なぜ」と問おうとしたが、口を開きかけてそれをやめる。

「わかりました」

「理由を聞かないのですね」

「はい。どんな理由であれ、ミード様は常にメイブのためを思ってくださっています。私にそれを止める権利はありません。ただ、ミード様を信じるのみです」

「ありがとうございます」

 フィンレイの言葉にミードの胸がわずかに傷んだ。彼が言う通りメイブのための選択ではある。だがそれ以上に、ミード自身の問題に対処するためであった。

「メイブには何も言わず行かれるおつもりですか?」

「ええ」

「どこに行くか聞いてもいいですか?」

「過去が眠る場所です」

「はっきりと教えてはくれないのですね」

「心配には及びません。身を隠すだけでそう遠くには行きませんよ。ですが、メイブにはただ“去った”とだけ伝えてください」

「わかりました。それにしても、新婚早々嫌われたらミード様のせいですからね」

 フィンレイは苦笑しながら言った。重苦しくなりそうな空気を軽くするための他愛のない冗談だ。

「いつ発たれますか?」

「お二人の婚礼を見届けたらすぐに」

「では、婚礼の日取りが決まり次第お伝えします」

 フィンレイはそういって姿勢を正すと最上級の一礼をする。それこそがミードにできる最大の感謝のしるしだった。

 

 

 

 

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