創作コラボ企画「オトメ酔拳」スピンオフ

蜂蜜酒の精霊ベレヌス=メブミードの過去の物語です。

 

前→【小説】流浪のマレビト(45) - 夜伽3

 

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 わずか五分程度でヴィラは心地よさそうな寝息を立てて眠りこんでしまった。彼女は立っているときに腰をわずかに反らせており、それが原因で肩や腰に大きな負担がかかっていたが、メブミードの“技能”によってずいぶん解消されたらしい。

「あなたにとっては少々割の合わない取引となりましたが、これまで何度も嘘をついてきた罰だと思ってくださいね」

 メブミードは眠るヴィラに上掛けをかけながら静かに言う——メブミードの技能を買う条件として彼女は、彼がいる限り他の男性を引き入れないことを誓った。これにより彼女は男娼を城内に引き入れることができなくなり、公女が外部からの脅威にさらされる可能性はずっと低くなる。汚い手を使ったという自覚はあるが、危険な芽をそのままにしておくわけにはいかなかった。

 メブミードはヴェールを付け直し、部屋の外に人がいないことを確認してから女主人の間を後にすると、公女の気配をたどって歩き始める。どうやら彼女は、建物の北側にいるようだ。

 建物の北側への立ち入りは限られた者しか許されていないのだろう。廊下には薄っすらとほこりが積もり、ヴィラのものだと思われる足跡だけがついている。通り過ぎた使用人の部屋にも人の気配はなく、現在は誰も使用していないらしい。

 歩みを進めるごとに公女の気配は強くなっていったが、まだずいぶん距離があるように感じられる。この建物の中にいないのだろうか。この先はメブミードがかつて暮らしていた祠やギネヴィと先代バイルン公夫妻が眠る聖堂しかない。いずれにせよ、幼い少女が生活する環境として適切とはいいがたい場所だ。

 北の庭に通じる扉の前に立つ——間違いない。公女はこの先にいる。たった一人で外に追いやられ、どこかに幽閉されているのだ。

 メブミードは一刻も早く彼女のもとに駆け付けたいという気持ちを抑え、外の気配をうかがってから慎重に扉を開く。伸び放題の草が月明かりを受けて銀色に輝く庭に、七年前には存在しなかった石造りの小さな塔が建っているのが見えた。

一見すると納屋に見えるそれに公女は幽閉されている。祠や聖堂に比べればいくらかましに感じるが、いずれにせよよい環境とはいいがたい。メブミードはゆっくりと塔に近づき、粗末な木の扉につけられた青銅製のかんぬきをもどかしく感じながら外す。

「これは……」

 開け放った扉から入り込んだ月明かりが塔の内部を照らす——そこには、かつてギネヴィがその身を横たえたソファや、先代のバイルン公を描いた肖像などが乱雑に詰め込まれていた。国を奪い地位を奪っただけに飽き足らず、この地に刻まれた歴史や人々の記憶まで奪おうというのか。

「なんということを……」

 メブミードはギネヴィのソファに歩み寄り、飴色のひじ掛けをそっと撫でる。たった七年しか経っていないというのに何十年もの時が経ってしまったかのように見えるのは、主を失い誰の目にも触れない場所に追いやられてしまったからなのだろうか。悲しみと怒りの感情が沸き上がり、無意識のうちにこぶしを握り締めていた。

 公女は塔の上階にいるようだ。メブミードは駆け上がりたい気持ちを抑えながら螺旋階段をゆっくりと上りながら顔と髪を覆っているヴェールを外す。なんと声をかければ彼女を怖がらせずに済むだろうか。メブミードは公女を知っているが、彼女はメブミードのことを知らないはずだ。七年前の記憶があるとは到底思えないし、誰かから話を聞いたこともないだろう。

 その答えが出る前に最後の扉にたどり着いた。もはや答えを探す時ではないと意を決したメブミードは、ほんの数秒ほど息を整えると扉を優しくノックする。

「誰?」

 わずかな間のあと、微かなすすり泣きの隙間から鈴を振るような声がした——初めて出会ったころのギネヴィの声とどことなく似ている。

「私は……」

 名乗ろうとしてメブミードは言葉を詰まらせた。何かもっと言うべきことがあるはずだ。今、彼女にとって重要なことは来訪者が誰であるかではなく、何者であるかではないだろうか。名を名乗るのではなく、何をしに来たのか、彼女にとってどういう立場の者であるかを話すべきだろう。

「私は、あなたの母上の古い友人です」

「……母様?」

「はい。あなたの母上……ギネヴィ様は永久の眠りにつく直前、私にあなたを託しました。そして私は彼女の命に敬意を捧げ、あなたを生涯守護することを誓いました」

 ギネヴィの名を口にすると、すすり泣く声がぴたりと止まった。扉の向こうからメブミードの言葉に意識を集中する気配がする。

「それなのに……こんなにも長い間あなたを一人にしてしまった。どうかわたしを許してください。そして、もし私を許してくれるのなら、この扉を開く権利を私にください」

 しばしの沈黙——時間にして数十秒であったが、メブミードにとっては七年分の重みのある長い沈黙が流れた。

「いいよ」

 メブミードは胸をそっと撫でおろし、小さく息をついてからゆっくりと扉を開く。切れていた糸が再び繋がるようにメブミードと公女の魂が結びつき、冷たい土の下から種が芽吹くように不思議な高揚感が沸き上がった。

 高窓から忍び込む微かな月明かりに沈んだ暗く冷たい部屋に公女はいた。粗末なベッドの上に身を起こし、ペリドットを思わせる緑の瞳を大きく見開いたままメブミードを見つめている。ギネヴィと同じあの美しい色。

「あぁ……」

 わずかに声を洩らした彼女は、口元に笑みを浮かべて喜びの表情を見せた。黒い髪に縁取られた雪のように白い頬の上を一筋の涙が流れ、言葉にならない思いを雄弁に語る——ずっとあなたを待っていた。

公女はベッドから降り、待ちわびた魂の片割れをその手に抱きしめようとするように腕を伸ばしてゆっくりと歩き始める。脚をわずかに震わせながら上体を大きく揺らすその姿から、脚が弱っていることが容易に見て取れた。

「あっ……!」

 わずかな段差につまずき体のバランスが大きく崩れるや否や、メブミードはとっさに駆け寄って公女を抱きとめ、その体の小ささと軽さ、腕や肩の細さに驚く。年齢に対して体の発育が明らかに遅い。

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 公女がメブミードの腕の中で怯えたように震え始める。強烈な恐怖と悲しみの感情が流れ込み、胸が強く締め付けられ、彼は全てを理解した。彼女はただ幽閉されているだけではなく、虐待を受けているのだと。

「なんと労しい……」

 メブミードは怯える公女を強く抱きしめる。なぜこんなことになってしまったのか、なぜこんなことができるのか、なぜもっと早く戻ってこなかったのか——後悔と怒りが激しい波のように次々と押し寄せ、身を引き裂くような苦痛となって襲い掛かる。

「謝らなくてはいけないのは私のほうです。私がふがいないばかりにあなたを苦しめてしまった。本当に……本当にすみません。だからどうか、謝らないでください。どうか、お願いです」

 公女はメブミードの腕の中で声を殺して泣いた。虐げられ、暴力を振るわれ続けた子供が最初に覚えることは、どうすれば新たな暴力から身を守れるかということだ。虐待者は子供が声をあげて泣けば「うるさい」と怒り、泣かなければ「生意気だ」と怒る。最も安全なのが、そのどちらでもない「声を殺して泣くこと」なのだ。

「もう大丈夫です。これからはずっとあなたのそばにいます」

「……本当?」

「はい。私は、私のすべてをもって、あなたを守ると誓います」

「……うれしい」

 公女はそっとメブミードの背中に手をまわし、恐る恐る抱きしめる。二人の胸の中に安堵と幸福感が広がり、その喜びは嗚咽となって公女の口からあふれ出した。

 

 

次→【小説】流浪のマレビト(47) - 再会2

 

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