創作コラボ企画「オトメ酔拳」スピンオフ

蜂蜜酒の精霊ベレヌス=メブミードの過去の物語です。

 

前→【小説】流浪のマレビト(41) - 娼婦3

 

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「売られた先でもひどいことをされた。毎日殴られて、無理やり犯された。雪の日の夜にほとんど素っ裸で逃げて、それからずっと体を売って生きてる。子供生めない身体になっちゃったし、それしか知らないから」

 彼女の人生からあらゆるものを奪っていった行為によって生きる糧を得る。その苦しみはいかほどのものなのだろう。生きるために自らを傷つけ続け、心はどんどん色を失っていき、やがて何も感じなくなる。何も感じ無くなれば救われるだろうか——否、体の死は救いとなることがあるが、心の死は決して救いにはならない。体の死は地獄の終わりを意味するが、心の死は地獄の始まりを意味する。

「あなたは何も悪くない。ただ必死に生きてきただけです。それをなぜ、汚れていると言うことができるでしょう? あなたは何も悪くないし、汚れてなんかいない。だからどうか、自分のことをこれ以上傷つけないでください」

 メブミードは腕の中で嗚咽を漏らすマイラの背中を撫でながら微かに胸が痛むのを感じた。どんな言葉をかけようと、何をしようと、彼女にとって自分はただ通り過ぎていく客人に過ぎない。ここでもまた、メブミードは無力なのだ。

「……アンタ、優しいんだね」

「不実なだけです。何もできないし何もしないから優しいことを言える。何の責任も持てないのにこうしてあなたを抱きしめている。卑怯ですね。すみません。私はあなたに何もできない」

「いいんだ。こんな風に触れてくれる人がいるだけでアタシには十分だよ」

 マイラはもう泣いてはいなかったがメブミードはその腕を解かず、腕に力を入れてさらに強く抱きしめた。奪われ踏みにじられ、自身を傷つけながらも生きていく彼女の強さと、そんな自分が誰かを汚してしまわないようにと願う健気さ、魂の奥に秘められた純粋な美しさがたまらなく愛しい。

「苦しいよ、そんなに強く抱きしめると息ができない」

「あっ、すみません」

メブミードは慌てて腕を離した。マイラはメブミードの顔を見て困ったような表情で笑う。もう泣いてはいなかった。

「ほんと、アンタって変なヤツだねぇ。年喰ったジジイみたいなこと言ったかと思うと、かわいさ余って子猫を抱き殺しちまう子供みたいなことをする。妙に色っぽくて訳知りにみえるのに、話してみると何も知らないボウヤみたいでさ。調子狂いっぱなしで、話す気もなかったことまで話しちまったよ」

 彼女は床に落ちたヴェールを拾い上げて手で軽く払い、そっとメブミードに差し出す。

「引き留めて悪かったね。ありがと」

「私こそ、あなたのお仕事ではないことを依頼してしまい、申し訳ありませんでした」

「ああ、いいんだよ。実はもう体力的につらくてね。やめちまおうかと思ってたんだけど踏ん切りがつかなくてさ……。でも、アンタの素顔を見たらなんだかやめる決心がついたよ」

「では、これからどうするのですか?」

「ああ、実はね……」

 マイラはわずかに言い淀んだかと思うと、ほんの少し目を伏せて恥ずかしそうに笑う。

「ここを出て、一緒に暮らそうって言ってくれる男がいるんだ。変なヤツでさ、僧侶のくせにうちに通って、もう二年近く通ってるのに一度もアタシを抱いてないんだよ。アタシのために食べ物を持ってきて、それでいろんな話をして、ほんと、それだけなんだけどね……あれ、アンタと似てるね」

「確かに、少し似ていますね」

メブミードはヴェールを付け直しながら答えた。

「でも、顔はアンタとはちっとも似てないよ。こう、右から左に真っ直ぐ切られたような傷跡があってね、目つきも蛇みたいで怖いのよ」

「顔に大きな傷のある僧侶……ですか」

「それに、僧侶とは思えないくらい口が悪くてさ。アタシ、はじめは傭兵か奴隷商人かと思ったもの。僧侶になってまだ七年って言ってたかな、案外、僧侶やる前は悪いやつだったのかもね」

「……その方はなぜ、あなたと一緒に暮らそうと?」

「ん……なんかね、アタシが母親に似てるんだって。彼の母親も娼婦やってて、彼はそれがずっと嫌で、十五かそこらで家を飛び出したんだって。それから長い時間が経って、思うことがあったらしく故郷に戻った。でも、母親はとっくの昔に情夫に殺されていて、悔やんでも悔やみきれなくなったんだってさ」

 夫を亡くした女が我が子を育てるために身を売る。よくある話だ。そして、その子供や稼ぎを目当てに甘い言葉をささやく男が現れ、まだ年端もいかない子供が犠牲になる。これもよくある話だ。

その僧侶と母親と情夫。三人の間で何が起こったのか知る由もないが、母親が息子を情夫の手から守るために、あえて家を飛び出すように仕向けたのだとすれば……そして、それが原因で情夫に殺されたのだとしたら——。

「アタシはさ、一緒に暮らそうって言われてすごくうれしかった。それが愛とかそういうものじゃなくても、大切にしてもらえることが嬉しかった。でも、怖かったんだ。信じてついて行って、それでまた捨てられちまったら、酷い目にあわされたら、アタシはもう耐えられない。だから、アンタの後悔をアタシに押し付けないでって怒って追い出した。それからもう一月近く会ってないんだけど……」

「また来ますよ。死にかけても戻ってくるくらいしぶとくて、約束はきちんと守る律儀な人ですから」

「知り合いみたいに言うんだね……って、そっか、占い師だからお見通しってわけか」

「一つくらいは“らしい”ことを言っておかないといけませんからね」

 メブミードはそういって微かに笑うと、身につけたヴェールがずれていないか確認してから小屋を出る。マイラに声をかけられたのはまだ宵の口であったが、今やすっかり暗くなり空には月が輝いていた。

「最後の客がアンタでよかったよ」

「ありがとうございます。私も、あなたにお会いできてよかったです」

「ねえ、あの人、本当に来てくれるかな? 一緒になって上手くやっていけると思う? アタシ、やっぱり怖い。今の生き方しか知らないから怖いんだよ」

「大丈夫」

 戸口に立つマイラの手を両手で包み込むように握ると、メブミードはその手に恭しく額をつけて短い祈りを捧げる。どうか、この手で幸せをつかんでくれますように、と。

「人は誰でも、変わることを恐れます。ですが、真に変わりたいと願うとき、その恐怖を打ち破れるのもまた人というものだと私は思います。そして、それこそが人の持つ強さであり美しさなのだとも……」

 メブミードは静かに顔を上げ、マイラをじっと見つめる。どこか気だるげで気力が失われていた瞳には意志の光が宿り、決心を固めた人間特有の輝きが満ちていた。

「信じてください、自分自身と彼を」

 握っていた手を離すとマイラの肩に触れ、優しく導くように彼女を後ろに振り向かせる——その先には、顔に大きな傷のある男がいた。

「どうか、お幸せに」

 そういってメブミードは見つめあう二人に背を向け、自分の役目はすべて終わったのだとでもいうようにゆっくりと歩き始める。ヴェールの下に隠されたその顔には、かつての自分が何の覚悟もないまま人の命を奪わずに済んだことに対する安堵が広がっていた。

「アンタ……」

「マイラ!」

 男が名を呼んで腕を差し伸べると、マイラは喜びの表情を浮かべて一心に駆け出し、その腕の中に飛び込んだ。

「ごめんよ、あんなこと言って。アタシ、怖かったんだ。許しておくれ」

「わかってる。わかってるさ。だから、少しでも安心できるよう準備してきた。ここから少し離れたところにある寺院に住めるようになったんだ。何もない小さな村だが、一緒に来てくれるか? こんなガラじゃ信じろってほうが無理だと思うが……」

「行くよ。アンタを信じる。どこにでもついて行くよ」

 マイラはそういうと、そっと男に口づけして静かに微笑む。

「好きだよ、リアン」

 

 

 

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