創作コラボ企画「オトメ酔拳」スピンオフ

蜂蜜酒の精霊ベレヌス=メブミードの過去の物語です。

 

前→【小説】流浪のマレビト(1) - プロローグ

 

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 長い冬が終わりスイセンやスミレが顔をのぞかせ、青い釣り鐘のようなブルーベルの花が風に揺れるようになると、季節は本格的な春だ。眠り続けていた命が一度に目覚めたように活気づき、街中に音楽があふれ、人々の笑い声や動物の鳴き声が街道を満たす。

 メブミードは街から少し離れた場所にある小高い丘の上に立ち、風に乗って流れてくる歓喜の調べに耳を澄ませる――人間には決して持ちえない鋭い聴覚が、婚礼を祝う言葉や式典の音楽をとらえた。どうやら眼下に広がる街の領主が若い妻を迎えるらしく、今日はその祝宴が催されているようだった。

 おそらく、多くの人が蜂蜜酒を手に携えて新たな夫婦の誕生を祝していることだろう。子孫繁栄と領地の発展と安寧を祈り、酩酊という夢の中で互いの絆を確認し合っているはずだ。人目につくことはできれば避けたいが、祈り願う者が一人でもいるのなら可能な限りそれに応えたい。わずかに迷ったあと、メブミードは丘を下るため足を踏み出そうとしたその時――。

「お待ちください! そこのお方!」

 誰かが引き留める声。メブミードは小さくため息をついてから振り返る。瞬間、強い風が吹き、地につきそうなほど長い蜂蜜色の髪や外套の裾をふわりと舞い上げた。間近にあるサンザシの木がゆらゆらと揺れ、開花間近のつぼみがたっぷり付いた枝から、一足早く咲いた一輪が地に転げ落ちる。コロコロと踊るように回りながら足元にたどりついたそれを拾い上げてからメブミードは言った――何か御用ですか?

 彼を引き留めたのは豪奢に飾られた屋根付きの輿を担いだ一団だった。先頭に立つのは武装した初老の男で、その後ろに数人の若い兵士、輿を担ぐ奴隷、輿の上にいる主の召使と思われる女官がいる。輿の上にいる者の姿は屋根から何重にも垂れ下がった布で見えないが、その設えから身分の高い女性であろうことは容易に判別できた。

「エドゥアルド様、先を急ぎませんと……」

「わかっている。だがこれは重要なことなのだ。そのままそこで待機せよ」

 若い兵士からエドゥアルドと呼ばれた男はそういうと、兜を脱ぎながら小走りでメブミードに走り寄り、その数メートル手前で跪いて深々と首を垂れた。

「お引止めして申し訳ございません。失礼を承知でお伺いします。もしやあなたは稀人様ではありませんか?」

「マレビト……? それはどういう意味でしょう?」

「私が幼い頃、祖母が申しておりました。サンザシの木の下には妖精が住んでおり、さらにその奥には妖精の国がある。妖精の多くは虫や獣のような姿をしているが、高貴なる方や力ある方は人間に似た美しい姿をしている。彼らは普段、人の世に姿を現さないが、稀に人の世に現れ祝福を授けてくれる。人の世に稀に現れる、人の姿をした人ならざる者。これを“稀人”というのだと」

 メブミードは、自分が人の世から離れているうちに新しい言い伝えができたものだなと感心した。サンザシの木の下に妖精が必ず住んでいるとは限らないし、妖精の国があるわけでもない。妖精はどこにでもいてどこにでも住んでいるが、その力や存在があまりにも希薄なため人間には見えていないだけなのだ。

 ただ、彼はこの話には少し思い当たることがあった。旅を始めるより前、広場に大きなサンザシの木がある村に住んでいたことがあるからだ。争いを好まない穏やかな人々が慎ましく暮す美しい村で、普段は節制しているのに婚礼や新しい命の誕生を祝うときだけは広場に集まって夜通し歌い、踊り、楽しむ習慣があった。メブミードは彼らを非常に好もしく思っており、時折姿を現しては人々に祝福を与えていた。

しかし、その美しかった村も東方から来た異民族に侵略されて跡形もなく消え去ってしまった。人々が喜びを分かち合うために集った広場は血に染まり、村のシンボルともいえるサンザシの木には、惨たらしく凌辱された瀕死の娘たちが吊るされた。あの凄惨な光景と、娘たちの最期の願いを叶えることしかできない自分自身への怒りは今でも忘れられない。

 

 

次→【小説】流浪のマレビト(3) - 出会い2

 

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