雑誌記事「戦艦武蔵建造日誌」感想1
(クリックで拡大)□「世界の船'67、特集アメリカ第七艦隊」以前、古い客船の本を購入した時に抱き合わせでついてきた刊なのですが、これに面白い記事が載っていました。戦艦武蔵建造日誌。この工事を請け負った三菱重工に残っていた、武蔵建造、その一部始終の記録です。□掲載されている雑誌、1967年のもの。ちょうど吉村昭著『戦艦武蔵』が発表された頃で、記事を編集した内藤初穂という方、『武蔵ノート』で取材の便宜を図った人として登場していた筈。吉村さんの取材をきっかけに掘り起こされた資料、その中から、読み物としてまとめるために、『戦艦武蔵』で、やむなく取りこぼしてしまった面白い部分などを、時系列に沿ってまとめて出そう、という事だったのかもしれません。□内容は、非常に生々しいもので、第二次ロンドン軍縮条約の予備交渉が不調に終わり、日本の軍縮脱退が確定的となった1935年5月、艦政本部が三菱側を呼び、「長崎造船所第二船台で建造し得る艦の最大寸法」を問い合わせるところから始まります。こういった会議の日時や参加者、内容など、当時の海軍が、恐らく単品としては最も高額な買い物であったろうこの戦艦を、どのように内示し、見積もらせ、値切ったか(笑)克明に書いてあります。超巨大戦艦の、当初のお見積り金額、62,538,515円なり。ワシントン軍縮条約以来、ほぼ15年ぶりに建造する超弩級戦艦。しかも前代未聞の大きさで技術的試行錯誤もある、この作業にかかると隣の船台も使用不能になるなど、いろいろ付帯的な事柄も盛り込んで出したのだろう金額に対し、艦政本部は呉の軍工廠で先に進めている一号艦(大和)の実績を踏まえ、それほどかからないだろう、という観点から切り込む。最終的に、52,650,000円。これを建造期間中毎年、大体1,200万円づつ、分割払いしていったのだとか。今の価値にして何億なのかちょっと想像がつきませんが、警察官の初任給が45円、煙草ひと箱8銭という時代ですから、値切られた金額1千万円でも相当なものでしょうね。他にも、呉の海軍工廠で作られた搭載兵器の輸送はどちらが持つのか、とか、試運転の燃料代は?など、細かい事柄が話し合われていて興味を引きます。