令和3年の8月、母達は私の住む家に一時的に引越してきたのですが、訪問看護を使うまでに体は弱っていました。



癌は肺と肝臓と骨にまで転移していて、オキノーム(医療用麻薬)を1日に何回も飲んでいました。



母は食欲がなくどんどん痩せていき、主治医の先生も抗がん剤は体力的にもう辞めて残りの人生を楽しく生きましょうと言うのに、抗がん剤は飲み薬で出してくださいと言い張る母をみて、私は何度も抗がん剤を飲むのをやめてと説得するも、聞いてはくれませんでした。



弱っていく母を見て、長くは生きれないと思い、大阪に住む姉に連絡して会いに来てもらいました。



久しぶりに会う娘に母も嬉しそうで、姉がお母さんのおはぎが食べたいと言うと、体がきついながらも姉に小豆の味付けなどの指示を出し、みんなで作りました。



それから1ヶ月くらい私の家で生活をしていたのですが、抗がん剤を飲む事で血小板の数値がさがり輸血をしなくてはならなくなり、とうとう入院する事になりました…



入院して2週間くらい経った頃から母からLINEの返事も来なくなり、主治医から電話があり、あと2週間くらいの命と言われ、私は覚悟を決めました。



とうとう9月24日の朝に病院から血圧が下ってきているからすぐに来てほしいと連絡が入り

あわてて駆けつけると、母はもう昏睡状態でした。



看護師さんが耳は最後まで聞こえてるよとおっしゃったので、私は母に「産んでくれてありがとう。宮崎に来てくれてありがとう。」と言いました。



母の姉妹にも電話を入れ、携帯を母の耳にあて何か最後に話してと言って、聞かせてました。




その日の夜に母は68年の人生を終え天国に旅立ちました。。。



私は今でも思いだします。


私がソファーに座っていると、必ず横に座り、私の足をさすってくれました。

自分の体の方が痛みで辛いのに。



お母さん、私がこんな病気になって色々心配かけてごめんね…