令和2年の夏、母がおっちゃん(再婚相手)と一緒に宮崎に遊びに来た。


それには意味があったと後で知る。。。



母が最近電話で、宮崎に引越ししようかなと言い出した。

コロナの影響でおっちゃんの仕事も減り、年金だけでは生活できないから、宮崎に行けば農業とか仕事はあるだろうと。


私も母達が近くに来たら助けてあげれる事もあるし、私も助けられる事もあるからお互いに良い事じゃない?って言いながら、宮崎に住む事に賛成していた。



今回、遊びに来たのはおっちゃんが宮崎で住む為の視察でもあった。



移住の話は決まり、その年の12月に宮崎に引越しする事になった。


母達は私の家の近くの県営住宅をお借りして住む事になった。


おっちゃんの仕事もすぐに決まり、順調良くスタートした。



母は6年前に大腸がんと診断されて治療をしていた。だから今回の引越しでかかりつけ病院も変えての治療となった。



以前通院していた大学病院から紹介状をもらい宮崎でも大きな病院が良いと、紹介状を持って受診した。


すると担当の医師から、「今までされていた抗がん剤はもう効いていない。だから少し強い抗がん剤に変えます。」との事で治療が始まった。



しかし、今までの抗がん剤は5年続けていても髪も抜けず、一週間くらい寝込むくらいで後は元気だった。



今回の抗がん剤は髪も抜け、食欲もなくなり、体の痛みを訴えるようになり、歩くのも杖をつくようになり、段々と衰えていくのを側でみていた。



そして、コロナワクチンを7月に打ってからはさらに体力もなくなり、抗がん剤の点滴は中止になった。



その時には主治医からあと3ヶ月の命とはっきり宣告された。



私は宮崎に来てこんなに早く癌が進行するなんて…こっちに呼んだ事への後悔もあった。


病院を変えなければ体調も悪くなることもなかったんじゃないか?

コロナワクチンを打たなければ、もっと生きれたんじゃないか?



色々な状況の変化に何が合っているか、何が間違っているかわからずにただ悲しみだけが押し寄せてきた。。。



次回に続く…