2017年も終わりに近づき、

世間では十大ニュースや

今年のまとめが話題になる時期です。

 

このブログの

2017年の十大ニュースというか

1番印象に残ったニュースは

「君の膵臓をたべたい事件」でしょうか。

 

 

 

住野よる『君の膵臓をたべたい』

2017年に映画が公開されて大ヒットした

高校生の青春ストーリー。

原作は2015年6月に単行本が発売され

口コミで話題になり

読書メーターで上位にランクインした時に

「意外な展開がある」と聞いて

8月頃に読みました。

 

その感想を【ネタバレ注意】で

ブログに書いていたら

アメブロの検索エンジンのおかげで

「君の膵臓をたべたい」絡みの検索で

常に上位に登場し、

人気が出るにつれてアクセス数も増加。

映画化が決まった時には

4万アクセスを越えた。

 

しかし問題はここから。

この記事、

実は賛否両論なのです。

 

『君の膵臓をたべたい』は

死をテーマにした泣ける物語で

現代のセカチューと呼ばれるくらい

大ベストセラーな作品。

……なのだが

俺は感動できなくて

「全く泣けない」

「伏線が回収されていない」

「会話がつまらなくて笑えない」

「文章が稚拙」

「はっきりいって凡作」など

気持ちに正直な感想を書いた。

 

この作品はミステリじゃないのに

普段はミステリを読んでいるから

ミステリ好きの目線で分析して

それこそ重箱の隅をつつくような

粗さがしをしてしまった。

そのせいで

作品を批判しているような内容になり

10点満点の評価で

平均点を下回る「6点」という

低い評価を下しました。

 

>【ネタバレ注意】住野よる『君の膵臓をたべたい』の感想。

 

 

この小説を読んで感動した人が

感動を分かち合おうと

ネットで検索し

俺のブログに辿り着く。

ところが批判ばかり書いてあって

不快になった!どうしてくれるんだ!と

このブログのコメント欄に

怒りをぶつけてくる人がいます。

その数、約40件。

 

アメブロが優秀なので

嫌なコメは承認しなければいいし

アメーバアカウントを持ってないと

コメントできなくしてあるので

寄せられた40件はまだ少ない方。

実際に怒りでコメントしたくなった人は

その何倍もいると思う。

 

これはもう、

何とも言いようがない。

俺は自分のブログに

「自分の感想を書いているだけ」なので

そこに「それは違うだろ!」と

文句を言われても困る。

 

でも怒りをぶつけたい気持ちは

よくわかります。

俺だって好きな作家の作品や

好きな人を馬鹿にされたら悔しいし

ふざけんなよと思う。

でも見ず知らずの他人のブログに

批判コメントまでしようとは思わない。

あなたは他人の家に

土足で上がり込んでまで

意見を言えますか?

このブログは俺の家です。

 

もちろん、

ネットに公開される以上は

好きなことを好きなように書いても

いいわけじゃない。

叩かれたくなければ

誰にも見せなければいい。

俺の場合、

批判されることも考慮して

この記事を書いたが、

同時に共感してもらえる部分も

持っていただけるように配慮したつもり。

 

「泣けたから、この小説は良い小説」

という風潮があります。

果たして本当にそうだろうか?

ヒロインが死ぬのだから

泣けるのは当然として

小説の善し悪しが「泣ける」ことに

左右されすぎていないだろうか?

俺は「泣けなかった」から

低い点数だったわけではなく

物語の矛盾点や惜しい点を挙げていくと

次から次へと出てきて

結果的にどんどん評価が下がってしまった。

だから「小説としては普通」と

書いているだけです。

 

それに対し

「あなたには感受性がない」とか

「本を読む資格がない」とか

ひどい内容のコメントもたくさんありました。

基本的に話しにならないコメはスルーしますが

少しだけコメント返しします。

 

<罵詈雑言形>

こういうコメントを

どういう気持ちで書いているのだろう?

膵臓の病気が

架空の病気なのは知ってます。

だからリアリティ不足で

評価が下がりました。

高校生を膵臓の病気にしたり

膵臓おかしくなるまで

梅酒を飲むというのも無理あり過ぎて……。

 

こういうコメントを送る奴は

アメブロに何も記事が無い捨てアカです。

そこまでして

怒りをぶつけたいのでしょうか。

 

<温和系説教形>

 

「この場で言う事はない」って……

自分のブログで言わずに

どこで言えばいいのか。

 

こういうコメントは

承認しても良かったんですが

もう返信コメントや対応が疲れちゃって

嫌になってしまった。

「承認待ちのコメントが1件あります」とか

出る度に憂鬱になってましたから。

 

100人いて100人が気持ちの良い文章。

それは難しいです。

例えば少し前に

「西野七瀬の胸が小さい」ことをブログに書きましたが

俺はなーちゃんが好きで

胸の小さいのも好きでイジってるわけですが

受け取る人によっては

胸の大きさで人を判断するなと

勘違いされても仕方がないでしょうね。

 

できるだけ心がけたいとは思います。

そのかわり

100人いて100人が気持ちの良いコメントを

書いて下さるとありがたいです。

(というブーメラン)

 

<感情論形>

 

本を読んでる読んでないとか

関係あるのだろうか?

本の楽しみ方は自由では?

この本に感動したのなら

感動した方とお話すればよろしいかと。

 

作品を否定はしていません。

その作品を読んで感動した人を

馬鹿にもしていません。

そういう人がいてもいいし、

そう思わない人がいても自由。

 

<勘違い形>

 

俺もスルーしようと思いましたが

考えすぎなので一言。

 

「回収されなかった伏線」は

伏線ではないのです。

今日出会った人物や台詞や行動が

後ですべて意味を持ちますか?

回収されませんよね?

日常生活のあらゆることが

「回収されなかった伏線」になると

すべての物語に当てはまりますよ。

 

そうじゃないんです。

この作者は

「通り魔」「僕の名前」「梅酒」くらいしか

伏線を張っていないし、

別に伏線にこだわっていたわけじゃない。

まるでセバスチャン・ジャプリゾの

『シンデレラの罠』の結末のような曲解。

“あえてそうしている”かどうかは

後付けで何とでも言えます。

 

俺がブログで挙げた

「自殺用のロープ」「おみくじの大吉」

「ウルトラマンのソフビ」などは

俺だったらこれを伏線に使うのに

という「伏線に使えそうなもの」を

紹介しただけです。

 

突然死による悲劇性の伏線は

共病日記で退院して「いえええい」と

喜びを表現してからの事故で

すでに十分悲劇性を与えています。

だから「わざと回収しなかった」わけでは

ないと思いますよ。

 

 

批判コメントばかりじゃなく

共感してくれている方もいることを

付けくわえておきます。

 

レビューの賛否両論問題は

正直言って難しい。

 

俺も昔、

ある小説の感想で

「いやそれは違うよ」とコメントしたら

相手に長々と反論されて

(違うかどうかはともかくとして)

結局は心が折れた。

そしてわかったのは

人間には自分の考えに反論されたら

絶対に認めたくない性質があること。

自分に「正義」があると思っている限り

絶対に相手を認めない。

 

そういう人を論破するには

具体的な証拠を出すしかない。

それが出せないなら

反論しても時間の無駄。

相手は聞き入れないでしょう。

 

だからそれ以来

俺は「自分と意見の違う人」には

コメントも同意もしないようにしています。

「ああ、それ違うのに……」と思っても

その証明ができないなら

入っていくべきではないという考えです。

スルーすることも大切なんだと思う。

反論しても疲れるだけです。

 

昔はよくSNSでネット仲間とふざけたり

交流するのが楽しかったんですが、

アイドル関連にはまって

だんだん意見や趣味が違ってきて

嫌な面が見えてきてしまった。

それはアニメ関係の仲間だったので

AKBなどのアイドルにはまった俺にとって

「口パク」だの「演技下手」だの

「AKBはテレビ出るな」とか平気で言うので

たとえ冗談でも許せなかった。

そういう発言をする人はすべてブロックした。

 

俺だって

「好きなことを批判されたら嫌」ですよ。

「君の膵臓をたべたい」が好きな人が

俺の例のブログを見て

いい気持ちがしないこともわかっていますよ。

ただそこに「悪意」があるかどうかを

しっかり読んで判断してほしいと思う。

 

それ以来、

他人と交流することに疲れてきて

SNSはブログに一方通行の

自分の意見だけ書こうと決めました。

あまりコメントされなくて構わないし

自分から絡みに行こうと思っていないのですが

コメントが来たら返す程度に留めている。

 

こうやってコメントを

読み返してみて

人間って難しい生き物だなぁと

しみじみと思う。

批判していても

こちらがあまり傷つかないように

言葉を選んでいる人もいます。

 

書く方も人間、

受け取る方も人間。

他人の作品に

上から目線でレビューするなら

作者やそのファンが

どう感じるかも考えたレビューを

心掛けなくてはいけないなと思いました。

 

来年はもっと優しくなろう。

批判ばかりしていてもよくない。

良い部分をたくさん見つけて

褒めていこうという気持ちになった。

そんな年末です。