密室ものの傑作として名高い
ガストン・ルルー『黄色い部屋の謎』

昔、
ミステリーを読み始めた頃に
創元推理文庫で
『黄色い部屋の謎』を読み、
凄く面白かった記憶がある。

この度、
ハヤカワ文庫で新訳版が発売。

『黄色い部屋の秘密』  
ガストン・ルルー(1907年)

 

 


うわぁ懐かしい。
あの頃胸を躍らせた
ルールタビーユの活躍を
再び読み返せるのは
年を重ねたゆえの楽しみでもあります。

といっても
1907年の作品ですし、
今読むと古臭さいかも?と
心配しながら読了。

いやいや!
全然楽しめた。
新訳は極力難しい言いまわしを
わかりやすくしてくれているので
読みやすかったです。

科学捜査のない時代の
こういう古典ミステリも良いね。

 

あらすじ

<レポック>誌の新聞記者
ジョゼフ・ルールタビーユ
15年前に関わった奇妙な事件を
私、弁護士サンクレール
お話ししよう。

1892年10月26日。
当時18歳の新人記者だった
ルールタビーユは、
グランディエ城の離れで起きた
奇妙な事件に興味を示した。

グランディエ城の近くに
科学者スタンガーソン博士
その令嬢マチルド
離れに実験室を構えて住んでいた。
マチルドの寝室は
壁紙が黄色いことから
黄色い部屋と呼ばれていて、
実験室のすぐ隣にある。

10月25日の深夜0時に
マチルドが博士におやすみを言って
「黄色い部屋」に入った。
実験室では博士と
その老僕のジャック爺さん
実験の片づけをしていた。
0時半になった時、
突然「黄色い部屋」から
「人殺し!」と言う令嬢の叫び声と
銃声が2発響いた。

博士とジャック爺さんは
扉を開けようとしたが
マチルドが中から
鍵とかんぬきを掛けていたため
ドアが開かない!
ジャック爺さんは外に出て
窓側に回り込もうとしたが
「黄色い部屋」の窓は
鉄格子がついていて
人間が通れる隙間は無い。

門番のベルニエ夫婦
合流したジャック爺さんは
2人を連れて扉の前に戻り、
博士と4人で体当たりして
ようやく扉をこじ開けた。

マチルドは血だらけで
床に倒れていた。
首に絞められた痕があり、
こめかみは殴られて出血している。
しかし、
部屋の中には犯人の姿が無かった。

机も椅子もひっくり返り、
壁には犯人の血のついた手形がある。
犯人らしきベレー帽にハンカチ、
足跡まであるというのに・・・

部屋の中には隠れる場所はない。
扉を開けてなだれ込んだ隙に
逃げだせたはずもない。
扉から離れた場所で
ベルニエ夫人が見張っていたからだ。
拳銃はジャック爺さんのもので、
確かに2発撃たれている。
犯人に殴られたこめかみの傷は深く
マチルド嬢の容体は
よくないらしい。

この事件を担当する
予審判事はド・マルケ氏。
パリ警視庁は
有名なフレデリック・ラルサン刑事を
ロンドンから呼び戻して
この事件にあたらせると発表した。


ルールタビーユは
鋭い頭脳を持ち、
この事件を独自に推理する。
あの拳銃を使ったのはマチルドで
かんぬきを掛けるくらい
誰かを警戒して
拳銃を用意していたという。
そして私(サンクレール)が
マチルドの婚約者の
ロベール・ダルザック
知り合いだとわかると
ぜひ紹介してくれと言うので
彼を連れてグランディエ城に向かった。

グランディエ城は今は寂しい土地で
人はほとんど住んでいない。
スタンガーソン博士とマチルドは
15年前にアメリカから帰国し、
ここで実験をするため
離れを建てた。
マチルドはたいへんな美人なのに、
意外にも独身を貫いていたが
ダルザックの熱心な求婚の末、
数週間前に2人の婚約が
決まったばかりであった。

城の正門で
フレデリック・ラルサンと出会う。
この刑事とルールタビーユは顔見知りで
以前も現場で
顔を合わせたことがあるらしい。
ラルサンから門番夫婦が
共犯の疑いで逮捕されたと
聞かされて驚く私たち。
それはラルサンも一緒で
この事件に共犯者はいないと
意見は一致していた。

ダルザックに面会した時、
ルールタビーユは謎の言葉をつぶやく。
「司祭館は何も魅力を失わず、
庭の輝きもまた失われず」

それを聞いて
激しく動揺するダルザック。
私には何の事か
さっぱりわからない。

その言葉が効いたのか、
急にダルザックと仲良くなった
ルールタビーユ。
そのまま3人で
コナラの森の奥の離れに向かう。

1

壁の手形はマチルドのものではない。
犯人は手を
負傷していると思われるが
手袋を外したダルザックの手に
傷はなかった。

犯人が逃げた玄関脇の窓の外には
足跡があり池の方に続いている。
玄関の床に足跡が無いのは
事件の夕方5時半に
ジャック爺さんが
床のタイルを洗ったからだ。

「黄色い部屋」を調べて
ルールタビーユには
犯人がどうやって脱出したのか
ある程度説明できるという。
マチルド嬢の当時の髪型を
しきりに尋ねるのは
何か関係があるのだろうか?

盗まれた研究の資料はどこに?

犯人のものと思われる
「細身の足跡」と
「ドタ靴の足跡」の意味は?

<神さまのしもべ>という
不気味な猫の鳴き声は何の合図か?

そして
警察の捜査が進まないまま
第二の不思議な事件が起き、
さらに謎が深まる。

はたして
ルールタビーユは
ラルサンより先に
真相を暴くことができるのか?

 

解説

内部から完全に密閉された
「黄色い部屋」からの悲鳴に、
ドアを壊して中に入った
一同が目にしたのは、
血の海に倒れた令嬢の姿だけだった。
立て続けに起こる犯人消失の謎に
18歳の青年記者
ルールタビーユが挑む本格ミステリー。

この作品は
1907年(作者が39歳の時)に
イリュストラシオン誌に
連載された探偵小説である。
これまで書かれてきた
密室ものの中で
最も堅牢な完全密室を作り、
革新的なトリックを
使用したことで評判となった。

中から鍵とかんぬきを掛け
犯人に襲われて叫ぶ被害者。
今にも殺される寸前の状況に、
人々が扉を破って中に入るが
犯人のいた形跡はあれど
姿はどこにもない。
窓は鉄格子がはまり
鎧戸も下ろしてある。
もちろん抜け穴もない。
なだれ込んだ時に
入れ違いに出たなどと
いうこともできない。
まずこの謎の設定が魅力的である。

その解答は
心理的盲点を突き
今日でも最高の密室トリックと
高く評価する人もいれば
「なあんだ」と拍子抜けして
酷評する人もいる。
トリックの性質的に
評価が割れてしまうのは
仕方のないところであろう。

第二の事件として
「不思議な廊下」の謎があり、
こちらは後に
金田一少年の事件簿がパクってしまい
そのせいでトリックだけが
有名になってしまったが
その奇術的なアイデアは
とても面白い。

とどめに
再び犯人が消失する事件が起こるが
こちらは偶然が
うまく重なりすぎた部分があり
おまけ程度と考えた方がいいだろう。
この時の登場人物を
法廷で消去法式に
「犯人は〇〇ですか?」
「違います」という
やりとりにつなげるのは
犯人の名前が登場する場面を
劇的に盛り上げている。

主人公のルールタビーユは、
素人探偵として
警察に何度か協力している
18歳の新聞記者。

本名はジョゼフ・ジョゼフィン。
頭が丸っこくて額が出ているので
「お前の玉を転がせ」という意味の
「roule-ta-bille」という
あだ名で呼ばれている。

ずうずうしくて自惚れで
人をくった態度で馬鹿にして、
思わせぶりなことを言うが
もったいぶって真相を教えない。
いわゆるホームズタイプの
天才探偵なので
好き嫌いがはっきりわかれるだろう。

心理的な密室トリック、
曲がり角の人間消失、
袋小路の犯人脱出、
意外な犯人、
巧みな証拠の隠し方、
名探偵VS名刑事の推理対決、
法廷での劇的な告発、
最後に明らかになる
主人公の秘密・・・
すべてが魅力に満ち溢れている。
100年経っても
色褪せることのない
密室ミステリの金字塔。

 

欠点は?

  • 探偵役が途中から真相に気づいているのに、犯人を言わず、自分で捕まえようとしてしまうために事態が悪くなっているのは探偵としてどうか。
  • 探偵役の性格が極端なので好き嫌い分かれる。
  • 実はあの時こんな会話が聞こえていたとかいう後出し情報が多い。
  • 変装の能力が超人的すぎる。
  • 血液や指紋の科学捜査がないので警察が全く機能していない。
  • 密室トリックの最高峰ではあるが期待しすぎるとがっかりするかも。
  • 犯人の別名がいかにも有名人のように出て来るが、誰も知らないので驚きがない。

 

感想

俺のこの作品の初読は、
高校生の頃に
創元推理文庫で読んだ
『黄色い部屋の謎』だった。

まだホームズものや
ポーやディクスン・カーを
読み始めた頃で
密室ミステリーの名作と聞いたのと
黄色い部屋という
怪しい言葉に魅力を感じたからだ。

その時の印象は
例の密室トリックは
「え?これがそんな凄いの??」
という拍子抜けした感想だった。
後でカーの密室講義や
乱歩の類別トリック集成で
語られるような
「心理的な密室トリック」の
真価を知って読み返して
やっとこれが
当時としては革新的な
トリックなのだと気付いた。

実は初読時に
一番印象に残っていたのは
フレデリック・ラルサンのステッキだ。

このステッキの「使い方」に
俺はすごく感動してしまった。
(ネタバレ解説で詳しく説明します)

今回の再読でも
ステッキばかり注目して読んでいた。
忘れていた事実もあって楽しめた。

忘れていたと言えば、
ルールタビーユと
あの人の関係も忘れていたので
最後に「あ、そうか」と驚いた。
二作目の『黒衣夫人の香り』も
読んでいるのに、
それを忘れてしまうなんて・・・

『黒衣夫人の香り』は
新訳では
『黒い貴婦人の香り』になっている。
続編も新訳で
発売されるのだろうか。

正直、創元推理の方は
「そろそろ焼けた肉を食わなきゃいけない」とか
「額に輪を描いた」とか
難しい言いまわしの上に
やたら傍点が打ってあって
読み辛かったので
新訳で読まれた方がいいと思う。
ただし訳者が原作の間違い部分を
勝手に訂正しているようなので
そこは注意を。

それでも作品は
オールタイムベスト級の傑作です。

★★★★☆ 犯人の意外性
★★★★★ 犯行トリック
★★★★★ 物語の面白さ
★★★☆☆ 伏線の巧妙さ
★★★☆☆ どんでん返し

笑える度 -
ホラー度 -
エッチ度 -
泣ける度 -

総合評価
 9点






-------------------------------

 

 

 

 


※ここからネタバレあります。
未読の方はお帰りください。 












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1分でわかるネタバレ

〇被害者 ---●犯人 ---動機【凶器】
マチルド・スタンガーソン ---●フレデリック・ラルサン ---愛情・憎悪【撲殺未遂:羊の骨】
マチルド・スタンガーソン ---●フレデリック・ラルサン ---愛情・憎悪【刺殺未遂:ナイフ】
森番 ---●フレデリック・ラルサン ---障害の除去【刺殺:ナイフ】

<結末>
パリ警視庁の名刑事
フレデリック・ラルサンの正体は
アメリカの詐欺師バルメイエだった。
マチルドに復縁をせまり
断られたため彼女を殺そうとした。

ルールタビーユはアメリカで
ラルサンの正体を
バルメイエだと突き止めて
法廷で真相を暴露するが、
すでにラルサンは逃亡。
しかもその逃亡を
ルールタビーユが手助けしたという。

結局ラルサンは逮捕できなかったが
ルールタビーユは名声を得る。
 

黄色い部屋の謎

この作品のメイントリックである
「黄色い部屋」の密室トリックを解説。

マチルドが悲鳴をあげて
人々が扉を壊して中に入ったが
犯人は消えていたという謎。

実は――

犯人は最初から中にいなかった。 

犯人が「黄色い部屋」に
いたのは夕方で、
その時にマチルドを襲った。
犯人が逃げた後、
何事も無かったような
ふりをするマチルド。
その夜になって
密室状態の部屋で
悪夢にうなされたマチルドが
テーブルを倒し
拳銃が暴発して
今まさに犯人がいたような
状況が出来上がったのである。

実は俺、
これを最初に読んだ時、
本文でも指摘のあったような
「なあんだ」(P.229)という感想だった。

だってこれだけ完全な密室で
外に人がいて
どうやって鎧戸や
鉄格子をすり抜けたのか?
あるいは鍵をかけて
外に脱出したのかを知りたいのに
被害者の自演でした、
事故でした、では
期待外れだったからだ。

密室トリックには
「物理的なトリック」と
「心理的なトリック」がある。
物理的というのは
外から中の被害者を遠隔殺人したり
仕掛けをして外に出たあと
中から鍵を掛けるといったようなもの。
心理的というのは、
開けた後で鍵を中から差して
さっきまで密室だったと思わせたり
駆け寄った時に殺して
錯覚させるものをいう。

この『黄色い部屋の秘密』は
心理的な密室トリックの代表作。
よく考えたら
凄いことをやっている。

確かにドアを開けた時に
被害者が悪夢でうなされて
犯人はいませんでした、では
失望感があるが、
同じ部屋で起こった二つの事件が
時間を越えて重なり一つの事件に見える

と考えてほしい。
言いかえれば
一つの事件が実は二つの事件だった
ということだ。

その過程を時間ごとに
何が起きたのか見てみよう。
1

【17:00】
スタンガーソン博士とマチルドが散歩に出かける。ラルサンがそれを見て離れに忍びこむ。

【17:15】
実験室の戸棚の鍵を開けて、研究資料を盗み、化粧室にドタ靴と一緒に置く。

【17:30】
ジャック爺さんが玄関の床タイルを洗う。ラルサンは「黄色い部屋」に隠れている。

【17:45】
博士が森番と話している間にマチルドだけ離れに戻ってくる。この時、ラルサンが玄関脇の窓を閉める。(そのため、この後の1発目の銃声が外に漏れない)ベッドの下に隠れるラルサン。

【17:50】
「黄色い部屋」でマチルドに復縁をせまるが拒否され、羊の骨で殴ろうとしたが拳銃で反撃にあい、ラルサンは右手を負傷。化粧室の袋を持って逃げ出す。マチルドは首の絞められた痕を隠すためスカーフを巻き、何事もなかったように実験を始める。こめかみはまだ負傷していない。

【18:00】
博士が戻ってきたため「黄色い部屋」はそのまま。

【23:00】
ジャック爺さんが鎧戸を閉めて豆ランプを点けに「黄色い部屋」に入るが、壁の手形やベレー帽などは暗くて気付かず。

【0:00】
マチルドが寝るために「黄色い部屋」に入る。鍵とかんぬきを掛けて警戒する。

【0:30】
「人殺し!人殺しよ!」悪夢にうなされたマチルドは拳銃を取り出そうとして銃が暴発(天井に撃った2発目)。ナイト・テーブルにこめかみをぶつけて昏倒。その時にテーブルが倒れて「銃声のような音」が発生。

【0:45】
「黄色い部屋」の扉を4人がかりで壊す。中には血の海に倒れたマチルド。犯人の姿はなかった。


……実にうまい具合に
出来ていると思う。

ポイントは①2発の銃声 
0:30に聞えた2発の銃声が
2発だけ発射された拳銃と結びつき
0:30に犯行が行われたのだと
錯覚させられる。
(ナイト・テーブルの音が
銃声に聞こえるかは
俺も何とも言えないが・・・)

ラルサンが窓を閉めたために
1発目の銃声が
外に漏れなかったのも重要。
(なぜ窓を閉める必要があったのか
俺は何とも言えないが・・・)

何と言っても
手がかりである
マチルドが先に離れに戻った描写が
さりげなく書かれているのがうまい。

“ええ、散歩から離れに戻ってくる時です。今夜は実験室に食事を持って来てもらおうと・・・。で、この時、私は森番に声をかけられて、ちょっと立ち話をしました。(中略)森番はそのまま館のほうに行き、私は娘のあとを追いました。鍵を渡しておいたので、娘は一歩先に離れに入っていましたが、鍵はそのまま外側に差し込んでありました。私が入ると、娘は仕事を再開していました。”(P.119)


このちょっとした時間のズレが重要。
マチルドが何事もなかった様子なので
まだ事件は発生していないと思わされる。
(壁の手形や犯人の忘れものに
気づかなかったり、
首を絞められた被害者が
その後も平静で仕事できるか?とか
俺は何とも言えないが・・・)

 

曲がり廊下の人間消失

パク田一少年のパクリ事件簿に
パクられたので有名なアレ。

犯人を追いかけていて
曲がり角に消えるのを見たあと、
その角にさしかかったら
向こうから来た人物とぶつかった。
ぶつかった相手も犯人を追いかけて、
同じ状況で犯人が消えてしまった!?
という事件です。


何のことはない。
ぶつかった相手が犯人です。

この作品の場合、
直線廊下と側廊が交わるT字の廊下で
4人もの人間が犯人を追いかけていた。
犯人の後ろから2人(ルールタビーユと博士)
正面の突き当たりに1人(ジャック爺さん)
曲がり角の先に1人(ラルサン)

犯人のラルサンは
カツラとつけ髭で変装していて
直線廊下を逃げたあと、
曲がり角を曲がって
変装を解いて振り向き、
追いかけて来たルールタビーユに
ぶつかったのだ。

ここで盛大にツッコミを
入れておこう。
「服は?服が同じじゃん」

服については
暗くてよく見えなかったのか?
いくらカツラとつけ髭で
誤魔化しても同じ服着てたら
もろバレだと思うんですけど。

それにジャック爺さんの方から
振りむいて自分からぶつかるところが
わりと見えるような気がするんですけど。
暗かったのかな?
暗かったことにしとこう。

この時のラルサンが
マチルドの寝室で一度
犯人として姿を見せて
ラルサンの部屋に戻って
ラルサンとして出てきたあと、
またマチルドの部屋で
犯人として登場するという
非常にめんどくさい事をしているのに
納得がいかなかったが、
鼻眼鏡を落としていて
探しに戻っていたのは
なかなか巧い言い訳だと思った。

全員でマチルドの様子を見に
部屋に入った時も
しきりに鼻眼鏡を捜している。 

“マチルド嬢は「お父さま、お父さま」と苦しげに、ただその言葉だけを繰り返していた。すると、博士が急に泣きだした。それを見ると、ジャック爺さんも貰い泣きをして鼻をすすり、ラルサンまでが涙を見せないように、横を向いていた。”(P.277)
  • もちろん泣いてなどいない。くそう俺の鼻眼鏡見つからないぜと別の意味で泣いていたかもしれないが。


ひとつアンフェアな記述が
あることを指摘しておきたい。

ルールタビーユが
犯人の顔(変装したラルサン)を
見た時に②この顔は知らない顔だ
とミスリードしたこと。

僕はその時、「これは知らない顔だ」と思った。もちろん、これはあくまでも印象だ。男がこちらを振り返った瞬間、とっさにそう判断しただけだ。<この顔は知らない。少なくともどこかで見かけた覚えもない!>と・・・。”(P.265)


そう言った後で
やたらと言い訳していますが
要するにこの時のルールタビーユは
犯人が誰か確定していなくて
ラルサンだと知っていたら
この顔はラルサンだと判断できたが
この時はまだ知らなかったから
知らない顔だと素直に表現した、
と言いたいのだろう。

だがしかし、
これはアンフェアです。
いくら自分の推理の仕方に
こだわりがあっても
「知らない顔」と表現しては
いけないと思うよ。

 

袋小路からの犯人脱出

3番目の事件。
犯人を追いかけて
袋小路に追い詰めたら
銃弾に当たって死んでいた。
ところが銃ではなく
胸をナイフで刺されて殺されている。
この死体は犯人じゃない?
ではどうやって脱出したのか?
という謎。

これは偶然死体ができて
混乱したパターンだ。
ラルサンは袋小路の曲がり角から
テラスに上って二階へ上がろうとした。
そこにたまたま
逢引き帰りの森番がいて
とっさに刺し殺して
犯人役になってもらったという真相。

ここでもラルサンが
超人的な身体能力を発揮。
銃の乱れ撃ちを避け、
爺さんの狙撃もかわし、
一突きで森番を殺したあと、
楔に足をかけて
テラスによじ登る。
そして部屋に戻って何食わぬ顔で
「何があったのだ!」と
上から声をかける。

ちょっと犯人が凄すぎですね。
お前の方こそ
何があったのだと聞きたい。

 

フレデリック・ラルサンのステッキ

俺がこの作品で一番好きなのは
ラルサンのステッキの
「使い方」です。

ラルサンがなぜ
ステッキを持っているのかは
銃で右手を怪我したので、
掌を人に見られないようにするため
いつも手に持っていて
不自然でない物ということで
ステッキを握っていたのである。

この自然な隠し方トリックが秀逸。
手袋だけでもいいが、
負傷した部分を不意に触ると痛いし、
それならずっと握っていたほうが
安心なのは皆さんも経験があると思う。

そしてこのステッキを
ルールタビーユが目ざとく
指摘しているが
その時の会話がまた上手いのです。

“「ラルサンのステッキに気がついたか?まだ真新しいんだ。これまでラルサンがステッキを持っているのは見たことがないんだが、ずいぶん気に入っているようだ。なにしろ、今日一日、ずっと手放そうとしないんだから・・・。まるで、ほかの人の手に渡るのを恐れているかのような様子でね。そうだよ、間違いない。今日までラルサンがステッキを持っているのを、僕は一度も見たことがない。いったいどこであのステッキを手に入れたのだ?これまでステッキなんて持っていなかった人間が、よりによってグランディエの事件があったあとから、ステッキに執着しているのはおかしいと思わないか?そう、もはやステッキなしには歩けないというくらいに・・・。それに、今朝、僕たちが城に着いた時に、ラルサンは時計をポケットにしまい、足元のステッキを拾って、門の内側に入った。だとすると、あれはラルサンのステッキではなく、そこに落ちていたものかもしれない。あの行動にこれまで何の疑問も抱かなかったのは、僕としたことが間違っていたのかもしれないぞ!」”(P.202)


ステッキがあやしいということを
読者に提示しながら
「いったいどこであのステッキを
手に入れたのだ?」と言って、
読者の注意を、
ラルサンがステッキを必要とする意味ではなく、
ルールタビーユより先に
ステッキという手掛かりを発見した意味

向けさせようとしている。
したがってこのステッキが
購入されたばかりの新品で
何のいわくもないことや、
ラルサンが手を負傷して
何か握っていなくては
不自然になってしまうという真実に
気付かせないばかりか、
終いには
そこに落ちていたということに
話を持っていっている。

ルールタビーユの
ラルサンへの対抗心が勘違いを生み、
読者までミスリードさせるという
巧妙な「使い方」に
初読の時から大いに感心していた。

そしてこのステッキが実は
重要な手掛かりで、
ラルサンがロンドンにいた
というアリバイをなくし、
犯人がラルサンしかいない決め手に
なったということも付け加えておこう。

 

ルールタビーユとラルサンは親子

最後に明かされる真実。
ラルサンことバルメイエは
アメリカで
「ジャン・ルーセル」と名乗り
マチルドとの間に男の子をもうけた。

それが誰なのか、
作中でははっきり書いてないが
間違いなくルールタビーユのことです。
そして
マチルド・スタンガーソンは
母親だったのです。

作中で「黒い貴婦人の香りがする」と
懐かしそうに言っていたのは
「母の匂い」のこと。

ルールタビーユが18歳で
マチルドが35歳だから
17歳で産んだことになる。
伯母に預けられて、
3歳の時にマチルドがフランスに戻り、
母の記憶の薄いまま
再会したので母だと気付かなかった。

どのタイミングで気づいたかは
はっきりわからないが、
おそらくアメリカに渡ってから
じゃないかと思う。

ラルサンとは親子の対決。
父を逮捕して
母の秘密が世間に知られるのは
望む結末ではないだろう。
犯人を逃がすのは
探偵として失格だが苦肉の策だった。

最後どうしてラルサンを逃がしたのか
納得いかない読者もいるでしょうが、
親子であったのは
とても大きな理由になると思います。

サンクレールが一度
ルールタビーユに両親のことを
質問したことがある。

“この間、私は知れば知るほど、ルールタビーユのことをもっと知りたくなった。というのも、どこまでも陽気な見かけの裏側に、年には似合わない、何か深刻なものが感じられたからである。私はルールタビーユが、それこそはしゃぎすぎだと思えるほど陽気に振舞うのを見る一方、幾度となく、深い悲しみに沈んでいるのを見かけていた。そして、時にはその理由を尋ねたりもしたのだが、ルールタビーユはいつも笑顔でごまかして答えてはくれなかった。また、ある日、たまたま両親のことを尋ねてみると、まるで私の声が聞こえていなかったかのように、すっとその場を立ち去ったこともあった。そう言えば、ルールタビーユはそれまで決して両親の話をしたことはなかった。”(P.29)


ルールタビーユは、
両親に捨てられたと
思っていたのかもしれない。
親の温かさを知らず
孤独に育った少年。

マチルドが自分の母親だと知った時、
どんな感情だったのだろうか?
どれだけ嬉しかったのだろうか?
そして直接「お母さん」と
呼べないことに
どれだけ悲しみを募らせたか。

3人の関係に注目しながら
再読するとまた違った見方が
できるかもしれない。

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