『黒百合』が良かったので
多島作品を続けて読む。

『離愁』  
多島斗志之(2003年)

 


『汚名』という作品を
改題・文庫化したもの。

ミステリーというより
文学的な作品として
評価が高い。

 

 

あらすじ

伊尾木家には三姉妹がいた。

長女の伊尾木容子(ようこ) 
次女の伊尾木藍子(あいこ) 
三女の伊尾木比佐子(ひさこ) 

長女の容子がわたしの母で、
わたしは16歳の高一の時に
藍子叔母にドイツ語を
教えてもらっていた。
と言っても
好きで習っていたのではなく、
母は貧しい暮らしをする妹に
金銭援助のつもりで
届け物を渡す
理由がほしかったのだろう。

一緒にドイツ語を習っていた
三女・比佐子の娘の
美那(みな) 
わたしのいとこにあたる。
彼女とは同学年で
少なくとも美那はわたしに
ライバル心を燃やしていた。

藍子叔母は無愛想で
誰とも関わろうとしないで
孤独に生きて51歳で死んだ。
正直なところ、
叔母がどんな人物か説明できるほど
親しい関係ではなかった。
美那も叔母さんの
生き方が理解できなくて
「藍子叔母さんてさあ
何が愉しみで生きているのかしら」
「なんか惨めな感じ。さびしすぎる」
と言っていたほどだ。

その年の秋から
叔母さんは
何度かドイツ語教室を
休業するようになり
やがて完全に中止になった。
翌年2月、
叔母さんが
通り魔に刺される事件が発生。
わたしたちがお見舞いに行くと
美那がお見舞いに選んだ
ナンテンの実をなぜか
じっと見つめていた。

それから数年後、
藍子叔母は肺炎にかかり病死。
美那もわたしも結婚して
それぞれ家庭を持ち、
気づけば叔母が死んで
30年が経っていた。

わたしは物書きになっていて
講演で地方に行った際に
一人の老婦人に出会う。
藍子叔母の同級生で
昔撮った8ミリフィルムが
出て来たから
藍子さんにも見てもらいたいそうだ。
すでに亡くなっていると伝えると
あまり気乗りしなかったが
そのフィルムを
わたしが見ることに。

16歳の藍子叔母は
無愛想な生前とは
比べ物にならない
明るい表情で笑っていた。

ふとしたきっかけで
美那と久し振りに
話をする機会があり、
そのフィルムの話を聞かせると
そう言えば美那は
街で藍子叔母が
男と一緒にいたのを
見たことがあるという。
そして美那は
通り魔事件は何か
事情があるのではと推測していた。

わたしは急に
叔母のことが気になり
母に藍子叔母の遺品に
手紙があったことを
思い出してそれを見せてもらう。

差出人は「兼井欣二(かねいきんじ)
手紙は3通で
藍子をアイちゃんと呼び
かなり親しい間柄のようだ。
チュンさんという名前も出て来た。

兼井欣二の消息を調べて
舞鶴に行ったわたしは
そこで欣二がすでに
亡くなっていることを知る。
しかし甥が欣二の書いた
私小説を持っていて
それを見せてもらえることになった。

~兼井欣二の手記より~

私は中学を出て
上海の東亜同文書院に入学した。
そこで出会った先輩、
「チュンさん」こと
中原滋(なかはらしげる)と親しくなる。

しかし中原は新聞記者の
尾崎秀実(おざきほつみ)と会い
共産主義に傾倒。
反戦ビラを配ったとして
警官に連行され
無期停学処分となった。

その中原と、
久し振りに再会したのは
私が満州鉄道の社員として
東京に転勤してからになる。

私は荒木野の雑貨屋に下宿し、
そこの主人の姪という
伊尾木藍子と出逢う。
彼女と一緒に出かけて
その美しさに心惹かれる。

東京の満鉄ビルで中原と再会。
尾崎が東京に戻り
その下で働いているらしい。
中原と交友が復活し
彼が私の下宿に来ている時に
藍子が来たので紹介する。

初めは素気ない態度だった中原も
藍子の無邪気な明るさに癒され
次第に二人の距離が近づく。
その様子を
少し物悲しい気持ちで眺める私。

中原の住む下宿で鍋をしようと
やってきた私は
すでに二人が
付き合っていることを知る。
藍子は中原のために
ドイツ語を勉強中らしい。

昭和16年、
藍子は21歳になっていた。
今日、電車の中で
怪しい男にじろじろ見られて
後をつけられたという話を聞いて
私と中原は嫌な予感を感じる。

そして中原が
警察に連行されたとの知らせが入る。
藍子は中原の恋人として
特高警察に尾行されていたのだ。
容疑は「治安維持法違反」
そして「国防保安法」
つまりスパイ容疑だった。

中原が師事していた
尾崎も連行される。
後に「ゾルゲ事件」と呼ばれる
ソ連の諜報組織に
中原は加わっていたのだ。

面会はなかなかできず
それでも藍子は何度も
獄中の中原に差しいれをした。
自分の幸せを見つけてくれと
中原が頼んでも
彼女は通い続けた。

中原とのことが家族に知られて
藍子は家を飛び出す。
良い弁護士を捜そうと働き
必死にお金を貯めるが
懲役13年の判決が下る。

私は召集令状で軍に入り
3年を戦地で過ごした。
東京に戻った私は
人づてに中原が仙台の獄中で
病死したことを知る。
そして藍子の姿はもうなかった・・・


手記を読み終ったわたしの疑問。
藍子叔母は
いつ戻ってきたのか?
どこにいたのか?

若き日の叔母の恋人の死、
戦争によって引き裂かれた愛。
いつも無愛想で
冷たい態度だった叔母の
知られざる人生とは……。

 

解説

無口で無愛想で
他人と関わろうとせず
孤独に死んでいった叔母。
死後30年が経ち、
遺品に残された手紙と、
当時の関係者の手記から
過去を遡っていくうちに、
叔母から笑顔を奪った真実を知る。
戦争に翻弄された少女の
真っ直ぐな愛を描く恋愛小説。

「ゾルゲ事件」という
史実の事件を絡めて
戦中・戦後の動乱、
引き裂かれた
恋人たちの様子が描かれている。

主人公は伊尾木容子の息子だが
下の名前が最後まで出て来ない。
(とくに重要ではない)
キーパーソンの叔母とも
接点はドイツ語を習っていた
わずか1年の間だけで
それまで会うことすらなかった。
藍子が徹底して
謎の人物だっただけに、
昔の8ミリフィルムに写る
本当の笑顔が気になってしまうのだ。

そこで見た叔母の表情が
40代の無愛想な叔母と
全く違っていたことから
本当はどんな人だったのだろう?
という興味本意で調べ始めるのだが、
やがて思いもかけない真相に辿り着く。

ひとつずつ手掛かりが現われ、
絡まった紐がほどけていくような
丁寧な構成に引きこまれる。
難しい言葉遣いや
時代背景の複雑さも
あまり気にならない。

明るい未来を夢描いていた
最後の手紙・・・、
本来の明るい彼女の笑顔が
浮かんでくるようで
目頭が熱くなった。

 

欠点としては

  • 本格ミステリーではない。多少のミステリー要素はあるがそこに期待しすぎると失望する。
  • 藍子の〇〇は余計だった気がする。
  • 中原滋という人物があまりにも謎すぎるため、どこに惹かれたのかよくわからない。
  • ラストが予想しやすい。真実に辿りつくまで30年かかる必要があったのか?

 

 

感想

あまりにも評価が高かったので
期待しすぎたかな。
『黒百合』が凄すぎたので
どんな仕掛けがあるのかと
構えていたが
ミステリー興味は
少し肩すかしだった。

藍子叔母は
語り手である「わたし」や
兼井にあまり接点がないため
どんな人物か、
どこが魅力なのか伝わりにくい。
せめて中原視点で話が見たかった。
そうしたらもっと
感情を揺さぶられたと思う。

恋愛小説としては高水準です。
戦争を描いた歴史ものとしても
興味のある内容になっている。

ミステリー興味で
〇〇を入れたのだと思うが
オチが読めてしまうので
意味がなかったように思うし、
愛を貫いたとは
言えなくなってしまう。
藍子の心情が
ちょっと理解できない。

ちなみに
「離愁」という言葉を調べると
「別れの悲しみ」とある。
原題は「汚名」
これだと藍子メインではないので
離愁の方が合っていると思う。

結末がわかっているからこそ
どれだけそこに
心を揺さぶる要素を
落とし込めるか。
その点では
この小説は成功している
といえるだろう。

☆☆☆☆☆ 犯人の意外性
☆☆☆☆☆ 犯行トリック
★★★★☆ 物語の面白さ
★★★☆☆ 伏線の巧妙さ
★★☆☆☆ どんでん返し

笑える度 -
ホラー度 -
エッチ度 -
泣ける度 △

総合評価
 7.5点








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※ここからネタバレあります。
未読の方はお帰りください。
 














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ネタバレ結末

藍子の過去を調べるうち、
父親が元特高で
藍子と中原を監視していて
それで母と知りあったことがわかる。

藍子は妊娠していて
その子供が「わたし」だった。
父はその子を
母に内緒で実の子として育てた。
藍子が実母で
「わたし」の父親は見知らぬ男性。

中原に愛を誓った藍子は
子供を育てず
世捨て人のように生きて
その生涯を閉じた。

ミステリーとしての興味

ミステリー要素としては
「藍子を支援した人物は誰か?」と
「藍子の子供は誰か?」という謎。

まず最初に
藍子の過去に
父親が大きく関わっていたことが
意外な事実として出現する。
そして最後に
お腹の中の子供が
実は主人公だったという真相。

しかし、
妊娠しているとわかった段階で
ははぁその子供は主人公じゃないかと
だいたいの読者が気づくと思う。

せっかくなら
名前も登場しない男より
中原の子供であった方がよかった。
そこがいまいち
すっきりしない部分です。

なぜ子供を生んだのか?

藍子叔母がここまで無愛想に
関わりを断つ原因が
妊娠にあるのは
想像に難くない。

しかしそれなら
何でセックスしたの?

あれだけ中原に愛を貫いていて
どうして平気で裏切れるのか
俺は藍子の心情が
全く理解できなかった。

一読後に、
改めて考えたら
別の解釈もありうるなと気付く。

それはレイプだ。

藍子は中原を
裏切ったわけじゃない。
あの売人の部下という色男と
一時の性欲で
エッチしたわけじゃなく、
むりやり手籠にされたのだ。

なんということだ。
なんて可哀そうな・・・

そしてその子を
流産できなかった。
自分で育てたくない気持ちも
やっとわかった。
それでも自分の子だし
近くで見ていたい
気持ちもあっただろう。
父親が引き取ると言ったのに、
素直に従ったのは
ある意味納得できる。

自分の子を手放した後、
寺で孤児たちの面倒を看たのは
育てられなくてごめんね、という
せめてもの償いだろうか。

伏線を分析する

骨が一本折れた男物の黒い傘。
これを大事そうに持っている。
(22ページ)

  • 後に白浦漁港に辿り着く手掛かり。


藍子を尾行する男(151ページ) 

  • 実は父親になる人物。


ナンテンの赤い実を
魅せられたように眺める叔母(27ページ) 

  • ナンテンは藍子が中原の差し入れに選んだ思い入れのある実。
「さうね、すぐ萎れてしまはないものがいゝけれど、でもお花の少ない季節よね。お花ぢゃなく、赤い実のついた南天の鉢にしようかしら。南天の実って、見てゐるだけでなんとなく微笑ましい気持ちになるでせう。うん、決めた、南天にするわ」(172ページ)



箪笥で見つかった「へその緒」は
あからさまなので伏線とは言えない。

藍子が男と一緒だった2人の人物は?  

一回目の無精ひげの男は
兼井欣二。
二回目の後姿の男は
鳴瀬功次郎だろう。

兼井とは久し振りの再会の場面で
鳴瀬とは中原の件で
しつこく付きまとっている時だ。

最後の手紙
 

最後の藍子の手紙は
少しグッときてしまった。

獄中の中原に宛てた手紙、
懲役13年という長い時間でも
変わらぬ愛を誓う藍子。

未来のわたしたちは二人の子供を持つてゐます。でも貴方が三人お望みなら三人でも構ひません。三十代のわたしはまだまだ元気盛りですから二人や三人ポンポンと産んでご覧に入れます。長い十三年を耐へぬいて一層こゝろがたくましくなつた貴方とわたしにとつて、もう怖いものなんかありません。矢でも鉄砲でも持つて来いです。
御免なさい、ふざけた書き方をして。でもわたしの詰まらない冗談を、貴方はいつも愉快さうに笑つてくださつたから、今もちょつぴり笑みを浮かべてもらへると嬉しい。(347ページ)


そこには、
無邪気な笑顔の彼女がいた。
未来を夢描く、
明るい本来の藍子がいた。

わたしは貴方を待ちます。たとへ百年だつて待ち続けます。いえ、誇張表現はつゝしむことにします。誇張は真実を軽くしてしまふから。
今のわたしたちが交はす言葉は、恋人たちの甘い台詞の交換などではありませんよね。そんな気楽なものではありませんよね。だから、深い覚悟から出た言葉だけをお伝へします。
貴方にどんな運命が訪れようとも、わたしは貴方から離れません。わたしが夫とする男性は貴方だけです。貴方のその赤い服、手の包帯にかけて誓ひます。生死を問はずわたしは貴方を愛しぬきます。この言葉を、どうか胸に抱きしめてゐてください。
      ~永遠にあなたの妻である藍子より~(348ページ)

 



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