2010年版「ミステリが読みたい!」
国内篇サプライズ部門で第1位。
国内篇ナラティヴ部門で第2位。
国内篇総合部門で第4位。
2009年版「このミステリーがすごい!」第7位。

技巧を凝らした
凄い小説があると聞いていて
前から気にはなっていたが
ちょうど文庫化されたので
この機会に
手を伸ばしてみた。

『黒百合』  
多島斗志之(2008年)


作者は
多島斗志之(たじまとしゆき)氏。

この作品を最後に
失明を危惧して
行方を断っているらしい。
最後にして
最高傑作を誕生させたと思う。

 

 

あらすじ

1952年(昭和27年)の夏休み。
14歳の私、寺元進は、
の旧友である
浅木謙太郎さんに
六甲山の別荘に招待された。

同い年の一人息子
浅木一彦とすぐ仲良くなり、
一彦のおばさんも優しくて
空気も涼しいし
とても過ごしやすい。

7月25日(金)
ヒョウタン池のほとりで
ヒツジ草の蕾に
石を投げて遊ぶ私たちの前に、
「あたしは、この池の精や」と言う
女の子が現われた。

少女の名は倉沢香
私たちと同じ14歳らしい。
一彦も私も
一目で彼女を気に入ってしまい、
明日「見晴らし台」で遊ぶ約束をした。

7月26日(土)
大阪湾が一望できる見晴らし台に上り、
ビスケットを食べたり、
お互いのことを話して
会話がはずむ。
その帰り道、
<六甲の女王>と呼ばれる、
喫茶店の美人な女性に
声をかけられる香。

~~~~~~~

話は1935年(昭和10年)に遡る。

宝急電鉄の創始者
小芝一造(こしばいちぞう)翁の
海外視察旅行に
宝急電鉄から私・浅木謙太郎と、
東京電燈の寺元の2人が
秘書として随行し、
ドイツのベルリンに着いた。
私が30歳で寺元が32歳。
小芝翁は62歳。

アルハンター駅で私は、
日本人の女性に声をかけられた。
ドイツ語で書かれた紙の文面を
訳してほしいという。
言葉も通じない土地に
一人で旅行している彼女を
小芝翁は危険だと諭すように言う。
彼女は誰かを待っているらしい。

ドイツ語のできる寺元が訳すと
これは紹介状で
手紙を書いた人物が
ベルリンに行くまで
現地の知人に
彼女を預かって欲しいとのこと。
女性の名は
相田真千子(あいだまちこ) という。

しかし、
その知人とやらは留守で
現在行くあてがないそうだ。
いつ来るかもわからない男を
いつまで待つつもりなのか?
心配する私たちを避けるように、
真千子はお礼を言って立ち去った。

小芝翁も私も
その後の彼女を気にしていたら、
寺元がペルガモン博物館で
彼女に会ったというので
すぐさま私は博物館で真千子に会う。
夕食に招待するが
断られてしまった。

ところが偶然、
中華料理屋で再会し、
強引に誘って相席になった彼女は、
多少打ち解けた様子も見せていた。
しかしその2日後、
真千子が秘密国家警察に
拘留されていると報せが入って
私たちを慌てさせる。

「純血保護法」違反で、
ユダヤ人とドイツ人のカップルを
匿ったために逮捕されたようだ。
小芝翁の力で
彼女を釈放してもらう。

やがて彼女から
日本に帰ると電話があった。
結局、例の男性は
ベルリンに来なかったらしい。

~~~~~~~

1952年(昭和27年)に戻る。

7月27日(日)
私は浅木さんに連れられて
小芝翁と対面する。
79歳とは思えぬ活力の老人。

話題は<六甲の女王>の店が
繁盛しているという話に。
彼女目当てで男性客が
来ているというのに
本人は結婚もしないのが
少し不思議だった。
なぜ<六甲の女王>なのかは
振る舞いが女王っぽいからと
小芝翁が命名したらしい。

7月28日(月)
一彦が暑いから泳ぎに行こうと提案。
ガルベン池で私と一彦が泳ぎ、
香は写生の宿題をする。
絵を見て、
一彦が細かいことで文句を言うから
せっかく描いた絵にバツをする香。
なぜかおかしくて笑い合う3人。
香はいったいどちらのことが
好きなんだろう?

7月29日(火)
今日は雨。
おばさんに頼まれて
水はけをよくする作業を手伝う。

7月30日(水)
香から電話があり、
初めて倉沢家に招待される私たち。
嬉しそうにする香を
私は可愛いと思った。
おそらく一彦もだろう。

今日は香の母は留守で
日登美(ひとみ)叔母さんという
香の父の妹にあたる人がいた。
まだ27歳。若くて美人だ。
香の父親は死亡しており、
日登美の夫・新也
会社を経営しているらしい。

7月31日(木)
今日も倉沢家に遊びにいった。
日登美の夫が帰ったというので
窓の外を見る私。
傘に隠れて顔は見えなかったが
軽く右足を
引きずるような歩き方だった。

~~~~~~~

再び話は遡り、
1940年(昭和15年)のこと。

宝急電鉄の車掌を務める
16歳の日登美から告白されて
人目を憚るように交際をしていた。

日登美の兄・倉沢貴久男
彼女とは一回りも年が上で、
妻と子供がいるのに
浮気をしているらしい。

それから2年後、
私は運転士に昇格。
日登美との交際は継続しているが
肉体の関係はなかった。

1944年(昭和19年)
日登美に縁談話が持ち上がる。
兄がどうしても彼女を
結婚させようとしてくるが
日登美は縁談を断った。

1945年(昭和20年)
戦時中もあって、
なかなか日登美と会えなくなり
手紙でやり取りをする毎日。

その年の夏、
運転席の入り口横に
倉沢貴久男が立っていた。
「妹をどうするつもりや。何が目当てや」
無視して電車を動かす私。
客室に乗りこんで
私を睨んでくる貴久男。

その時、
B29の空襲が街を襲った。
私は停車し、
乗客を避難させて
車両の下に身を隠す。
戦闘機の銃弾が電車を撃ち抜き、
砂利石が飛んで
私の右すねを砕く。
あまりの痛さにうめく私。

歩くこともできない私を
貴久男が見下ろしていた。
そして銃を取り出し
「お前を始末することにした」と言う。
とっさに持っていた
ブレーキハンドルで応戦し、
貴久男のこめかみを殴りつけると
相手は動かなくなり死亡した。

正当防衛だが、
それを裏付ける証拠はない。
私は這ってその場を離れる。

激しい雨が降っていた。


そして
1952年の六甲山へ。

進と一彦と香の
ひと夏の淡い恋は
どのような決着を迎えるのか?

ベルリンで出会った
相田真千子は
その後どうしているのか?

車掌が犯した犯罪。
それを知る人物は?

すべてが繋がる時、
驚愕の真相が姿を現す……。

 

解説

夏休みに六甲山に招待された
14歳の少年。
その家の同い年の少年と親しくなり、
遊びに出かけた池のほとりで
不思議な少女と出会い、
2人同時に恋をした。
少年たちの淡い恋物語と
戦前と戦後を舞台にした
ミステリーが融合した
驚愕の青春小説。

この物語の語りは
3人の視点から構成されているが、
基本となるのは
老年となった寺元進の
過去の回想である。

①1952年の六甲山を舞台に
寺元進(14歳)の視点。

②1935年のベルリンを舞台に
浅木謙太郎(30歳)の視点。

③1940年の阪神を舞台に
宝急電鉄の車掌の視点。

この3人の視点で
物語は進む。

そして待ち受ける
ラスト5ページの衝撃。
思わず、あっと声を
あげてしまう真相からの
畳みかけるような伏線回収で、
パズルのピースを
嵌め間違えていたことに
愕然とするだろう。

ミステリーとしての興味は
最後のどんでん返しだけだが、
物語の中心である
進と一彦と香の淡い恋模様が
瑞々しくて惹きこまれる。

香と一彦の
関西弁の会話が心地よく、
そこに東京から来た進が加わり、
他愛も無い夏休みの
穏やかな風景が
伸びやかに描かれている。
最後に香が
どちらを選ぶのか
とても興味深く見守っていた。

読者の期待を裏切らない
珠玉の逸品です。

 

 

欠点は?

  • 時代が前後するので時系列が整理しにくい。
  • 戦時中のワルサーP38が今も使えるかどうかで賛否あるがメンテナンスは難しそう。
  • ミスリードが多すぎてずるいと思う人もいるはず。
  • 数え年と満年齢がややこしい。

 

 

感想

何か仕掛けがあると
わかっていましたが
いやはやそう来るか!
これは参りました。

この物語、
探偵役がいないため、
最後まで謎は解決しません。
一応の真相は提示されているが
仕掛けが巧妙すぎて
初読でその意味がわからず
ネットでネタバレを
調べる人が多いらしい。

謎が解決しないわりに
読後の後味がよいのは
読者の思っていた結末に
近いからだと思う。

伏線よりも
ミスリードの巧さが光る。
一読の価値あり。

文庫化されて
話題になったら嬉しい本。
興味があれば是非。

★★★★☆ 犯人の意外性
☆☆☆☆ 犯行トリック
★★★★★ 物語の面白さ
★★★★★ 伏線の巧妙さ
★★★★★ どんでん返し

笑える度 -
ホラー度 -
エッチ度 △
泣ける度 -

総合評価
 9.5点



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※ここからネタバレあります。
未読の方はお帰りください。
 












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1分でわかるネタバレ

〇被害者 ---●犯人 ---動機【凶器】
倉沢貴久男 ---●相田真千子 ---正当防衛【撲殺:ブレーキハンドル】
倉沢貴代司 ---●浅木真千子(旧姓:相田) ---障害の除去【射殺:ワルサーP38】

<結末>
倉沢貴代司を射殺したのは
一彦のおばさんこと
浅木真千子だった。
(旧姓:相田真千子)

ベルリンの女・相田真千子は
日本に戻り宝急電鉄で
電車の婦人車掌になり
日登美と交際していたが、
兄の倉沢貴久男がやって来て
正当防衛とはいえ殺してしまった。
貴久男は自分をふった
憎い相手でもある。

兄を殺したことを強請られて
口封じに貴代司も射殺。
兄の持っていたワルサーP38で。

事件は解決せず
月日は流れ
関係者も進たち3人を除いて
みんな死んでしまった。

老年となった寺元進。
倉沢香は浅木一彦と結婚して
今も六甲の山荘に住んでいるそうだ。

 

どんでん返し

この作品の最大のポイントは
宝急電鉄の車掌は誰か?
ということである。

それはベルリンの女こと
相田真千子
現在は浅木と結婚して
一彦のおばさんとして
最初から登場していた。

おばさん相田真千子車掌黒ユリお千

これを解説する前に
もう一度それぞれのパートの
語り手と登場人物(年齢も)を
まとめておこう。
(作者が数え年と満年齢を使って混乱させてあるが、ここは昔の数え方で基本の数え年に直す)


17年前
■1935年(昭和10年)のベルリンを舞台に
浅木謙太郎(30歳)が語り手。
寺元(32歳)
小芝一造(62歳)
相田真千子(20歳)満19歳

12年前~7年前
■1940年~1945年(昭和15年~20年)の阪神を舞台に
「車掌」相田真千子(25歳~30歳)が語り手。
倉沢日登美(16歳~21歳)
倉沢貴久男(30歳~35歳)

現在
■1952年(昭和27年)の六甲山を舞台に
寺元進(14歳)が語り手。
浅木一彦(14歳)
倉沢香(14歳)
浅木謙太郎(47歳)
「おばさん」浅木真千子(37歳)
<六甲の女王>(37歳)満36歳
倉沢日登美(28歳)満27歳
倉沢貴代司(32歳)


※満年齢の記述があるものは3人だけ。
ちなみに真千子と浅木が
結婚したのは6年前のこと。

おもな登場人物の
家系図も作ってみた。


どんでん返しの順番としては
237ページの浅木と寺元父の会話で
ベルリンの彼女が車掌になった話が出る。
ここで「車掌真千子
「男」だと思わせて
「女」だったという叙述トリック。

そして240ページで
おばさんが義足だとわかり、
おばさん車掌真千子」になる。
「<六甲の女王>」と思わせて
「一彦のおばさん」という叙述トリック。


普通に読むと
車掌は日登美の夫である
舟津新也だと
誰もが推理するだろう。

そのミスリードは、
進パートで最初に窓から見た際に
右足を軽く引きずるような
歩き方をしている
からだ。

「車掌」のパートで
②最後に右足を負傷したことが書かれているし、
日登美と付き合っていた経緯もあって
新也=車掌だと読者は勘違いする。

もちろん③「車掌」が
女のはずがないという

勝手な思い込みもあるが、
そもそも「車掌」の語りは
男としか思えないように書かれている。

日登美と交際したり
他の女の子から恋文をもらったり
女の愛人がいたり……。

「寺元進」のパートでも
写真に映る美青年と表現されている
ため
これが女性だと
気づくのは難しい。

駅で貴久男と再会した時、
10年前に騙されて捨てられた恨みを
真千子が全くみせなかった
のも
(汗ばんだが)
2人が初対面のように思わされる。
「妹をどうするつもりや」
「何が目当てや」という言葉も
二重の意味に受け取れる。
貴久男としては
俺に捨てられた腹いせに
妹を騙そうというつもりなのかと
勘違いしていた。

 

 

伏線解説

「車掌」を女性と見破る伏線は
まず①宝急電鉄は阪急電鉄が
モデルであること。
小芝一造は小林一三がモデル。
小林一三は「宝塚歌劇団」の創業者。

  • タカラヅカといえば男装の麗人。 


そして「車掌」と日登美に
肉体関係がなかったことがあげられる。

けれど意外にも、彼女と私の交際は戦時中もずっと続いた。ただし、肉体の深みには入ることのない、ママゴトのような交際のままだったが。(125ページ)
  • 女同士であるため。ただし後に玩具を作るようになる真千子のことだから、大人のおもちゃも作れたかも(下品


勝手に勘違いされた方の
新也という人物は
真千子と別れた日登美が
お見合いで結婚した中年男性であり、
読者を釣るレッド・ヘリングだった。
 

 

<六甲の女王>は何者か?

六甲山で喫茶店を経営する
美人の女性<六甲の女王>。
この人物と相田真千子が
あまりにも似ているため
惑わされたに違いない。

物怖じしない態度といい、
小芝翁が気に入っている事といい

満36歳という年齢から
数えで37歳、
ー17年前で20歳になり
年齢もぴったり一致する。
 

「だって、もう満で三十六よ」カウンターに頬杖をつき、浅木さんの前から動かない。(185ページ)


そのため読者は、
<六甲の女王>=真千子という
間違ったピースをはめてしまう。

実はこの<六甲の女王>
ミスリードのためだけに出て来た人物で
正式な名前は全く出て来ない。
これもレッド・ヘリングである。

ミスリードであり伏線なのは
終盤で浅木と寺元父が
「彼女」について話をする場面。
彼女を見て驚いた
という寺元父の様子から
てっきり<六甲の女王>の話だと
思わされる。

「しかし、驚いたね。まさかベルリンの彼女がここにいたとはね。春にうちへ来たとき、なぜ教えてくれなかったんだね」
浅木さんがそれに答える。
「いきなり引き合わせて驚かそうと思っていたからですよ」
「人が悪いね。とにかく、いったいどんなふうに再会したのか、くわしく話してくれたまえよ」
「あの旅行から帰って三年後に、私が東京へ長期出張したとき、偶然に出会ったんです。彼女の知り合いの女性が経営する酒場で手伝いをしていました」
「酒場で?」
「ええ。でも、客商売は性に合わないようで、やめたがっていました」(230ページ)


この直前に2人は
<六甲の女王>に会っているから
当然「彼女」のことだと思わされる。
しかし2人は別荘に戻って
外で立ち話をしていた。
もうひとりの人物(おばさん)とも
当然会った後である。
そして「酒場で手伝い」という言葉と
香と小芝翁が⑩女王は前にバーで働いていた
という発言が一致して騙される。

これが伏線でもあり、
客商売は性に合わなくて
婦人車掌になることへ繋がっていく。

元気のいいシェパードを
散歩させる様子
からも
義足ではないことがわかる。
(33ページ)

少なくとも
喫茶店を経営して
足を引きずる様子のない
<六甲の女王>は、
「車掌」とも
「ベルリンの彼女」とも一致しない。
 

 

おばさん=真千子=車掌と見破れるか?

冒頭のおばさん登場シーンから
全て伏線が張ってある。
⑤まず男物のズボン。 

おばさんは飾らない人らしく、麦わら帽子に白い木綿の半袖ブラウス、それに灰色の男物のズボンを、ややダブつき気味に履いていた。夫のお下がりだったのではないだろうか。体裁をかまう私の母なら、大掃除のときでさえそんな格好はしないだろう。(13ページ)
  • おばさんが男物のズボンなのは義足を隠すため。「車掌」の時に負傷して右足を切断した。それで車掌を辞めることになる。これは「真千子=車掌」の解答を導いてからでないと全く気づかないため、巧妙すぎる伏線と言える。


おばさんが木の玩具を作ること。(17ページ)

  • 義足のメンテナンスを自分でできることを示唆している。


日登美叔母さんが毎週聞いている
ラジオドラマ『君の名は』
ヒロインは氏家真知子。 

  • 今も「マチコ」という名前に忘れられない恋心を抱いている。もちろん「車掌」(真千子)が女性なのは知っている。日登美は(最初からかは知らないが)同性愛者なのだ。それを心配する兄(貴久男)は無理やり縁談をもちかけていた。


雨が降るとおばさんが
水はけをよくするために
通路を掃除する。 

  • 雨合羽を着て外にいてもあやしくない。義足の自分が歩きやすくするためでもある。


「黒ユリお千」という不良と
倉沢貴久男は付き合っていたが、
ドイツに騙して行かせて捨てた。 

  • 相田真千子のこと。名前に「千」がつく。不良だったというからには、男っぽかったのだろう。真千子が車掌をしていた時、とくに男装していたのではなく、日登美を騙す意図は最初からなかったと思う。


相田真千子の押しに弱い性格。
鶴崎に根負けして相席にしたり
男に騙されてドイツまで行ったり
違法と知ってドイツ人と
ユダヤ人のカップルを
かくまったり……。

  • 車掌の同性愛を見てわかるように言いよられたら断れない性格。後に浅木にもプロポーズされて断れず結婚したのだと思われる。このカップルをかくまったことで彼女の中に⑪禁断の愛に走らせるきっかけが芽生えたのかもしれない。


倉沢香といつの間にか
仲良くなったことを心配するおばさん。 

六甲では誰もが知るという大きな別荘。そこの娘と自分の息子とがいつのまにか親しくなっていたことを知って、一彦のおばさんはちょっと驚いているふうだったが、私たち自身も少し緊張ぎみに門の呼び鈴を押した。(101ページ)
  • 倉沢家は有名であり、真千子も自分を捨てた憎い男の娘が近くにいることを知って関わらないようにしていた。しかし運命とは皮肉なもので、子供同士が好きになるとは……。

 

ちょっとした小技

その他に、
香の義母が運転手の駒石と
あやしい関係
だと思わせて
駒石と貴代司の取り違えをさせたり
日登美の夫・⑫新也が浮気をしていたり
新也が電車の運転も上手かったというのは
すべてミスリード。

香がねん挫して右足を負傷。 
これも一瞬、
まさか香が貴代司を殺した犯人!?
と思わせるミスリード。
足を引きずる人が多すぎ。

第二の殺人・貴代司殺しは
あの喫茶店で
一彦がついた嘘がなければ
起こらなかったともいえる。
借金に困っていた貴代司は
浅木家がビュイックのような
高級車を買えるほど
お金を貯めていると聞いたために

兄の死をネタに
真千子を強請ろうとしてしまった。

ちなみに
寺元進も他の誰も
真千子おばさんが
貴代司を殺したことは知らない。
事件は解決していないまま、
真相は読者にゆだねられている。
(しっかりバラしてますけど)

そしてタイトル。
黒・百合

百合といえば、
女性同士が恋人関係になること。
なるほど、
タイトルはネタバレでもあったのか。

昭和28年(1953)に公開された
松竹映画『君の名は』の
主題歌になった歌が
「黒百合の歌」
というのもタイトルに繋がっている。

黒百合の花言葉は「恋」と「呪い」

アイヌの伝説では恋のおまじないとして
好きな人の側に黒百合の花を置き
受け取ってくれたら
恋が実ると言う話がある。

その一方で
佐々成政の愛妾・小百合が
不貞をしているという嘘の噂を流され
それを信じた成政に
殺される事件があった。
小百合は死に際に
「三年経って、
立山に黒い百合が咲いた時、
佐々家は滅びるであろう」と言った。
その三年後に成政は失脚、
切腹にてその生涯を閉じる事になったことから
呪いの花や
復讐の仇討の花としても伝わっている。

この作品は
真千子と日登美の「恋」と
貴久男に対する「復讐」の
物語のようでもある。

 

 

ラスト一行の謎

この小説の最後は
老年の寺元進が
こう回想して終わっている。

いつだったか、そんなかれらを久しぶりに訪ねると、書斎の一隅に例の写真がまだ飾ってあった。日登美さんが撮ってくれた三人の写真。微笑む香を真ん中に、片手を腰に当てて気取ったポーズの一彦と、なぜか顎を引きすぎて、ちょっと上目づかいで写っている私。
そしてその傍に置かれた幾つかの木の玩具は、もちろん、あのおばさんの作ったものだ。(244ページ)


最初に読んだ時は、
おばさんの正体に驚き過ぎていて、
気づかなかったが、
改めて最後の一行を読むと、
これは何かおかしい。
すごく違和感を感じる。

 

木の玩具を

最後に出す意図はなんだろうか?
俺は「三人で撮ったあの写真に
おばさんの玩具が写っている」と解釈した。

たしか倉沢家の庭で写真を撮ったはず。
真千子の玩具が
なぜ倉沢家にあるのか?

夫の新也が元宝急社員とはいえ
デパートから買ったとは思えない。
それは子供用のおもちゃだからだ。
日登美には子供はいないし、
香もその兄ももう中高生だから
そんなもので遊ぶはずもない。

日登美が宝急百貨店で働いているから
玩具の入手経路はそこかもしれない。
ただし結婚してからも
百貨店で働いているのかは不明。

玩具がここにある理由として
ひとつだけ思いつくのは
“今も”日登美は真千子と浮気をしている 
ということだ。


学生時代の日登美が
⑯北原白秋の詩
「八月のあひびき」
暗誦していたのが蘇る。(118ページ)
あひびき……。
あいびき……。
逢い引き……。

あのね、このちょっと上にね。いま、お兄ちゃんが別荘建てたはるんよ。土地が広いよって、芦屋の家より大きいのにするんやて。今年の夏には間に合わへんかったけど、来年には使えるそうやの。そうなったらあたし、夏のあいだ、ひとりで芦屋に残ろうと思うてるの。暑いのは別にヘッチャラやさかい、芦屋で自由にのびのび暮らすつもりやの。そしたらふたりで会うのかて、時間を気にせんとゆっくりできるし」(119ページ)


芦屋に残ると言っている日登美が
なぜ六甲の別荘にいるのか?
もちろん真千子がそこに居るからだ

日登美が新也と結婚したのが6年前
(111ページ参照)
真千子が浅木と結婚したのも6年前
(241ページ参照)
そこに意味があるとすれば、
どちらかが「仕方なく結婚して」
逢い引きできる場所を確保したと
考えられないだろうか?

いや、
「どちらも仕方なく結婚した」

二人とも結婚したから
当然別れたと思いこんでしまったが
実は別れていなかったのだ。

浅木家が後から
六甲に別荘を建てたことから
真千子が日登美を追いかけたのだろう。
そのためだけに浅木と結婚した。
そして六甲に別荘を
建てさせるよう進言する。
本命はずっと決まっていた。
真千子は日登美だけを愛していたのだ。
そして日登美も真千子を愛している。

あの玩具が倉沢家にあった理由。
それは
二人の交際はまだ続いていることを
読者に示唆していた――。

どうやら最後の一行で
もうひと捻りあったらしい。
とんでもなく深い謎解き小説です。



※補足

“そしてその傍らに”の「そして」には
2通りの解釈があります。

写真の「中に」木の玩具があるのか
写真の「隣に」木の玩具があるのか
実はどちらにも取れる書き方をしている。

「隣に」木の玩具が置いてあるのであれば
上記の解釈は深読みしすぎで
真千子と日登美の関係は終わっていたと
考えた方がいいでしょう。

「中に」木の玩具があると
考える根拠としては
“そして”が写真の中の私を指している
文章の流れから判断しています。
急に写真の外のことに触れるなら
“その”ではなく“その写真の”と
流れを変える言葉がほしい。

それにわざわざ最後の一行で

木の玩具を出す必要があるなら

「隠されたどんでん返し」として

機能させたかったのではないかと思います。

――という理由で
写真の「中に」木の玩具がある
という考えを自分は強く推します。

どちらが正解でも
間違いでもなく
読者が好きなように
解釈できたほうが面白いと思う。

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