2015年2月5日19時45分。

チャコが天国に旅立ちました。



苦しそうに呼吸をして、
それから何ごともなかったかのように
息を引き取りました。

何も失いたくなくても
いつかは失う時が来る。
時間は残酷だ。



チャコとの出会い。
あれはいつだったか・・・

俺は昔、
山奥の田舎の実家に住んでいて、
いつの間にか我が家に
居候していたのがチャコ。

母に聞くと、
川に落ちて鳴いていたのを
可哀そうに思って連れて帰ったらしい。
当時、犬を3匹飼っていたので、
チャコが4匹目だった。

実家にいたころは、
ほとんど相手をしてやらなかった。
犬のことは母親まかせだった。

チャコが6歳くらいの時に、
一緒に飼っていたコロと共に、
今のアパートへ移り住むことに。
俺もそのアパートへ引っ越し。

そこはペットOKのアパートだが、
最初の頃は2匹とも外で飼っていたが、
隣のババアがやかましくて、
コロが死んだあと、
チャコを玄関の土間で飼うことになった。


ここに来てしばらくは、
人が来るたびに吠えていたっけ。
でも賢いのか、
すぐに大人しくなった。

家の中で飼うため、
トイレに困ったはずだが、
散歩に連れていくまで、
決して室内で用を足すことはなかった。
そこは頭がいいのか、
母のしつけが良かったのか。

夏には近くで花火大会があって、
臆病者のチャコは玄関から
部屋の中に上がって
ブルブル震えてた。
それがおかしくて笑ってしまった。

毎年の年越しには、
いつもチャコと一緒に年を越して、
一番最初に
「あけましておめでとう」を言ったね。

俺がセブンイレブンの
ハンバーグを食べようとすると
いつもねだってきて、
結局ほとんどチャコが食べてしまう。

写真を撮ろうとすると、
シャッターの音にびっくりして
いつもそっぽを向く。
だからいい写真がなくてごめん。
2

一昨年の7月頃には、
突然家を出ていってしまい、
3日間姿が見えなくなってしまった。
もう16歳だったので、
家に帰れなくなってしまったのか?
どこかで野たれ死んだのか?と
家族で心配したが、
警察で保護してくれていて、
あと一日遅かったら保健所に
連れていかれるところだったらしい。
もしそうだったら、
この1年半はなかっただろう。

年をとって白内障になり、
目に見えて後足が衰えた。
3

昨年12月末には
ついに寝たきり状態になった。

床ずれを起こしたので、
すぐに床ずれ防止マットを買ったが、
結局一ヶ月しか使わなかった。
もったいないというわけではなく、
もう使わないのかという寂しさ。

寝たきりになってからが大変で、
介護の大変さを味わいました。

夜鳴きのたびに起きては
おむつが濡れてないか確認し、
落ちつくまで撫でてやる。

この一ヶ月の大変さも
今となっては大切な思い出。

今日の朝、
家を出かける時、
ピクリとも動かず仮死状態の感じだった。
仕事中も心配で、
正直集中できなかった。
家に帰ってみると、
異常なくらい呼吸をしていて、
もう・・・最期だなと
わかりました。

19時。
実は俺は帰宅するのが怖かったんだ。
チャコがもう死んでいるんじゃないかと思い、
冷たくなった体を想像しては、
家に帰るのが怖くて
寄り道しながら時間を潰して帰った。

そして家に帰ると、
母のそばにチャコが寝ていた。
朝とは打って変わって
激しく呼吸している。
まだかろうじて生きていた。

19時30分に弟も帰宅。
そして19時45分。
家族がそろった後で亡くなりました。
みんなが帰ってくるまで
待っていたのか?
苦しみながら待っていたのか?

だとしたら俺は大馬鹿野郎だ。
何で早く帰ってやらなかったんだよ!
もっと早く帰って、
もっと一緒にいてやるべきだった。

でももう遅い。
今の俺にできるのは
感謝の気持ちを伝えることだけだ。

チャコ、
ありがとう。

今まで一緒にたくさんの思い出をくれたね。

一昨年いなくなった後、
約束したよね。
「死ぬ時はここ(家)だよ。
 俺たちのいないところで死なないで」って。

約束守ってくれてありがとう。
最後まで一緒にいてくれてありがとう。
私たちの家族になってくれてありがとう。
ずっと愛しています。
4


最後にこの曲を贈るよ。

本当にお前は幸せだったかい?
僕は今でも会いたくて寂しいよ。

数え切れない愛をありがとう

いつの日にか 同じ場所で
それまで ゆっくりおやすみ


エイジア エンジニア
"犬のうた ~ありがとう~"