名作と呼ばれている
サイコホラー小説。

『殺戮にいたる病』 
我孫子武丸

(1992年)

 


永遠の愛をつかみたいと男は願った―。
東京の繁華街で次々と猟奇的殺人を重ねる
サイコ・キラーが出現した。
犯人の名前は、蒲生稔!
くり返される凌辱の果ての惨殺。
冒頭から身も凍るラストシーンまで
恐るべき殺人者の行動と魂の軌跡をたどり、
とらえようのない時代の悪夢と闇を
鮮烈無比に抉る衝撃のホラー。


我孫子さんを知ったのは、
ゲーム『かまいたちの夜』からで、
小説を読むのは
これが最初になります。

衝撃のラストシーン。
まさにその通りでした。

 

あらすじ

蒲生稔(がもうみのる)は、
逮捕の際まったく抵抗しなかった。
これが異常な犯罪を繰り返した
連続殺人犯なのかと疑うほど
落ちついた態度だった。

蒲生稔が
最初に人を殺したのは
前年の10月。
大学の食堂で気になる女性を
発見して近づいた。
名前は江藤佐智子
文学部の一年生だという。

稔は嘘をついて
言葉巧みに彼女をデートに誘い、
ラブホテルに連れ込んで
首を絞めて殺した。
そして冷え切った彼女の体に
何度もセックスを繰り返す。
今まで味わったことのない
快感に震える稔。

テレビで自分の犯した
殺人のニュースが流れている。
俺は生まれ変わったと確信した。
しかし時間が経つと
あの素晴らしい思い出も薄れていく。
次の獲物を探さないといけない……

1月4日。
2人目は家出少女だった。
名前は加納えりか
今度はセックス中にベルトで
首をしめると痙攣が
最高の快感を与え
何度も射精してしまう。

稔は彼女を連れて帰りたいと思い、
乳房を包丁で切り取った。
丁寧にラップで包んで
家に持ち帰ると
今は使っていない庭にそれを隠した。

2月3日。
大人びた女性を発見。
名前は島木敏子
バーで酒を飲ませ、
ホテルに連れ込んで
えりかと同様に殺害。
今度は8ミリビデオで
その様子をしっかり録画する。
しかも今回は
乳房と性器を切り取ってきた。
これでいつでも愛し合える。

2月4日。
蒲生雅子
息子の部屋を掃除していた時、
ごみ箱の中に
黒いビニール袋があり
人間の血がついていることに動揺する。
世間を騒がせる連続殺人のニュース。
まさか、
わたしの息子が……?

2月4日。
元警部の樋口武雄のもとに
かつての部下・野本警部が訪ねて来た。
島木敏子のことを聞きたいという。
妻を病死で亡くしたが、
当時の担当の看護士だった島木敏子とは
親しい間柄であった。

2月3日の夜も敏子は
遅くまで樋口の家にいた。
彼女は樋口に恋心を抱いていたが、
樋口は彼女の想いを拒絶する。
その夜、
タクシーを呼んで
家に帰らせたはずだったが、
彼女はホテルで
死体となって発見されたという。

一度は樋口が疑われたが、
裏が取れて容疑は晴れる。
しかし樋口は
自分の所に来たせいで彼女が殺されたと
自分を責めた。
そして独自に事件を調査しはじめる。

そんな矢先、
樋口は島木敏子に瓜二つの妹、
島木かおるに出会った。

3月4日。
稔の4人目の獲物は
田所真樹という女だった。
その夜、
朝まで愛し合い、
一部を持ち帰る。

雅子は昨夜帰らなかった息子のことで
不安にかられていた。
再び発生した連続殺人のニュース。
違う。あの子じゃない。

樋口は
かおるが囮捜査をするのを
止めさせたがったが、
それ以外に方法もない。
かおるは姉の敏子のフリをして
事件のあった日のことを調べる。

そして、
運命の3月28日……

 

解説

犯人の蒲生稔が逮捕される
エピローグから始まり、
そこにいたる経緯を
3人の人物を中心にして描いている。

1人目は、
猟奇的な殺人に手を染めていく犯人・蒲生稔。
2人目は、
自分の息子が犯人ではないかと疑う母・雅子。
3人目は、
知り合いが殺人に巻き込まれた元警部・樋口。

3人の動きと心理が複雑に絡み合い、
やがて読者を悪夢のような
結末へと導いていきます。

猟奇的な殺人シーンは、
目を覆いたくなるような
残酷な描写だが、
スピーディな展開で
一気に読ませる魅力がある。

トリック自体は
大技一本で勝負している。
それを活かすために、
ある設定が用意されているが、
その設定一本が
この作品全体を支えている。

伏線の巧さは一級品。
再読時に、
ここにやられたと
はっきりわかる瞬間が
楽しくて悔しい。

犯人に全く同情しないので、
後味はわりとよい。
気持ち悪い小説が読みたい、
という人にだけおすすめする。

 

欠点は?

  • 岡村孝子さんの名曲を聴きながら殺人を犯しているので、名曲を汚された気分になる。
  • エログロ耐性のない人は読んではいけない。
  • トリックのための不自然な表現が目につく。あえて触れていないことが多い。

 

感想

「読後しばし呆然とする」
と解説の笠井氏が言うように、
まさに言葉が出なくなった。

この小説の
ラストシーンの異様さは強烈です。

そして、
あのトリックには
まんまとやられた。

最初から警戒はして
疑っていたんだけど、
ある設定と文章で騙されてしまった。
47ページの5行目。
あそこにやられた。
フォークボールが来るとわかっていて
振らされたバッターの気持ちだ。
文庫本を持ってる人は、
是非確認してみてください。

伏線では、
38ページの6行目も上手い。
65ページ3行目は
わかりやすいかも?

この物語、
犯人も異常だが、
母親もなかなか。
息子の部屋のどこに
エロ本が隠してあるかとか、
息子がインポテンツじゃないかとか、
ごみ箱のテッシュを調べて
ちゃんと自慰してるから大丈夫だわとか、
違う意味で恐ろしく感じた。

犯罪の異常さについては
俺は大丈夫だった。
エロもグロも平気。

犯人の求めた
「永遠の愛」とは何だったのか?
どうして急におかしくなったのか?
読んだ後も理解できないことも多い。

あと文庫の解説にネタバレあるので、
うっかり先に読んではいけません。

★★☆☆☆ 犯人の意外性
☆☆☆☆ 犯行トリック
★★★★☆ 物語の面白さ
★★★★★ 伏線の巧妙さ
★★★★★ どんでん返し

笑える度 -
ホラー度 〇
エッチ度 ◎
泣ける度 -

総合評価
 8.5点










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※ここからネタバレあります。
未読の方はお帰りください。  









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1分でわかるネタバレ

〇被害者 ---●犯人 ---動機【凶器】
江藤佐智子---●蒲生稔---殺人欲【扼殺:手】
加納えりか---●蒲生稔---殺人欲【絞殺:ベルト】
島木敏子---●蒲生稔---殺人欲【絞殺:ベルト】
田所真樹---●蒲生稔---殺人欲【絞殺:ベルト】
蒲生信一---●蒲生稔---衝動【刺殺:包丁】
蒲生容子---●蒲生稔---愛情【絞殺:ベルト】

(殺人未遂)
島木かおる---●蒲生稔

<結末>
雅子は息子が犯人ではないかと
疑っていたが、
犯人は夫の蒲生稔だった。

母への愛に飢えていた稔は
母に似た女を狂ったように殺した。
稔の犯行に気づいていた息子の信一は
稔を止めようとするが
逆に殺されてしまう。
そして稔は
最後に自らの母親である
容子の殺害に至る。

稔は母を犯しながら
殺している現場を
取り押さえられ、
裁判で死刑判決を受けた。
 

どんでん返し

この作品には
「叙述トリック」が仕掛けてあります。

蒲生稔は
蒲生雅子の息子ではなく、
実は夫だった、というもの。
あの冷たい態度の父親が
蒲生稔でした。
「息子→父親」
人物誤認トリックです。

蒲生家のあの家には
家族5人が暮らしていました。

【祖母】蒲生容子(65)
【父親】蒲生稔(43)
【母親】蒲生雅子(41)
【長男】蒲生信一(20)
【長女】蒲生愛(19)

しかし、
名前が出て来るのが
蒲生稔、蒲生雅子、蒲生愛の
3人しかいない。
 

父親はいても
「名前が出て来ない脇役」のように
思わされるため、

【父親】蒲生〇〇
【母親】蒲生雅子
【長男】蒲生稔
【長女】蒲生愛

このように4人家族だと
錯覚させられてしまう。
(祖母の存在が消えている)

蒲生容子も登場しているのだが、
稔視点でしか登場せず、
しかも
「母」としか記述されないため、
「母=雅子」だとミスリードされる。

が話かける「母」は
すべて容子であり、
逆に雅子が話かける「息子」は
すべて信一であった。


この物語は、
いきなりエピローグから始まり、
蒲生稔が逮捕される場面から始まる。
ここで蒲生容子が「死体」として
登場しているが、
誰が殺されたかは記述していない。
その現場に雅子がいた。

その雅子が
「自分の息子が犯罪者なのではないか」と
疑い始めたということ(P.12)
自体が
最初のジャブで、
それを受けて、
稔が初めて人を殺したのは
「雅子が不審を抱き始める三ヵ月も前」(P.13) 
であるから
雅子と稔は「親子」だと
思いこまされる。

このミスリードの
最大のポイントは、
蒲生稔が大学教授で、
息子・信一も大学生
ということ。
「大学に通う」という一言で
どちらにも当てはまるのが上手い。

そして、
稔が大学に行った後の
雅子の行動
がまた秀逸だ。

“そして二月の四日。
稔が試験のために大学へ出かけたのが昼食を終えてからだったので、雅子は二時頃になって息子の部屋に入った。
息子には十分すぎるほどの小遣いを与えていたから、室内には高価なAV機器が溢れている。自分専用のステレオ、ビデオ、テレビはもちろん、レーザーディスクに8ミリビデオカメラまである。”(P.47)


個人的に
一番ハマったミスリードはここ。

ある人物が家を出て、
その隙に部屋に入るなら、
当然同じ人物の部屋だと
思うじゃないですか?
「稔」が出掛けるのを
待っていたのだから尚更です。
人物Aが出かけたから
人物Bの部屋に入るなんて
普通は考えません。

さらに言うと
この直前まで稔のことは
「夫」と呼んでいて
夫の態度について
さんざん愚痴っている。
そこから急に
「稔」が出てきたら
夫以外の人物だと
思ってしまうのも当然。

ここ一発で
「稔=息子」のミスリードが
完成していると
言ってもいいでしょう。

さりげなくここで
息子の「8ミリビデオ」も出して
犯行を撮影する稔の行動に重ねている。


真相を知って読み返してみると、
「稔」と「息子」を
書き分けてあること
に気づくのも
この場面の巧妙なところ。

この後さらに、
雅子が息子の部屋のごみ箱から
血のついたビニール袋を発見する。(P.49) 


後でわかることだが、
息子の信一も
父親・稔を疑っていて
独自に調べていた。
稔の捨てたビニール袋を、
自分の部屋に持ち込んでいたため、
息子の部屋から
発見されたように見えています。

ここで
稔視点のパートと
雅子視点のパートの
時間軸のズレに注目。

雅子のパートは
2月から始まっているのに、
稔のパートは
前年の10月から始まって、
遅れながら
同時進行で語られていきます。

そのため、
「黒いビニール袋」が出てくるのは
雅子パートの方が先になる。
稔がビニール袋が
なくなったことに気付くのは
かなり終盤のことです。

わざと時系列をズラしているのは、
叙述トリックのためですが、
この黒いビニール袋の「動き」を隠す、
つまり「信一の存在」を
隠蔽する目的もあったのだと思う。

 

伏線解説(★は巧妙なもの)

次に伏線を分析。
 

【義父の他界】

冒頭で家族構成が語られる。
雅子は夫の両親と
同じ家に住んでいたが、
5年前に義父が亡くなった。
 

“彼女は二十の時に結婚し、次の年には男の子を、そしてまたその次の年には女の子を出産した。夫の給料は、贅沢を言わないかぎり、彼女が働きに出る必要のないほどはあったし、彼がもともと両親と住んでいた一軒家も、五年前に義父が他界してからは夫の名義となっている。彼女は、特に自分が他の人間と比べて幸福だと感じたことはなかったが、不幸だと思うこともなかった。”(P.12)
  • 重要なのが、義父は死んでいるが、義母は死んだとは書いてないこと。家を出ていったとも書いてない。つまり、母親も一緒に住んでいますよという示唆。


★③【夫の言う「お母さん」】
家族で食事中に
雅子が温泉旅行を持ちかける場面では
義母のことが話題に出ている。 

“雅子はみんなが揃ったある日の夕食で、まず娘の愛に、それとなく旅行の計画を持ち出した。
「ねえ、愛ちゃん。温泉なんか、行きたいわねえ」
「そうねえ」と娘はさほど乗り気でもなさそうな返事。
お母さんと行けばいい」とむしゃむしゃご飯を噛みながら夫が口を挟む。
「―――あなたは?」雅子が聞き返すと、彼は苦笑いを浮かべながら首を振った。
「俺は無理だよ。そんな暇はない」”(P.133)
  • 乗り気でなさそうな娘に、お母さん(雅子)と行ってきなさい、というニュアンスに聞こえるのがポイント。しかしこの会話の流れで、夫が雅子の味方をして娘に意見するのはありえないし、「自分は行かないから」という意味だとしても、その後の「あなたは?」と同じことを尋ねるより「どうして?」と理由を尋ねる方が適切だ。その後の雅子の態度も夫に対して不満を抱き、娘が何の反応もしていないことから娘に向けた言葉でないことは明らか。
  • 「お母さんと行けばいい」は別の方法を提案をしている。娘への言葉なら「お母さんと行ってきなさい」にならないと文章としておかしい。つまり夫は雅子にお母さん(容子)と行ったらいいと言っているのだが、むしゃむしゃご飯を食べながら 誰に向かって言っているのかわからない言い方をしているところが上手い。
  • 実はこの時、容子もちゃんと食卓にいた。④“みんなが揃ったある日の夕食で”(P.133)とあるように家族全員が揃っている。しかし雅子視点のため、容子に全く触れていない。完全に存在が消えているのは少しアンフェアな気もする。ここは雅子の夫と義母を排除した自分と子供たちだけの世界に第三者(稔)から「義母」の手掛かりが与えられるという重要なシーンになっている。 

 
【母と娘と】
正月の場面でも
義母のことに触れている。 

“一日のことなら、もちろん色々と思い出せる。大晦日は毎年遅くまで起きているから、元日の朝は遅い。母と娘と一緒に作ったおせちを食べ、年賀状を見たりテレビを見たりしているうちにもう夕食の時間だ。この日は誰も外へ出なかったことに確信が持てた。”(P.105)
  • ちゃんと「母と」って言ってますね。親子で一緒におせちを作ったようなニュアンス。ここが「母」であるから、雅子以外に2人の人間がいないとおかしな文章になります。「母と娘」なら、自分と娘を客観視した「母娘」の意味になるが「と」になっているのでここではあてはまらない。よって、ここの「母」は容子で確定。
  • 容子は「義母」なので、ここで「母」という言い方をするのは明らかに騙そうとしているからフェアではない?それはそうです、が、一般的に「実母」も「義母」も同じ「母」で通用します。曖昧であっても間違いではない言葉。叙述トリックはこのような曖昧な書き方が多い。
  • もし仮に雅子が「義母」を「母」と偽って誤魔化したとしても俺はまあ許容範囲かなと思った。というのも、三人称であってもここは雅子の心情が入る場面であり一人称と同様の語りになっている。蒲生雅子は精神が不安定で「息子が殺人犯かもしれない」と読者に対するミスリードを与えたり、義母の存在を隠すという信頼できない語り手です。人狼ゲームの人狼役。その語り手の言葉に嘘があっても許せる。嘘だと見抜けるポイントを作ってくれればOK。
  • まあ「母と娘と」という書き方をしたのは作者のミスではないかな?ここは「母と」は書かず、「娘と一緒に」だけでよかったように思う。容子の存在が完全に消えているのだから、逆にその方が潔い。
      

【蒲生家の車】
蒲生家には
稔の車が1台だけある。

“午後四時、彼らはタクシーに乗り、池袋へ出た。稔は自分の車を持っていたのだが、この日は乗って来ていなかった。といって大学の近くのホテルに入るのを誰かに見られるのはやはりまずいし、せっかくその気になっているらしいのに電車で移動するわけにもいかない。”(P.38)
  • 稔は自分の車を持っている。これを踏まえて次の場面を見てみよう。

   ↓

3月10日。
警官が家にやって来て
雅子に車の事を尋ねる場面だ。

“「簡単な調査にご協力ください。……白いカローラを、お持ちですね?」玄関に立った警官は、開口一番にそう言った。
雅子はぐらりと身体が揺れるのを感じ、壁に手をついて支えなければならなかった。
やっぱり。あの事件だ。あの事件で犯人が使ったのは、やはりうちと同じカローラだったのだ。セダンなんていう車ではなくて。どうしよう。どうしよう。
「蒲生さんのお宅でしょう?そこのガレージの車、お宅の車じゃないんですか?」”(P.232)
  • 一軒家のガレージなら車は1台停めるのがやっとだろう。仮に縦列で2台停めてあるとしても、雅子がカローラのことしか頭にないので白いカローラが1台あると考えた方が正しい。そう、確かに「稔の車」が1台だけ。何かおかしいと感じませんか?

この車は明らかに
夫の所有物です。

本来は夫の車だが、最近は、暇な子供達が乗ることが多い。”(P.202)
  • とあるように、息子は父親の車を借りて乗っているだけですから。車の所有者が稔なら、稔が息子であるはずがないんです。


伏線として
一番わかりやすいのは次の2つ。

【大学の休講】
稔が江藤を殺した翌日、
テレビを見ていると
母が部屋に入って来る。
今日は大学を休講すると言う。

“「稔さん。大学はどうしたの?」彼女は不服そうに言った。
「……ちょっと熱っぽいから。どうせ授業は一つしかなかったし。前期は皆勤した講義だしね、一回くらい休講してもかまわないさ」”(P.65)
  • 「休講」とは、教師が講義を休むことである。「休講してもかまわない」と学生が使うなら「あの先生の授業は~」などをつけないとおかしいが、この稔の言い方だと自分が休講する意味になっているので稔が教師だとわかりやすい。

 

【えりかのオジン呼び】
ゲームセンターで
えりかが稔をオジン呼ばわりする。 

“「まあ、オジンには無理かもね
少しむっとはしたものの、これほどの違いを見せつけられると、やはりもう既に反射神経でこの年代の連中には勝てないのだろうと納得した。彼女は運転席に坐ったままじろじろと彼を見回しながら、何度か頷くと、言った。
「ねえ、何かおごってよ」
見知らぬ人間にこういう台詞を言うのは初めてではなさそうだった。
「オジンってのを訂正したら、考えてやってもいい」
「分かったわ―――お・じ・さ・ま」”(P.72)
  • ここは本当にわかりやすい。実際オジサンなのだから。しかし、大学生をオジサン、またはオバサン呼ばわりするのは今時のJKなら十分ありうる。20過ぎたらもうオッサンなのだ。哀しい……

【客引きの「社長呼び】
ピンサロの客引きが
稔を「社長!」と呼び込みをする。(P.123) 

  • 「お兄さん!」ではないのが重要なところです。

 

【血のついたビニール袋】
ちなみに、
息子の部屋のごみ箱から
血のついたビニール袋が出て来たが
よく考えると
そんなところに稔が捨てるはずがない。 
洗って外に捨てるか
台所に捨てるかするだろう。(P.167)

【稔の母親の和服】
授業参観に来た母親の
服装が時代の違いを感じさせる。

“母は若くして彼を産んだので、授業参観などにやってくる同級生達の母親の中では一際若かった。肌は抜けるように白く、地味な和服に身を包んでも、立ち昇る色気は隠しようもなかった。”(P.198)
  • 和服で授業参観に来るのは、雅子より古い世代を感じさせる。この書き方だと実際に和服で授業参観に来たかどうかはっきりしないが、和服を着る母というのは雅子のイメージとは違っている。 


蒲生稔の外見が
若いのかオジンなのか
よくわからないが、
実際の年齢は43歳。

母親ゆずりの端正な顔立ちで
少しやせぎすでなで肩、
やや女性的な好男子(P.129)とあり、
目撃者には30歳くらいに見えるらしい。
大学院生でも通用する外見。

20歳で結婚した蒲生雅子は
21歳で息子を産み、
次の年(22歳)に娘を産んだ。(P.12)

【息子は20歳】
冒頭のP.25に、
「二十といえばもう、女親に何でも
打ち明ける年頃ではなくなったのだと」と
息子が20歳だとはっきり書いてある。 

(ちなみに雅子は41歳)

  • 20歳の男が30歳に見える。つまり「息子」と「犯人」には明らかな年齢差がある。

 
雅子もこう言っている。

“違う。そりゃ確かにあの子は少し大人びているかもしれないが、いくらなんでも三十には見えないだろうし、うちの車は白だが、セダンなんていう名前ではない。確かカローラといったはずだ。”(P.201)


目撃者は30歳前後と言うが
実際は20歳。
いくらなんでも
30歳には見えないらしい。
確かに20歳が30歳に見えるのは
一概には言えないけど
別人である可能性が高い。

【試験期間のズレ】
稔が試験のために
大学に行ったのが2月4日。
雅子が3月4日に
「息子の大学の試験は
もう三週間も前に終わっている」(P.169)

と言っている。

  • 細かいことだが稔と息子は大学が違うため「一週間のずれ」がある。

 

風評被害

犯人の蒲生稔は、
岡村孝子の「夢をあきらめないで」を
聞きながら女を殺す。

「似てる誰かを愛せるから」

稔はマザコンだった。
母に似てる女の愛を求めて
狂気的な犯行に及んでいた。

岡村孝子「夢をあきらめないで」 

 

まさか名曲をBGMに
犯行に及ぶとは……

俺もこの曲大好きなので
少し嫌な気持ちにはなりました。
ネットの発達した現代なら
軽く炎上ものです。
当時はどうだったのだろう?

 

その他の考察

蒲生稔が43歳。
蒲生信一が20歳。
この差を近づけようと
稔を若く見せ、
信一を大人びて見せるなど
苦労しているが、
現実的には苦しいと思う。

なんで親が「童顔」で
息子が「老け顔」なのかも謎。
本当に親子?

大学教授が
同じ大学内で院生を偽るのも
リスクが高い。
いくら江藤佐智子が
1年生だからと言って、
10月だから半年も経っているのに
文学部の佐智子が
稔の顔も覚えていないのは不自然だが
稔は文学部史学科助教授なので
史学部ではないから出会わなかったと
考えることもできる。

……と思ったら、
稔がニーチェの話をした時の

“「へえ、ニーチェですか。―――じゃああたしも、そうしようかなあ。幸いこうしてニーチェの“権威”とお知り合いになれたことだし」佐智子は媚びるように笑いかけた。
馬鹿だ。こいつも所詮他の女と変わりはない。”(P.37)

この言葉が妙にひっかかる。

もしかして、
稔が大学教授だと知っていて
騙されたふりを
しているのか?

もちろん素直に読めば、
佐智子がからかっているだけだし、
2人に接点はなかったと読めるのだが
どうも深読みしてしまう……

あるブログに
息子の信一が
どうして父親が犯人だと気付いたのか
きっかけがわからない
とあったが、
それはおそらく
「黒いビニール袋」が原因だ。

1月4日にえりかを殺して
乳房を持ち帰った時は、
包丁を買った袋に入れていた。
なのでこれは違う。
2月3日に敏子を殺した時、
台所の黒いビニール袋を用意してきて
それに性器を持ち帰った。
家に帰って性器を別の袋に入れて、
その袋は
「台所のごみ箱に押し込んで」いる。(P.167)

雅子が息子の部屋に入って
血のついた黒いビニール袋を
発見したのは2月4日。(P.47)
信一がこの袋を先に見つけて
真相に気付いた可能性が高い。
稔が朝帰りして
ゴソゴソしていたのを
偶然見てしまったのだろう。

P.167の行動の後に
P.47へ繋がっている。
この作品の
時系列をズラして
話を混乱させる手法も
注目すべきポイントだと思う。
まんまと騙されました。