体調が悪くなり始めたのは9月終わり。

 

ストレス性の胃炎か腸炎だろうと思って、消化器内科へ行って

胃カメラしても何も出ない。血液検査も異常なし。

ちょうど風邪っぽかったし、それの影響かも。

ストレスが溜まってんだな〜て考えていたけど、なにせ微熱が続いて不調が長い。

おかしいな〜とは、思っていた。

 

 

ネットで ダルい、微熱、寝汗で調べたら自律神経系のページがヒットしたから

とりあえず心療内科にも行った。

でも、先生いわく自律神経系ではなさそうとの事。

もしかしたら甲状腺ホルモンの異常かもしれないから、

次回血液検査をして様子見てみましょう、と。

(結果的に、その前に 癌発覚で入院ってなったけど。。。)

 

それから数日後、朝方。

その日も、体調は悪かったけど おちゃんが破水したってなった時、覚悟を決めた。

出産までバファリンを何度も飲んで なんとか乗り切った。

でも帰宅後 祝いで買った大好きなビールと刺身の盛合わせを

三分の一も食べきれなかったくらい疲労困憊で。

翌日、信じられない程 身体が重くて動けなかった。

 

 

それでも そのときはまだ自律神経過敏なのかと思い込んでいた。

まさか 癌だなんて 思いもしなかった。

おちゃんがいない間、ただひたすら耐えた、というか、一歩も動けなかった。

 

 

救急車で運ばれて 病名聞いて

へ〜そりゃ具合悪い訳だと冷静に納得。

パニックとかにはまったくならなかったし

死にますと言われても 治すしかないとしか思っていなかった。

自分の身体の状態から死にはしないだろう、と。

 

 

 

治療開始の1クール目はとにかく身体が痛くて寝れなかったのを覚えている。

呼吸が苦しく、寝るのがとにかく怖かったのだ。

おちゃんが居る間だけ、安心して自然と寝れたけど。

 

 

つづく。

 

1クール目

平成28年10月31日〜 

 

(DAY1)

事前に吐気止め点滴30分

3種混合抗がん剤点滴スタート

ステロイドと生理食塩液2ℓ以上も同時点滴

 

体温高い、血圧の下が98〜100で高い

鼻酸素マスクを常時付けてるが、鼻が乾燥して嫌らしい。

体内酸素が低いので酸素濃度3で様子を見る。

 

胸水のせいか呼吸がヒューヒューしててすごく苦しそう

大量の汗は止まったけど身体がポッポするらしく、団扇で扇がないと暑いらしい。

会話はあまり出来ない状態、

横になると苦しいのでベッドは少し起こした状態で過ごす。

 

食欲無し、病院食は一切無理

ただ、バニラ系のシャーベットアイスとオランジーナは飲みたいらしいので

急いで買って冷蔵庫に常備する

 

 

これから 抗がん剤が生理食塩液に乗って身体の隅々まで届いていく

腫瘍を崩壊して行っているので、崩壊したモノはオシッコとして出て行く、との事。

だから 強制的に体内に入れてる分・最低2ℓ以上は頑張って出さないといけない

出ない場合は翌日から利尿剤がプラスされる。

 

 

トイレに立つ事が出来ないので、基本はベッドの上で尿瓶。

便は車イスに乗ってトイレへ。

私が居る間は私が排尿の介助して、毎回終わったらナースさんに渡すという流れ。

排尿量を記録・管理しているそうです。

 

<禁止事項>

生花、生もの系の食品、生の果物、家で作ってきた差入は一切ダメ、ぬいぐるみ

<OKなもの>

家の枕、アイス、コンビニの小分けされた袋に入っている食材(パンとか)、缶詰果物

<気をつける事>

見舞い者が少しでも体調が悪い場合は面会ダメ、手洗い、マスク

 

 

(DAY2)

事前に吐気止め点滴30分

3種混合抗がん剤点滴持続

ステロイドと生理食塩液2ℓ以上も同時点滴

 

オシッコの出が 入っている液体の量に比べて出ていないので

利尿剤を点滴→強制的に出していく

トイレの回数が必然的に増えるので

尿道カテーテルを勧められたが、本人は凄く嫌そう。

でも今日1日見て考える事に。

 

血圧高め、呼吸も安定せず鼻の酸素マスクから口マスクへ変更。

体内酸素が85〜88(通常は98〜100)なので酸素濃度を5に上げる。

口内炎予防も含めて、緑茶で頻繁にうがいを行う。

 

 

また、朝・夕2回の採血を当分行い管理する事に。

採血結果から、輸血(赤)と血小板(黄)の2種の輸血が決定

貧血や血の固まりを補助するために行う。

 

オシッコと血中に壊れたガン細胞が出ているのが確認できているそうなので

抗がん剤の効果がきちんと出ているそうで少し安心。

DAY1より少し身体が軽くなった様で、今日は少し会話が出来た。

 

 

 

確定診断が出たその日から もん太の治療が始まった。

この1クール目がとても重要であることと同時に

もん太の状態がどう転ぶか分からない、一番不安定なクールでもあった。

 

 

T病院に入院して3日。

その間に ナース室長と話して

心拍数や脈に乱れもあり状態も悪いということで

ナースステーション前の個室が空いたタイミングで

すぐに大部屋から引っ越していた。

 

 

それと同時に

『おちゃんが居てくれると安心する』

というもん太の一言で、面会時間は12:00〜20:00だったけれど

お願いして特別に朝8時からの面会許可も貰っていた。

 

 

もん太にとって一番いい環境で、いい治療を受けさせたい。

今 私にできる全ての事をしたい。

それだけを考え、行動していました。

 

 

朝8時から夕方6時まで、毎日病院に通った。

 

もん太が寝ているの間に、傷病手当や限度額認定の申請のために

何度ももん太の会社と電話でやりとりしたり、保険会社に電話したり。

息子の出生届を市役所に出しに行ったり、

病院に通うためのレンタカーを探し、息子を預かってくれる一時保育所を探した。

 

 

今思えば、よくそんな状況で色々すぐ動けたな〜と関心してしまいますね。

でも それくらい もん太の事に必死だったのです。

 

 

その証拠に、産後1〜2ヶ月の息子の記憶は曖昧です。

毎日2回 病院から電話して、息子の状況を確認しては安堵していた日々。

家ではお風呂に入れたり、夜中ミルクをあげたりしたけど

日中は息子の全てを母に任せていたので、

その当時は”母親”をする時間が限られていました。

 

 

(・・・そこを思い出すと、母親としてかなり凹んでしまいますが

今、その分 いっぱいの愛情を込めて夫婦で子育てしています!)

 

 

 

ナースさん達は皆良い人ばかりで、

もん太だけでなく 産後すぐの私の身体の事もとても気に掛けて下さいました。

 

 

実は産後いっぱい出てた母乳がすぐにほとんど出なくなり

悪露はドバッと出る日と、まったく出ない日とすでにマチマチな状態。

睡眠時間は確実に少なく、食欲も減っていたのは事実だった。

 

 

でも先生もナースさんたちも経験豊富で

しっかりもん太の治療の管理、フォローをしてくれていたので

私の肩の力も少しずつ抜け、安心して任せる事ができました。

 

 

 

つづく