じめっとした気候もそうだし、そろそろ気分転換の必要を感じて、手っ取り早く会社の自分の部屋に山積された数年分?の書類整理をスタッフに手伝ってもらいながら行っている。
これまでの蓄積情況からそう簡単に片付くはずはないが、根気強く継続しなければと思うが、海外出張がこれだけ多いとある意味やむを得ないと開き直って自分を納得させている。
掃除や整理整頓には性格が大きく影響して左右されるが、私のような貧乏性?だと捨てればいいものも捨てられず、必要のないものまで保存しがちである。
思い切って捨てることにこだわればいいのだろうけれど、長年の癖と習慣は頑固なままである。
そんな中、ひとつの手紙を見つけて開封すると、それはunicefからの募金のお願いであった。
内容はきれいな水を子供たちに
命をくれる水、命をうばう水とある。

東南アジア・ラオスのモン族の子供たちが飲んでいる水は黄土色ににごっていて、時々虫のようなものも浮いているが、飲み水はそれしかない。
喉が渇いたから飲む、飲みたいから飲む、生きるために飲む、しかし、その水は命を奪ってしまう水でもある。
と、、、、、、
アフリカ・ソマリア南部では日照りが続き、道ばたの小さな池にしか水がない。
しかし、ゴミなどで汚染され、茶色く濁っている。
生きて行くためには、おとなも、子供も、動物も、たとえ病気になると分かっていても、この水を飲むしか道が残されていない。
世界の総人口は現在約67億9千5百万人。
世界中で1年間に6千万人が亡くなり、1億4千万人が誕生している。
栄養不足の状態にあり、飢餓に苦しんでいる人口が10億人とあり、安全な水を手に入れられない人口と比例する。
アジアに約6億4千万人、アフリカ諸国で2億6千万人、中南米に5千万人などで、6人に1人は飢えに苦しみ、安全な水が飲めていない現実だが、恥ずかしながら身近でないが為、実感がない。
百年に一度の世界同時不況とうたわれ、確かに大変な時代かもしれないが、少なくとも我が日本において、余程のことがない限り、飢餓に苦しむことはないし、安全な水は飲める。
世界の目で見れば、大統領選挙後の保守派と改革派によるイラン情勢、ミサイルや核、後継者問題の北朝鮮情勢、イスラエルをはじめとする中東情勢など国際的な問題は山積しているし、日本国内に目を向ければ、
新しい臓器移植法、ソマリア沖の海賊対処法、衆議院解散総選挙などメディアに取り上げられる報道に意識が行きがちだが、人間が生活を営むための最低限すらままならない現実に、私も含めて世の中の意識が希薄過ぎる。
昨日も、英国のシルバーストーンで開催されたF1グランプリ中継に目が釘付けと、何ともお恥ずかしい話ではあるが、67億9千5百万分のひとりとして、以前のように小さな協力と活動を意識し直そうと考えさせられた。
部屋も徐々に片付いて来てはいるが、一番の収穫は意識すべき順番とこころのあり方に再認識させられたことであった。
all the best